ルリさんは目が覚めると、申し訳なさそうに今までのことを謝罪しながら自分の状況を打ち明けてきた。今までは同じスペックを持って生まれた私の状況に嫉妬して虚勢を張ってしまっていたらしい。私は嫉妬されるような幸せな生活をしている覚えはないが、ルリさんの状況を聞くと今の平凡な幸せに感謝すべきだと感じた。
須藤聖也など、 私にとっては素通りした人物だった。確かに改札前で告白されたが「タイプじゃないんで」とか言い捨てて、そのまま一人で帰った気がする。まともに取り合ったら、そんな酷い被害に合っていたかもしれないなんて夢にも思わなかった。
そもそも、父に禁止されたので私はサークルには入らなかったし、その後も須藤聖也と接点を持つ事はなかった。
「真咲隼人には須藤聖也の事を話したんですか?」
「隼人に? 知られたくない。あんな男に好きにされたなんて言えないよ。私は隼人の前では完璧な女の子でいたいの」
ルリさんが震え出す。酷い記憶を思い出したのだろう。
確かに彼女を愛人にしようとしている真咲隼人にトラウマを話しても、気持ちに寄り添って貰えるとは思えない。
もう一人の私は、とてつもない孤独の中で生きていた。
ルリさんに父に似ていると言われて、確かに私はいつの間にか父のように人を自分基準で判断し即切り捨てるようになってたと気が付いた。父の虐待に対する影響が私とルリさんで異なっていたのかもしれない。父にこそ言い返せなくてもキツい性格になった私に比べて、ルリさんは人の顔色を伺いながら他者の気持ちに寄り添う性格になっている。
ルリさんは父が話を聞いてくれないのを悲しく思い、人の話を聞くようにしていた。その優しさが裏目に出て被害にあってしまったようなものだ。私たちは高校までは純粋培養のような世界で過ごしてきたから、危険を察知する力が備わってなくて狙われたのだろう。
彼女は勘当されても、まだ父に認めて貰いたいと思っているようだった。私も学生の時は父を尊敬していた。しかし、社会人になり働き出すと父の社会性のなさに呆れ今では軽蔑さえしている。
私は槇原真智子と高校卒業から一度も会ってもいない。
彼女はほぼ全員が内部進学する中で外部受験を選択した。小学校から高校卒業まで縁があって彼女とは同じクラスだったが特に仲良くなかった。
小学2年生の時に早めに教室に到着して、彼女と教室で2人きりになった事がある。本を読んでいる彼女に挨拶をして、何の本を読んでいるのか尋ねた。すると普段寡黙な彼女が並行世界とかファンタジーな話を只管に話してきた。突然、マシンガントークを始める彼女を見て変わった子だと感じた。それ以来、私は彼女と距離を置いた。そもそも、真智子はいつも一人で難しそうな本を読んでいて周囲から浮いたボッチだった。
ルリさんと同じように百田美香や伏見佳奈とは小学生時代からずっと仲良くしていた。彼女の世界では、私たちのグループに槇原真智子が混ざっていたらしい。美香や加奈ともここ3年は会わなくなった。小学校からつるんでいても、生活が変われば離れる程度の関係しか私は彼女たちと築いていない。
3年以上家に居候させた上に、ルリさんの為に認可されていない研究中の薬まで渡したという真智子。
そのような自分の為に危険まで犯してくれる親友がいるルリさんを羨ましく思った。
「森本瑠璃はいいなーみんな一生貴方といたいと思ってくれているんだよ。元彼だって追っかけてきてくれたじゃない。私はラブホ街に置き去りにされた子の気持ちの方が分かっちゃうんだ」
園田機長が一緒にいたいのはルリさんだし、傑は結婚1ヶ月前で破談になるのは体裁が悪いから私に縋っているだけだ。
「元彼の傑との関係は私の中では終わってるんです。正直、不倫するかもしれない可能性のある男と間違っても結婚しなくて済んで今はホッとしています」
傑と出会ったのは中国語のクラスだった。親の仕事で上海に住んだ事のある彼は、親切に私に勉強を教えてくれた。顔見知りから、友達になり、恋人になった。私にとって理想的な過程を踏んだ付き合いだ。10年間私の前では誠実だった彼を、あの夜ラブホ街で目撃したのは青天の霹靂だった。莫大な時間を彼と過ごしてきたけれど、そんな浮気心を持った男だと私は少しも見抜けなかった。
「瑠璃は結婚に拘りがなさそうだよね」
「ルリさんもご存知の通り地獄のような家庭で育ってますから。心の安寧の方が生活の安定より大事だと身に染みて分かってます」
「そうだよね。私も静かな心が欲しいな⋯⋯私も隼人とはもう無理だと思う⋯⋯」
ルリさんの話を聞くと、私は出会いから真咲隼人は彼女を騙していると感じた。家に必ず帰すと約束をしたのにお持ち帰りをし、そのまま彼女を7年も囲っている。客観的に見て真咲隼人はヴィラン側の人間。しかし、彼女は彼をクリスマスの奇跡に出会えた王子様だと思っている。
私はCAになり、実はおひとり様こそ一番贅沢だと学んだ。
ステイ先で周囲に気を遣ったりマニュアルの確認をしたりしなければならない時も過ぎた。
誰に気兼ねなく、一人で好きな事をする時間は極上だ。
傑が浮気しない誠実な男で私の良き理解者だと思ったから結婚しようと思っただけで、結婚は私の人生に必須ではない。
私は一生一人でも食いっぱぐれないだけの能力も持っていると自負している。ルリさんも教養がありそうだが、先程の発作のような状態を見せられると一人でも大丈夫だよとは安易には言えなかった。彼女は大きな傷を抱えながら、ギリギリの所で生きてきたのだろう。
私が園田機長があまりに魅力的で心惹かれているのは確かだ。恋をするのは多分これが最後かもしれないとさえ思っている。
「私は確かに園田機長に惹かれてますが、体から始まる恋なんて嫌です⋯⋯」
私は気がつけばもう一人の私に本音を漏らしていた。彼女が心から私の事を今考えてくれる事が伝わってくるからか、今の悩みを相談したくなってくる。
「一緒に仕事をしてて、お互い良いなって好意を持ってたのだから始まりは体ではなくて心だよ」
胸に手を当てて囁くようにルリさんが私に伝えてくる。心とはなんだろう。私の心は園田機長に奪われつつある。でも、上手くいく気がしなくて一歩が踏み出せない。
長いまつ毛を伏せながら語るルリさんは美しい。私は美容に関しては無頓着だった。頑張れば実は彼女のような目の離せない美女になる可能性を持ってたらしい。ルリさんは少し砕けた喋り方や縋るような目つきをするが、全くあざとく感じない。純粋さと品の良さが全身から滲み出ている。
「ワンナイトするような男っていうのも、実は結構裏では遊んでそうで怖いです」
「一樹は瑠璃を一生いたいくらい好きだと思ったから、家に連れて行ったんだよ 彼は誠実な人だと思う。私も実は短い間だけど彼に恋してた⋯⋯」