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第36話 同棲しませんか?

「インターバルでさ、到着時間が23時過ぎるか分からないという時に新人の子たちから絶対23時過ぎるように到着してと迫られてたんだ。正直、困った⋯⋯」

 私はその時の状況をうっすらと思い出した。

 CAの帰宅のタクシーは23時を過ぎないと出ない。私のように空港から遠くに過ぎている人間には死活問題だ。空港を出る頃には23時30分は過ぎている。終電がなくなっていた場合は少ない給与からタクシー代を出して家に帰るしかない。最初の3年間は時間給の契約社員だから給与は悲しい程に少ない。


「私、空気も読めずに新人の子に注意しましたよね」

 私は安全運行とお客様を一早く到着させる事が最優先だと新人たちを注意した。CAは離職率が高く、7年も勤めてる私は少数派だ。既に正社員になっていてボーナスもしっかり貰っている私に言われたくはなかっただろう。


「あの時に森本瑠璃さん素敵だなって思った」

 私をじっと見つめてくる彼を見て、私は自分が安堵するのが分かった。ルリさんではなく私を最初に好意を抱いてくれたというのも本当のようだ。


 私は彼が私自身に好意をくれてたと知り、彼と距離を縮めたいと思っている。私は自分から男性に言い寄った経験は皆無だ。それにしても、真面目な彼がよくワンナイトなどといった冒険をしたものだ。ルリさんとの一夜はまさに「魔性のルリマジック」にかかったのだろう。

(ルリさん私に力を!)


「あの⋯⋯私たち、もう結構デートしてますけど、お付き合いしてるという認識で良いんですよね」

 お付き合いの経験は冴島傑しかない。彼は教室で2人きりの時に畏って交際を申し込んできた。分かりやすい関係性の変化。今の私と園田機長は恋人のように、デートを重ねるだけで肝心の成約がない。

「俺はそう思ってるよ。直ぐにでも結婚したいくらい森本さんに惚れてる」

 彼の言葉と真剣な眼差しに心臓の鼓動が止まらなくなる。


「結婚願望なんてあったんですね⋯⋯」

 どんなアプローチにも屈しない彼は結婚願望がなさそうだと周囲も噂していた。

「森本さんが理想の女性過ぎて、湧き起こった結婚願望が止められないんだ。本当は今すぐ結婚して一緒に住みたいくらい」

 私は真っ直ぐに伝えられた彼の言葉が恥ずかし過ぎて、思わず猿山の方に目を逸す。猿山で後尾を始めた二匹を見て私はため息をついた。割と落ち着いた佇まいから清楚系とよく言われる私。おそらく淫らだった夜のルリさん。今の私は「昼は聖女、夜は娼婦」という男の夢のような存在に彼には映っているのかもしれない。もう少し彼を見極める時間が欲しいと思った。


「一樹⋯⋯さん。私たち結婚前に1年くらい同棲しませんか?」

 直ぐにでも結婚したいという園田機長に対し、婚約期間は最低でも1年欲しくて同棲したいと伝えた。10年で傑の本音も見抜けなかった自分だからこそ、濃密な婚約期間を一樹さんと過ごしたいと思った。


 勇気を出して彼の名前を呼んでみると園田一樹は頬を染めて目を輝かせた。

「私がもう一つの人格に変わるのを期待してます?」


「そんな訳ないでしょ。『魔性の瑠璃』はとっても危険だから心配なんだ。瑠璃さんの失恋の傷跡を癒したい。そうすれば、君は君のままでいられる気がする。一緒に住むのは俺の部屋で良い?」


 一樹さんは私が失恋によって別の人格を生み出してしまったと疑ってそうだった。

 それ程に同じような生まれだった私ともう1人の私は、たった1つの出来事により全く違う人生を辿っている。


 ルリさんがが束縛社長が好きなら仕方ないが、いくらでも他の男が彼女を幸せにしたいと現れるはずだ。

 ルリさんは二人で話すと見た目だけでも中身も可愛くて女の私でも幸せにしたくなるような子だった。そう考えると同棲中に一樹さんが私の可愛げのなさに気づいて振られる可能性もある。


 私は不安になり思わず彼の腕に絡みついた。一樹さんが突然の私のアプローチに目を見開きながらも、そっと抱き寄せてくる。


「すぐに荷物を纏めて、一樹さんの元へ行きますね」

 彼は背が高いから角度的に上目遣いになった。少しは彼の目に私が可愛く映っていると嬉しい。

「待ってる⋯⋯」

 頬を染めた彼が額に軽くキスをしてきた。私は心臓のドキドキが止まらなくなる。今思うと冴島傑とは手順を踏んだが、ときめいたりした事はない。

(どうしよう、29歳にして私初めて本当に恋をしてる!)


 同棲する為に荷物を実家でまとめていたら、私の元にクレジットカードの明細が届いた。


 20万以上はするかもと覚悟していたワンピースのお値段は92万円、私のボーナスを軽く超えた。

 下着だけで5万円、もはや下に着ているのが勿体無いレベルの価格。一日体を貸しただけで100万円近く使われてしまった。そういえば、ルリさんの部屋は高級ブティックのようにハイブランドの服やバッグが並んでいた。あれらは月100万円のお小遣いだけでは揃えられない。

 私は真咲社長の「僕と別れてどうするの?」の言葉の本当の怖さを知った。


(月100万円どころか、月1000万円くらいかかる女にされてるじゃない⋯⋯)


 私としては束縛社長から離れた方が良いと思っていたが、ルリさんは既に彼でないと扱えない女にされていた。

(束縛社長以外だったら破産するわ⋯⋯)


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