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第41話 フラッシュバック

「大河原さん、こんにちは。何か御用でしょうか?」

「これ、昨日割ったグラスよ」

 紙袋の中にはブランド物のグラスが入っている。


「わざわざ、ご丁寧にありがとうございます」


 気まずそうに私から目を逸す大河原さんにお礼を言う。


「私、真咲との婚約は破談になったわ。貴方の勝ちね。あれ程の男と結婚するのだから愛人は許容するつもりだったけど、貴方だけは許せなかったの」


「全部私のせいですね。申し訳ございません。私、彼と大河原さんとの婚約が決まった時に、彼への気持ちはなくなってました。それなのに別れを切り出せずに、ずるずると関係を続けてしまいました。もっと、私が思ったことをちゃんと口にできていれば皆が苦しむ結果にはならなかったと思います」


「ふっ! 貴方ほど思った事をストレートに言う女はいないと思うけどね。なんだか昨日とは別人みたい。真咲とは本当に別れてしまうの?」

 大河原さんが吹き出している。瑠璃は気が強いから、本当に彼女とバトったのかもしれない。


「はい⋯⋯もう、彼とは難しいかと思います」

「天下の真咲隼人も女に振られるなんて事があるのね。まぁ、貴方なら幾らでも次がいるんでしょうけど」


 大河原さんは私の後ろに目を向けると笑いながら去っていった。

 後ろを見ると私のことを柏木さんが心配そうに見つめている。


「大丈夫でしたか? ルリさん」

「はい。割ってしまったグラスを弁償してくださったみたいです。親切な方でしたね」


 私は自分の曖昧な態度で大河原麗香さんのことを傷つけてしまい申し訳なく思った。


「ルリさん、これ良かったら飲んでください」

 キッチンに入り私は柏木さんから飲み物を渡される。

 赤い炭酸飲料の下にはラズベリー、ブルーベリー、クランベリーが沈んでいた。

「凄い綺麗、宝石が入ってるみたいですね」

 受け取った飲み物に口をつけると、ほんのりとお酒の味が口に広がる。


「⋯⋯これ、お酒?⋯⋯」

このカフェはお酒も提供していて、確かに昼からシャンパンなど飲んでいるお客様も沢山いた。

「ルリさんをイメージしてカクテルを作ってみたんです」

 私は仕事中にお酒を飲ませてくる柏木さんが理解できない。なんだか急に怖くなってきた。初対面の男性から出される飲み物は怪しめと瑠璃に言われたのに、私は全く学んでいない。須藤聖也に出された苦味のあるオレンジジュースの味を思い出し、気分が悪くなってくる。


 不意に頬に何か柔らかい感触を感じる。

「えっ? 今のって」

「ほっぺ、ほんのり赤くなってて可愛いなって」


 私は多分頬にキスをされた。

「こういうのは、ちょっと⋯⋯」


 はっきり嫌だと伝えなければいけないのに、キッチンに2人きりの状態で怒らせてしまうかもしれないと怖くなる。柏木さんは異国の血も入ってそうだし、挨拶感覚で頬にキスしただけかもしれない。過剰に反応する私の方が空気が読めていない可能性もある。アラサーの私が頬にキスされたくらいで騒いだら呆れられる。

 ちょうど、お客様が入ってきたので私は逃げるようにホールに出た。


 20時に店を閉めて、軽くホールの掃除をする。オープンカフェ大きなガラスの扉を閉めただけなのに、密室に閉じ込められたような恐怖心に襲われる。柏木さんは悪い人のようには見えないのに、怯えている私が変だとは分かっていた。


「ジュテーム、ルリ」

 後ろから突然柏木さんに声を掛けられて振り向いた。


「えっと⋯⋯フランス語の勉強中ですか?」

「いいえ、僕のルリさんへの気持ちです」

 柏木さんに急に強く抱きしめられ、動悸が激しくなる。恐怖で心臓が潰れそうで胸が苦しくて息ができない。


 男性恐怖症は隼人と関わっていたから、治っていたのかと思っていた。あちらの世界では瑠璃の体だったからか、密室や男性に対して動悸が抑えられない事はなかった。私は頭だけでなく、体も正常ではないらしい。真っ暗な海に落とされた恐怖感が襲ってくる。

(もう一つの世界の瑠璃のように相手を怒らせて、嫌われても言いたいことを言うんだ!)

「い、嫌⋯⋯はぁ、はぁ⋯⋯離して⋯⋯」


もう一人の私のようにはっきりと拒絶しようとするが、声がうまく出せない。


「僕と付き合ってくれるなら離してあげます」

 その時、私の中で恐怖の記憶がフラッシュバックし世界が暗転した。



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