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第29話 恋のはじまり

「あと、その時の感情で衝動的に動かず状況を客観的にみて動いたほうがよいと思いますよ」

「状況?」

「ルリさんが正直に浮気を告白したい気持ちは分かりますが、それはこちらの世界の出来事です。もし、束縛社長がルリさんの世界の園田機長に怒りの突撃をしたらどうするんですか?」

「確かに⋯⋯」

私がルリさんに伝えられたのはそれだけだった。


「あと、明日の11時から銀座のストリングスカフェでバイトすることになってます」

「えっ? 仕事決めてきてくれたの? ありがとう。嬉しい」

「すみません。でも、ルリさんは電車乗れないんですよね⋯⋯」

「挑戦してみるよ。飛行機に乗れた事で凄く自信がついた。私の都合であなたの人生を引っ掻き回してしまってごめんね」


 飛行機にも電車に乗れないルリさんはおそらくパニック障害を患っている。以前、搭乗する直前にパニック障害で乗れないと申告してきた乗客の女性がいた。その子は大学生くらいの6人グループで沖縄旅行に行く予定のようだった。友人の女の子たちは搭乗前にパニック障害を申告した彼女を冷ややかな目で見ていたが、一人の男の子が自分も乗らないと行って彼女と一緒に去っていった。一歩でも飛行機の中に足を踏み入れられたら、既に搭乗した乗客を全員降ろして不審物を置かれてないか確認しなければ飛べない。


 私は彼女が直前で申告してくれてホッとした。パニック障害がある彼女自身は、おそらく友人と旅行したい気持ちがあり飛行機が怖い気持ちと闘っていた。機内に足を踏み入れる前に申告してくれたのは、彼女がギリギリどこで申告すれば周囲に迷惑を掛けないか調べていたからだ。


 ルリさんが機種資格もないのに、CAの仕事をしたのはあってはならない事。それでも、みんなと旅行に行きたいと震えながら飛行機の前まで来たあの女の子のように、ルリさんも必死だった事は理解できる。


「いえ⋯⋯それは、もう大丈夫です」


 私はもう一人の私が必死に助けを求めてきている事にも気がつかず、勝手に軽蔑して傷つける言葉を沢山彼女に言ったことを反省した。須藤聖也の件は一歩間違えば私もハマった落とし穴だ。


 その時、突然、来客を告げるインターホンが鳴った。

 慌ててインターホンの液晶画面に近づく。

「園田機長⋯⋯」

 そこにいたのは先程別れたはずの園田一樹。



「瑠璃に会いたくて来たんだよ。私、隠れるね」

 ルリさんが嬉しそうにしている。こそこそ隠れるところを探している仕草もいちいち可愛い。


 私は玄関に行き、扉を開ける。私と目が合うなり申し訳なさそうな顔をする彼。顔に出てたかもしれない。私は彼とルリさんに出会って欲しくない。ルリさんと私は大元はは同じはずなのに、ルリさんは女の私が惚れそうなくらい可愛い。少し話すと彼女の思いやりの深さを感じて心が温かくなり癒される。人たらしとはこういう人をいうのかと感じた。もし、園田機長がルリさんと出会したら私は従姉妹だとでも言い訳をする。きっと、彼はルリさんに釘付けになり私をみなくなり、私への恋心が偽物だったと気づく。



「森本さん、ごめん。これだけ渡したくて」

 手渡された紙袋はずしりと重い。


「えっと、何でしょうか」

「六花亭のレーズンバターサンドと白い恋人、あと、北菓楼の開拓おかきかな⋯⋯」

「北海道詰め合わせ?」

 彼がわからなくなってきて、思わず首を傾げる。



「実は北海道物産展がやってるのを見かけたんだ」

「はぁ、よくやってますよね。北海道物産展⋯⋯」

百貨店が馬鹿の一つ覚えのようにしょっちゅうやってる北海道物産展。

彼はパイロットで新千歳空港で買い物などいつでもできる。私の戸惑いを察知したように気まずそうにする彼。


「ごめん⋯⋯負けたくなかったんだ。君の元カレに⋯⋯」

「えっ?」

「その⋯⋯にわかせんべい、九州の名産を渡してたから、こっちは北海道だみたいな気になっちゃって。正直、森本さんと10年も付き合ってた彼に嫉妬してる。俺も君の時間が欲しい」

 真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳に動揺する。

「家にはあげませんよ」

「知ってる。ゆっくりと近づければ良いんだ。好みが分からなくて甘いもの、しょっぱいもの入れといた。今度、食べ物の好みも聞かせて。じゃあ、またね森本さん」

「お気遣いありがとうございます。甘いものが食べたかったんです。ご馳走様です」

 何故か握り拳を突き出してくる園田課長に拳を合わせた。体育会系の挨拶のようで面白くて少し笑ってしまう。

「綺麗な笑顔。俺もご馳走様」


 玄関先で立ち去る園田一樹を見送る。

 突然、背後から拍手の音がして振り向くとルリさんが心底嬉しそうにした。


「本当に一樹は素敵な人だね! 瑠璃の事も真剣に考えてくれてる。恋の始まりにドキドキしちゃった」

「えっと、どこが? 白い恋人食べます?」

 ルリさんはネガティブに見えて、非常にポジティブ。今のやり取りで、なぜ園田一樹が私に本気だと思うのか疑問。


「嬉しい。私、食べた事ないんだ。コマーシャルは見たことあるよ。白い恋人〜ってやつ!」

 満開の笑顔でホワイトチョコレートクッキーを頬張るルリさん。こんな態度を誰にもしたことがない私は戸惑う。


「私の世界の一樹に会うことはないだろうなー。私、パイロットに会ったことがないから。高校生の時に交換留学でイギリスに行ったんだけど、長いフライトなのにパイロットは一度も操縦室から出てこなかったよ」


 ルリさんが何気なく言った言葉に私は胸が詰まった。国で数人しか選ばれないイギリスの交換留学。私は英語のスピーチや検定など最善を尽くしてアピールし選別された。初めて父が私を褒めてくれた出来事。ルリさんは私。海外経験もないのに、必死にネイティブのような発音を身につけようと特訓した。父に認められたくて、選ばれた証を得ようと努力を重ねた。


「真咲隼人と会う方が凄いですよ。テレビや雑誌の中の人じゃないですか。そんな人が自分の店の前でナンパしているなんて誰も思わないですよ」

「私と隼人の出会いはナンパじゃないよ。クリスマスの奇跡って隼人が言ってたもん⋯⋯」

 ルリさんの瞳が潤み出す。私は自分の言葉選びの下手さに失望した。それと同時にルリさんが夢見る少女過ぎて心配になった。


「分かってる。現実を見なきゃね。クリスマスの奇跡のままで、隼人と離れてれば良かった。良い思い出のままで、別れれば良かった」

 ルリさんの唇が震えている。涙を我慢しているのは気が強い私と同じ。どんなに悲しい事があっても涙を見られるのは嫌。私は話を転換しようとした。


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