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第3話 ファミレス

「じゃあまた今度」


 お盆前最後の夏期講習の日、クラスメイトにそう告げて洸太は校舎を出た。


 昇降口を出ると途端に夏の日差しが肌を焼いてくる。ミンミンと蝉の声が降りしきる中、コンクリートの下り坂は熱されたフライパンのように照り返しが強い。門を通り過ぎるまでの数十メートルを歩くだけで肌から汗が噴き出す。ソーダ味のアイスが食べたい。


 今日で一旦勉強も終わり。洸太は疲れで重い頭を振った。ゴールデンウィークは連休を楽しめたが、それからはずっと勉強ばかり。大会が近づくと部活で土日もなくなるので、ようやく一息つけるという感覚だ。


 お盆はなにをしようかな。そんなことを考えながら校門を出て道を曲がったとき、ふと足が止まった。今日湊太はある劇団のオーディションを受けに行っている。未成年は保護者同伴だったから、家に帰っても誰もいないだろう。夕飯も遅いはずだ。どうせなら夏期講習前半が終わった開放感を味わいたい。


 ちょっと寄り道しよ。


 洸太の革靴がいつもと逆の道を歩き始めた。駅前の商店街のほうへ進むと、夕方の買い出しの人々がざわざわと道を行く。駅前広場の植木の近くは蝉がうるさくて、洸太はカンカン鳴る踏切を渡って反対側へ出た。栄えているそちらに大きな本屋がある。店の中に入ると途端に冷房の風が吹きつけてきて、急に体がひんやりとする。お目当ての棚の前に行くと、並ぶ背表紙を眺めた。


 洸太の一番の趣味は読書だ。部屋は本棚から溢れた本が床に積み上げられていて、ベッド前を中心にどくのタワーがそこら中に建っている。足の踏み場がないとまではいかないが、友人を招き入れられる部屋ではないことはたしかだ。湊太とふたりで話すときも、「コータの部屋は座れねえから俺の部屋に来いよ」と言われてしまう。


 そうは言ってもな。


 一番上の棚を右からじっくり見ていく。


 本は読みたいときに手に取れるところにないと。


 お小遣いのほとんどを本につぎ込む洸太の目が『二.五次元文化の今』という新書の背表紙を捉えた。最近は舞台の評論も好きで読んでいる。つま先立ちでそれに手を伸ばしたとき、隣からにゅっと伸びてきた大きな手が本を取った。


「あ」


 先に取られた。


 一瞬そう思ったが、「はい、先輩」と本を差し出されて、手の主を見た。そこには黒のTシャツにグレーのジーンズ姿の金髪プリンがいた。髪をハーフアップにして左側を黒いピンで留めている。全体的に黒っぽいせいか、金髪が目立つ。見上げるような身長は、すらっというよりもひょろっとして見えた。


「あっ、久しぶり!」


 思わず笑顔になると、彼も白い歯を見せた。改めて洸太の手に本をぽんとのせる。


「先輩、制服でどうしたんすか? 部活っすか」

「ううん、特進の夏期講習。毒島君はなにしてるの」

「オレはバイト帰りっす。駅に行こうとしたらここに入る先輩を見つけたんで、一分弱ストーカーやってました」

「全然気づかなかった。私服だと大人っぽいね。大学生くらいに見える」

「身長のせいっすね。そんな難しそうな本を買ったことはないっすけど」


 彼はからりと笑い、「このあと時間あります?」とうしろポケットから出してきたスマホのロック画面の時間を指さした。


「いいときに先輩に会えたっす。相談があるっす」

「あ、佐藤さんを見つけたんだ?」

「そうなんすよ」


 会計をして袋に入れてもらった本を鞄にしまうと、ふたりで商店街のファミレスに行った。涼しい店内で向かいの席に座り、ドリンクバーのカルピスで乾杯してフライドポテトを頼む。赤いケチャップをつけると甘塩っぱくて、ついぱくぱく食べてしまう。


 だが、彼はポテトにフォークを刺してため息をついた。


「先輩、聞いてくださいよ。一年の特進に佐藤さんって女子がいたんす。でも彼氏がいるらしくて。オレ、進路変更を迫られたっす」

「そっか、残念だったね。どんな子だった?」

「いや、顔とか分かんないっす。いるって聞いただけなんで」


 顔も知らない女子の彼氏の存在にため息をつく金髪プリンに、洸太は俯いて笑いをこらえた。夏期講習の疲れなどどこかへ行ってしまった。この子は本当に独特だ。発想と言動がおもしろすぎる。


「でも、また別の素敵な佐藤さんに会えるかもしれないよね」

「別棟の農業科とかも調べに行くべきかとも思ったんすよ。でも、オレ、農業とか分かんないし」


 彼はそう言い、まばたきの少ない目でじっとこちらを見た。


「オレ、重大なことに気づいたんす。佐藤って名字だけで女の子のことを決めつけちゃダメなんじゃないかって。農業科の佐藤さんと付き合えても、多分話は合わないっす。『附子ぶす』を知ってる先輩とのほうが話が合うと思ったっす」


 至極当たり前のことを大発見したように言うので、とうとう洸太はぷはっと吹き出してしまった。


「毒島君、ようやくそれに気づいたの!?」


 つい腹を抱えてははっと笑ってしまう。


「多分だけど、普通は名字で決めないと思うよ!」


 すると彼はむっとしたようだった。頬杖をついてくちびるをとがらす。


「名字が毒島から佐藤に変わったらすごいって言ってくれてたじゃないですか」

「すごいとは思うよ。毒から砂糖って発想はおもしろいと思うし」

「じゃ、夢は諦めねえっす。話の合う佐藤さんと結婚してみせるっす」

「うん、分かった。そのときは報告よろしくね」


 洸太がくすくす笑うと、彼は不服そうにポテトにケチャップをつけた。それを一口で食べてじろりと見てくる。


「先輩、オレのこと名字で呼ぶのやめてください。下の名前、ミナトって言います」

「ミナト君、それはどうして?」

「佐藤になったときに備えてです。先輩とは結婚後もお付き合いを続けたいんで」


 またぷはっと吹き出してしまい、洸太はフォークを置いて突っ伏してしまった。笑いがこらえきれず背中が震える。


 ダメだ、この子といるとペースに飲まれてしまう。存在だけで場の空気を変えられるオーラがある人はいるが、この子は別の路線で空気を変えていく。


 ミナトがいると急に現実がカタカタと音を立てて揺れ始めるような、日常に新たな風が吹き込んでくる。洸太は顔をあげてコップに口をつけたが、途中でまた思い出し笑いしてしまった。


「先輩、なにがそんなにおもしろいんすか。笑いすぎっしょ」

「ミナト君がめちゃくちゃおもしろいんだよ! ちなみにミナトの漢字はさんずいに奏でる?」

「いや、普通の港です。湊じゃありふれてるからって普通のほうをつけたらしいっす。でも、字面を思い浮かべてくださいよ。毒島港。どっかの漁港みたいじゃないっすか。オレ、漁業とか分かんないっす。名字と名前の組み合わせはマジ最悪っす」


 洸太はそれを想像し、またも笑ってしまった。咳払いし、震えそうな腹筋に力を入れて笑いをこらえる。


「人の名前で笑ってごめん」

「でも、ぶっちゃけフグが釣れそうな漁港を想像したっしょ?」


 ふくれっ面のミナトの言葉に太ももをつねる。ここは笑っていいところではない。


「ミナト君は名字も下の名前も珍しいってことだよ。いいんじゃない?」

「先輩は名字が寿で困ったことないんすか」

「親が葬式に行きにくいとは言ってた。ほら、香典に寿って書くことになるから」

「香典ってあの白黒の袋っすよね。そっか、めでたい名字も大変か」


 彼は少し納得したような口調になり、ポテトをぱくりと食べた。見た目は年上に見えるが、しゃべっている内容はまだ後輩という感じでかわいい。演劇部というのは変わり者の集まりになるのがあるあるだが、彼は普段しゃべり慣れている部員とはまた違う。


「先輩、ちなみにお盆休みはなにするんすか」

「家でのんびりするかな。うち、祖父母も同じ県にいるから帰省とかなくて」

「マジっすか。お盆休み中、勉強を教えてくんないっすか。先輩は特進っしょ。オレ、宿題がキャパオーバーなんすよ」


 彼は簡単に懐に飛び込んできて距離を詰めてくる。普段ぐいぐい来る相手は苦手なのだが、なぜかミナトは平気だった。笑って「なにを知りたいの」と聞いてしまう。


「僕、数学は苦手なんだ。ちゃんと教えられるかどうか分かんないや」

「理系なんで数学は大丈夫っす。英語とか国語とか社会とか、そっち系が分かんねえっす。こうやってファミレスで勉強しませんか。家にいるとどうしてもマンガとかに目が行っちゃうんすよね」


 つい床の本を拾って没頭してしまいがちな自分も同じなので、思わず頭を掻いた。髪を手櫛ですき、コップを持った。


「いいよ。いつにする? 僕も宿題やっちゃいたいし」

「マジっすか? やった! 急ですけど明日って空いてます? 早く片づけないとって焦ってるんすよ」


 ミナトが机に両肘をついて頭を抱える。去年夏休み最後に「宿題が終わんねえ!」と湊太に泣きつかれたことを思い出してしまった。


「いいよ。どこのファミレスにする?」

「先輩の最寄り駅はどこっすか。オレは隣の駅っす」

「僕はここ。高校から家は歩いて行ける距離なんだ」

「じゃあ明日ここに来ましょ。メニューのピザがうまそうっす。明日食べたいっす」


 ミナトがタッチパネルを指でスライドさせて、洸太もそれを見た。常にお腹が空いていると言っても過言ではない男子高校生の目が吸いつくような料理の写真が並んでいる。


「ピザよりパスタが食べたい。明太子しそパスタ、夏っぽくておいしそう」

「マジすか。だったら冷やし中華のほうが気になるっす」

「デザートはアイスが食べたいな。二つの味が楽しめるっていいよね」

「いや、そこはケーキ一択っしょ。ケーキなんて普段食えねえっすよ」


 結局その後はたわいもないおしゃべりをし、連絡先を交換して翌日九時半の集合となった。昨日と同じ席に座り、ドリンクバーを注文してテーブルの上にペンケースなどを取り出す。洸太が冷房対策で上着を羽織はおると、白シャツにジーパン、小さなポニーテールのミナトがしかめっ面で腕を組んだ。


「まず古文が分かんねえっす。形容詞と形容動詞ってなんすか」


 ミナトが古典の問題集を広げる。書き込み式の問題集は真っ白だった。


「形容詞形容動詞は現代語で考えたほうが早いかも。かわいい、とか、つらい、とか、静かだ、とか」

「ああ、そういうこと。美しい、優しい、とかっすね。つまり、美し、とか」

「そうそう。それが活用するんだよ。活用表も習ったでしょ」


 するとミナトはノートを引っ張り出してきた。表紙が黄色のキャンパスノートのページをめくる。


「えっと、活用っていうのは……変化すること、か。言葉が変わるやつっすよね。歩かない、歩きます、みたいな」


 ノートを広げて問題集をじっと見つめるミナトを見ると、そのノートが視界に入った。字を見て目を丸くする。それは見覚えのある丸文字だった。秘密の文通相手の文字だ。角の丸い、どことなく女の子っぽくも見えるかわいい字。男子かもしれないとは思ったが、金髪プリンの背が高い大人びた容姿のミナトとは結びついていなかった。


 あの字、ミナト君の字なのか?


 驚いて思わず尋ねる。


「ミナト君は国語って誰先生に習ってる?」

「森先生っす。昔の文を読むとかだるいと思ってたっすけど、『ね』の数を数えてたらおもしろくなったっす」


 洸太が見つめる前でミナトのシャーペンが動いた。「く、から、く、かり、し、き、かる、けれ、かれ」とぶつぶつ呟きながら表を埋めていく。シャーペンの先から生まれるきちっきちっとした丸文字はどう見ても机に書かれた字と同じだった。


 あれ? 夏休みにも授業を受けているみたいだから特進科の子だと思ってたんだけど? ミナト君は普通科だよな?


 洸太は自分も問題集を広げつつ、ミナトのシャーペンの先から生まれる字をちらちらと見た。何気ないふうを装って尋ねる。


「特進って夏休みは毎日登校だから、案外宿題って少ないんだよね。ミナト君はどう?」


 すると彼は問題集を睨みながら「んー」とシャーペンの頭で顎をトントンと叩く。


「オレ、古文とかできねえから、夏休みの始めは補講で毎日登校だったっす。宿題をやらせてくれないから、宿題をする時間が減っただけっしたね。でも、動詞の活用表は埋められるようになったっす」

「……ラ行変格活用の動詞を四つあげなさい」

「あり、をり、はべり、いまそかり!」


 顔をあげた彼は即答し、白い歯を見せて「暗記したっす。褒めて!」と自信満々に親指を立てた。洸太は「さすが」と言いながら心臓がどきどきしてくるのを感じた。


 あの質問、ミナト君だったのか。同じ教室で、同じ席で、授業を受けていた。学年も科も違ってなんの共通点もないと思ってたのに。あの秘密の文通相手はミナト君だったのか。


 顔がにやけそうになり、慌てて顔を引き締める。たった一行のやり取りでも、他に知られないつながりにどこか安心感を覚える相手だった。それがとっくに知り合っていた相手だと分かって、偶然と特別感にどきっとしてしまう。


 ミナト君がこっちに気づくまで黙ってよう。いつ気づくかな。


 内心ふふっと笑い、広げた日本史の問題集をじっと見る。教科書を思い出しながら空欄を埋めていくと、暫く沈黙が下りた。カリカリとシャーペンの走る音と店内のざわざわとした人の声が溶け合って、BGMの中に脳が馴染んでいく。だが、暫くして向かいのミナトが手を止めた。


「……先輩、すごくないっすか」


 顔をあげると、ミナトがこちらの問題集を指す。


「なにも見ないで全部書けるじゃないっすか。そういうの、教科書を見ながら書くんじゃないっすか」


 久しぶりにそれを指摘されて、一瞬顔が熱くなった。


「僕、特技があって。一回文章を読むとだいたい覚えられるんだ。だから暗記系の科目はほとんど間違えない」

「えっ? 一回で? 全部?」

「だいたい、だけど。今ミナト君が持ってる文法の教科書、ラ行変格活用のことが載ってるのって三十四ページだよね。読んだことのある図書室にある本なら、内容を言ってくれれば、どこの棚の何段目にある本の何ページ目かだいたい分かる。でも、何ページのあのへんに書いてあったけど、肝心の部分は思い出せないってことはある。見たものをそのまま覚えられる力をカメラアイって言うらしい。調べたけど、僕には当てはまらないことも多かったから、一般的なカメラアイとは違うんだと思う。不完全カメラアイって感じ」


 ミナトがぽかんとしたようにこちらを見つめ、文法の教科書をめくった。三十四ページ。ラ行変格活用の文字を見て「マジかよ」と呟く。


「それ、遺伝っすか? 家族もできるんすか」

「いや、誰もできない。なんでだろうね。僕としては当たり前だったから、他は違うって小学校の途中まで気づいてなかったよ」

「すごいじゃないっすか。数学とかもいけますか」

「数字は苦手。パッて見せられただけの数字は数日後には忘れてる。歴史の年とかが覚えられるくらいで、クラス全員の誕生日を覚えろとか言われても無理。数学の公式は覚えられるときもあるけど、さっきも言ったように肝心なところを思い出せなかったりするから、混乱して間違えることも多いよ」


 するとミナトがああと思いついたように納得した声を出した。


「だから図書室で本を借りて返す間隔が早いんすね。読めば覚えられるから。オレ、理解するのに時間がかかるから読むの遅いっす」

「なんていうのかな、一回読めば覚えられるから、図書室の本は返却したあとも思い出して楽しんでる。でも、ちらっと見ただけで覚えるとかは無理なんだ。フラッシュ暗算とかはできない。そういう意味では特技っていうのは言い過ぎかもしれない」

「いやいや、充分すごいっしょ。じゃあ、文法の教科書で上一段活用の動詞はどこにあるでしょうか」

「二十八ページの四行目。『口語の上一段活用動詞の「見る」は文語でも「見る」である。次の表のように活用する』。この文の隣に活用表がある。み、み、みる、みる、みれ、みよ」


 すぐに答えると、ミナトがこちらと文法の教科書に目線を行ったり来たりさせて、ぽかんと口を開いた。


「えっ、一字一句間違えない感じ?」

「写真みたいに映像で覚えてるから、そのあたりは正確。でもピントがぼけて思い出せないってことはあるし、覚えてないページは一文字も分かんないよ」


 洸太は口の前に人差し指を当てた。


「他の人には内緒ね。学校じゃ誰にも言ってないから。多分、ただ暗記が得意な人って思われてると思う」

「自慢すればいいのに。すげえ特技っすよ?」

「変に注目されたくないから。逆にみんながどうやって覚えるのか、僕には分かんないし。いいよなって言われても返事に困るし、やり方も説明できないし」


 ミナトはへええと感心した声を出し、「そっすね」と頬杖をついた。


「オレも背が高くていいよなって言われても、ありがとうくらいしか言えないっすね」

「でも、身長ってスポーツでは有利じゃない? 部活は何部なの」

「最初バレー部に勧誘されたんすよ。で、仮入部二日目にブロックしたら突き指したんで辞めました。利き手を突き指するとか、シャーペンが握りにくくて不便でした。なんで今は帰宅部っす。図書委員でバーコードをピッてやってるのが楽しいっすね」


 洸太にはミナトの反応が新鮮だった。小さな頃まだ自分が人と違うと分からなかったとき、自分の覚え方を教えると「羨ましい」とか「すごい」とか興味津々でいろいろ聞かれた。だが、ミナトはもうすっかり受け入れた様子で、自分の話題に話を移した。過度な期待を持ってこちらを判断しないこと、そのことに肩の力が抜ける。


 ミナトの側にいると落ち着く。洸太は金髪プリンの彼と話していて居心地がいいことに我に返った。


 たしかにクラスメイトとは勉強のことを話せる。たしかに部活仲間とは分かち合える楽しさがある。湊太とはお互いのことが分かっているし、趣味が重なることが多い。


 それでも、学年が違って、科が違って、部活が違って、家族でないミナトといると自然な笑顔になれる自分がいる。


「先輩は部活以外の趣味とかあるんすか。読書が好きなのは分かってるっすけど」


 ミナトが何気なく聞いてきたそれに思わず洸太は財布を取り出した。笑顔で「聞いてくれる?」と財布を開く。


「僕、すっごく自慢したいものがあるんだけど!」

「なんすか」

「これ見て!」


 洸太は財布から角の折れた映画の半券を取り出して見せた。映画の題名と座席番号が書いてある半券だ。つい早口になる。


「映画を見に行くのが好き! 半券コレクション! これを見ると内容を思い出せるから、すごい魔法のチケットなんだよ! 好きな映画を二十に厳選して持ち歩いてる! 分かる? 映画の入場料を払わなくても何度もその席から見た映画の好きなシーンを思い出せるわけ! 僕の暗記力、多分このためにあるんだと思う!」


 二つ折りの財布の形によれた半券二十枚。それを自信満々にトランプのように広げて見せると、ミナトが「嘘だろ」と言わんばかりにドン引きしたような顔をした。


「先輩って変わってる……絵柄もなにもないマジの半券じゃないっすか」

「文字と数字だけで思い出せるからこれでいいんだよ。このちょっと汚れてるやつは小学生のときに見に行った子ども向けのアニメ映画なんだけどね、すっごく感動するラストだったんだよ。これを見ると泣けてくるんだよね」

「先輩ってコレクターっすか? 変なの集めてそうっすね」


 だがミナトはそこでぷっと小さく笑った。頬杖をつき、髪ゴムから漏れた髪が頬に垂れる。


「じゃあ夏休み中に映画を見に行きません? なにかおすすめはありますか」

「え、ホント? 来週から始まるもので見に行きたいのあるんだよね。小説が原作で映画化された作品。高校生が主人公なんだけど。それでもいい?」

「先輩のおすすめを見たいっす」

「じゃあ今予約を取っちゃってもいい?」


 いそいそとスマホをいじり出すと、向かいの席でまたミナトが笑う。人混みが緩和しているときを狙い、お盆後の土日で席を探す。未来に楽しい時間が約束されているだけでうきうきしてくる。ミナトが汗を掻いたコップでジュースを飲み、テーブルについたコップの丸い輪を紙ナプキンで丁寧に拭いた。

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