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第26話 遅過ぎたプロポーズ

 床から立ち上がり膝立ちになった隼人は私の左手をぎゅっと握りしめてきた。

「ごめん、ルリ、僕は君に甘えていたのかもしれない。昨日、他の愛人がいるみたいな話をしていたけれど、もしかして週刊誌の記事とかで僕に対して不安を抱いていた?」


 突然の隼人の予想外の質問に戸惑ってしまう。

 隼人はブランドアンバサダーのモデルのエリカや女優との噂を週刊誌に書かれたことがあった。私はその熱愛報道を信じた事はない。彼がどれだけ忙しくしていて、私と会う為に時間を捻出しているか知っていたからだ。どうせ話題作りの記事だろうと思っていた。


「どうして、急にそんな⋯⋯」

「僕はルリ以外の女を好きになった事はないよ。君と離れるなんて考えられないし、本当にルリと会える時間を支えにして仕事をして来たんだ⋯⋯」

「わ、私も隼人と会える時間が生きる支えだったよ」

 私の言葉に隼人が目を丸くする。


 私はそんな意外なことを言ったつもりはない。

 私の偽りない本音だ。


 絶望する私の前に現れた王子様のような彼に夢中になった。

 彼に喜んでもらうことだけを考えて毎日を過ごした。


「ルリ、結婚しよ」


「えっ? でも、隼人が結婚と恋愛は別だって。結婚は会社の為にしなきゃいけないんじゃないの?」

 本当は彼と一緒になりたかった。


 私は彼から他の女と結婚すると言われた時に、目の前が真っ暗になった。

 それでも、自分が親に勘当され大学も中退した身の上だと考えると、とても世界の真咲隼人と結婚できるような立場ではないと思い直した。


 彼に結婚しても関係を続けたいと言われて、息が出来ない程苦しくなった。


 自分の家族が欲しかった。

 大嫌いだった両親だけれど、勘当されてからは孤独感に苛まれた。


 何かのグループに属してないと、自分がいなくなっても誰も気にかけてくれないようで怖かった。


「この間まで、結婚は仕事の一つだと考えていた。でも、ルリが側にいない人生なんて考えられないんだ。ルリの側に俺以外の男がいるのを想像しただけで気が狂いそうになる」


 隼人は立ち上がり、自分の鞄からケースを取り出してくる。

 ぱかっと開いたケースの中には、光り輝く大きなダイヤモンドの指輪が入っていた。


「モリモトルリさん、心から愛しています。一生僕の側にいてください」


 再び跪いて私に指輪を差し出す隼人の姿に心が震える。

 夢にまで見た愛する王子様からのプロポーズの瞬間だ。


 彼が私の左手の薬指に指輪を嵌めようとする。

「あれっ? ルリ、指、細いんだね。後でサイズを変えに行こう」

 明るい顔で私を見つめる隼人の顔に、一樹の顔が重なった。


 手を絡めた私の指を見て愛おしそうに一樹は呟いた、

『指、細いんだね。守ってあげたくなる』

 あれはもう一人の私である森本瑠璃へ贈った言葉だ。


 でも、私の指の細さを愛おしそうにしていた一樹を思い出すと、目の前の隼人を自分が好きかどうか分からなくなってきた。


 私は一樹と浮気したことに、全く罪悪感がなかった。

 隼人も7年付き合った私の左手の薬指の指輪サイズさえ知らない。


 隼人から沢山プレゼントを貰って来たけれど、彼は明らかに指輪をプレゼントすることを避けていた。

 それは対外的に私と付き合っているという事実を隠そうとしているようにも見えた。


「ごめん、こんな大切な場面でありえないよな」

 隼人が慌てて、とりあえず平均的な指輪のサイズを用意したとは分かっている。


 それなのに、なぜだかずっと心がざわついて収集がつかない。

 女の子なら誰もが幸せになれるような場面で、不安を感じるのは自分がメンヘラだからだと言い聞かせる。


「指輪⋯⋯嬉しい⋯⋯」

 私の言葉にホッとしたように隼人が微笑んだ。


「ルリ、これからはもっと自分の不満とか俺にして欲しいことを正直に話して欲しい。僕は君を誰より幸せにしたいと思ってるんだ」

「ありがとう。夢みたいだよ。そんなこと⋯⋯隼人が言ってくれるなんて⋯⋯」

 私の双眸の眦から流れる涙をそっと唇で隼人が拭ってくる。


「これからも色々なルリを見せてよ。ルリの料理も、もっと食べたいな。筍ご飯も味噌汁も凄い美味しかった」

 隼人が私の髪を愛おしそうに撫でながら言った言葉は、私を天国から地獄に突き落とした。


 私はこのマンションに住み始めた時、まずは料理を頑張った。

 隼人が帰って来るのを待って、食材から良いものを取り寄せて凝った料理を用意した。

『今日はもう食べて来たんだ。基本、僕は外食だし、食事の用意とかされるのは負担かな⋯⋯』

『ごめん、余計なことしちゃった』


 私は無理やり笑って見せたけれど、虚しい気持ちになった。


 それからは彼の負担にならないように、料理は一切作らなかった。


 それなのに、彼は他の女の料理を食べていた。

 よりによってもう一人の私である森本瑠璃の料理だ。


 隼人が好きなのは私ではない。

 7年間、彼を喜ばせたくて彼の為にと生きていた。

 それでも、私は彼の愛人止まりだ。

 別世界の森本瑠璃のように結婚したいと思われる女にはなれない。


「ルリ? どうした? 何か不安があったら何でも言って? ルリとならまた喧嘩もしたい。ルリが急に攻撃的になって悪魔に取り憑かれたと思ったりもしたけれど、時には悪魔になって欲しい。ルリ、お願いだから僕の前で無理をしないで! 悪魔になったルリと喧嘩するのも今思えば貴重で楽しかったから」


 隼人の言葉に鼓動が恐ろしい程に早くなり、胸が苦しくなる。


 私は彼を煩わさないように、ずっと不平や不満を飲み込んできた。

 隼人と喧嘩するような自分は全く想像ができない。

 彼が楽しかった喧嘩というのは別世界の森本瑠璃としたのものだ。


 結局、彼が好きなのは私ではなく別世界の森本瑠璃だ。


「隼人⋯⋯私、浮気した。イケメンパイロットと⋯⋯」


 私は隼人が私ではなくもう一人の私が好きだとしても、彼と結婚したかった。だから、私は彼に自分の犯してしまった罪を懺悔した。


「ふっ! もう、ルリってばどうしたの? ルリが浮気なんてする訳ないって僕が一番よく知っているよ。本当に心配になる程、君は真面目で一途な子なんだから。僕たちの関係に刺激を加えようとしてそんな事を言ったの? もう、無理しないで、そのままのルリが僕には愛おしくて堪らないんだから」


 私が決死の覚悟の伝えた真実は笑って流された。

 隼人は私の事を真面目で一途だというが、私はそうは思わない。


 別世界で森本瑠璃になって一樹に抱かれていた時、私はこのままあの世界で一樹に愛される森本瑠璃になりたいと願っていた。


 (隼人が好きな私なんていない! どこにも存在しない!)


「私、本当に浮気したんだよ⋯⋯」

「世界で一番カッコ良い彼氏がいるのに? もう、他の男が見られないくらい僕に夢中な癖に⋯⋯」

 彼が愛おしそうに私の頬を撫でて、キスをしようとしてくる。


 私はこのキスを受けれて良いような女ではない。

 彼が本当にキスをしたいのは別世界の森本瑠璃だ!


「やめて! もう、無理⋯⋯なんで急にプロポーズなんてするの? 私に『結婚したい』と言わせてもくれなかった癖に酷いよ」

 私は思いっきり隼人を押し返して、小瓶の入った鞄を抱え部屋を逃げるように出て行った。


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