「璃々子おはよう!」
教室へ向かう階段の途中、後ろからぱたぱたと近づいてきた足音とともに肩をぽんと叩かれた。笑顔の友人にあたしも笑顔で「おは!」と返す。そこで彼女の睫毛に目が行った。
「今日のマスカラ、青? カラコンを合わせたらめちゃかわじゃん!」
「今月発売の新色! SNSでのお勧めに出てきた」
「めちゃ気になる。ウチ、何色が似合うかな?」
「璃々子は緑がよさそう。今日の帰りにドラッグストアに寄らない?」
「行く行く! アイシャドーも見たいんだよね」
青天の朝は心なしか生徒も活気づいている。タンタンとステップ音を鳴らして階段をあがり、生徒の声が騒がしい廊下を抜ける。あたしは髪を耳にかけて教室内へ入った。すると既に来ていた友人らが次々と声をかけてくる。
「二人ともおっはよー」
あたしと友人に手をあげる皆に「おはよ!」と笑顔を向ける。
「あれ、璃々子、ピアス開けた?」
「うっそ、痛そうで嫌だって言ってたのに!」
あたしは「ウチ、マジで頑張ったし」と自信たっぷりに答え、席に座った。カバンからノートなどを取り出していると、碓氷の「千尋」と呼ぶ声がした。目線だけでそちらを見やると、廊下側から声をかけた碓氷に「なに」と席から立ち上がった和泉が窓へ近づく。声は途切れ途切れだったが、碓氷の「今日うちに来い」という言葉だけは聞こえた。和泉が無表情に頷く。だが、和泉は席に戻らず、なぜかこちらに向かって歩いてきた。机の前に来て「姫宮さん」と真顔で見下ろしてくる。
「昨日、これ忘れたでしょ」
和泉はドラッグストアの紙袋をポケットから取り出した。
「ピンクのマニキュア。姫宮さんのだよね」
緊張を含んだ視線を受け止め、あたしは目一杯の笑みを浮かべて袋を受け取った。
「ありがと! ウチ、どこに落としたか探してたんだ」
「そう。気づいてよかったよ」
和泉が頬を緩めて微笑し、自席へ戻っていく。袋を大切にカバンにしまうと、友人に声をかけた。
「ねえ、さっきのマスカラ、今貸してくんない?」
「なに、朝から気合い入ってんじゃん」
「このピアスの色に似合いそうだし」
あたしは手鏡を取り出した。鏡の中で耳たぶに光るアクアマリンの粒が、昨日見た和泉の涙のようにきらりと光る。あたしはその色を確認し、睫毛にマスカラを当てた。
【了】