どれくらい時間が経ったのか分からない。
重い瞼を持ち上げると、隼人が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。見慣れない場所なのに、彼が側にいるだけで私は安堵する。
「ここは?」
「僕の部屋だよ」
「私⋯⋯」
隼人が呼んでくれただろう女医さんがいる事に気がつく。以前、エレベーター内で気絶した時にもお世話になった方だ。男性と二人っきりの密室で今日のように倒れた私。あの時は寝不足だったと誤魔化せたが、今の彼女の真っ直ぐな目を見ると私のトラウマに気がつかれてそうで怖い。
「倒れた時の状況、少しお尋ねしても良いですか?」
「⋯⋯」
他の男に抱きしめられたなんて隼人がいるところで言いたくない。
「もしかして、気を失った時に何かフラッシュバックのようなものを起こしたりした?」
女医さんに私の状態がバレていて震えが止まらなくなる。
(隼人にはあの時の事を絶対に知られなくない)
「ちょっと、昔の嫌な記憶を⋯⋯」
「少し聞かせて貰える?」
私は震える体を自分で抱きしめながら、俯いて首を振るしかできない。
「先生、今日はお帰りください」
隼人が女医さんを帰してくれるようで、追求されずにホッとした。
「はい、今日のところは帰りますね。ルリさん話せるようになったら話してね。悩みの根本を取り除くのが一番だから」
女医さんが部屋から出て行って私はホッとした。須藤聖也がこの世からいなくなってくれればと私だって何度も思った。
隼人と部屋に2人きりになる。彼は私の世界で唯一二人きりになって安心させてくれる男だ。
「私はなんで隼人の部屋に?」
「ルリが店から出た後、君の後を追ったんだ⋯⋯それでバイト先を知って、閉店時間過ぎても連絡が来なくて心配で⋯⋯」
隼人はプライドが高いから私の後を追ったなんて言いたくなかったはずだ。
実際、彼は羞恥に耐えられないようで私と目が合わせらないでいる。
彼は私の後を追って、私と柏木さんが2人きりでカフェで打ち合わせをしているのを見たかもしれない。
「私がエプロンを他の男の人につけてもらってたのも見てた?」
あれは外から見てどういう光景に映っていたのだろう。私は今にも抱きしめられそうで怖かった。
隼人の表情を確認すると、明らかに傷ついた顔をしていた。私は隼人を傷つけたかったんじゃない。
私が次の一歩を踏み出せるように、お互い傷つかないように離れようと提案したつもりだった。
隼人は自分が傷ついても私から離れようとしない。
気を失い長い眠りから覚めたような気分で目を開けた時、私を心配してくれている隼人がいて安心した。
10年以上前でも今も鮮明に思い出せる記憶がある。気絶した私の言い分も聞かず勘当を言い渡した鬼のような両親の顔。
忘れたくても、忘れられない捨てられた記憶。
今、隼人が私に何も聞かないのは私を傷つけない為で、彼を私を見る目には私がずっと欲しかったものがあった。
「隼人、心配かけてごめん。それと、カフェの仕事なんだけど私、飽きっぽいみたいでもういいや⋯⋯本当に何も続かなくてお恥ずかしい⋯⋯」
きっと、隼人にみっともなく倒れた場面を見られた。あの後、柏木さんと隼人はどんな話をして隼人は何を思ったのだろう。私は隼人の前では完璧な女性でいたかった。その意味が分からない程馬鹿じゃない。私はどんなに苦しめられても彼にまだ気持ちがある。
「ルリ、無理しないで。ルリが我慢強い子だって僕は知ってるから。それと話したくない事は別に話さなくてもよいからね」
私は確かに朝、彼を完全に拒絶した。傷ついた顔をした彼の顔を見ないように振り向かなかった。
そんなことをした私を彼は心配してくれている。
彼は私に酷い事をしたけれど、私は本当は彼を許したいと思っていた。
私は自分の本当の気持ちに気づいてしまった。
「ありがとう。ねぇ、隼人の部屋探検しても良い?」
「もちろん、エスコートしますよルリ姫」
隼人は余裕の笑みを浮かべながら私に手を差し出す。でも、その指先が震えているのを私は見逃さなかった。
私は彼の手を強く握った。大きくて私を安心させてくれる大好きな手だ。
「ふふっ、私、外の風景みたい! 前にスモールワールドみたいって言ってたよね」
私は隼人に連れられベランダに出た。
風が強くて驚いて、思わず彼にしがみつく。
「空から眺めてる風景みたい。私はこの風景凄く好き」
外の風景は私がもう一つの世界で、飛行機から見た風景を思い出させてくれた。
「じゃあ、この部屋もルリにプレゼントするよ」
隼人が私を恐る恐る抱きしめながら言う。
「部屋なんかいらない。私が欲しいのは、ずっと前から隼人だけだよ。私は隼人に唯一抱きしめて貰える女の子の権利が欲しい。私はやっぱり隼人が好き」
私を見つめる彼の目が潤んで、涙が今にも溢れ落ちそうだ。
(綺麗な涙⋯⋯もっと、近くでみたい⋯⋯隼人の色んな顔を私だけが独り占めしたい)
好きでもない男に抱きしめられる恐怖が、皮肉にも私の隼人への想いに気がつかせてくれた。
「じゃあ、ルリには僕をプレゼントしようかな。僕の全ては君のものだよ」
「本当に? じゃあ、今すぐ頂戴! 隼人はずっと私だけのものだよ。これから沢山泣かせてあげるね」
その夜、隼人は私を初めて抱いた時のように愛を囁きながら優しく私を包み込んだ。彼は呆れる程に利己的な人間だけれど、私に触れる時はいつもガラス細工に触れるように優しかった。何もかもが怖かった時に、私よりも震えながら宝物のように触れてくる彼が私に安心感を与えたのを思い出した。