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第21話 どん底の私を救ってくれた人

「僕、通販会社の社長令嬢と婚約する事にしたよ。来年には結婚する」

「えっ? 結婚? 私は?」

「もちろん、ルリとの関係は変わらないよ。僕が愛しているのはルリだけだから」 

 当たり前のように言った後、私にキスしてくる彼を初めて穢らわしいと思った。

「私と結婚する気はなかったんだね⋯⋯」

 この時、私は微笑みを忘れて酷い顔をしていたのだろう。


「言ってなかったっけ、結婚は会社の為にするって」

 私はそんな事を隼人から聞いた覚えはなかった。

 昔から記憶力には自信があり、大好きな隼人の言った言葉は一語一句違わず覚えていた。


「聞いたかもしれないけれど、忘れちゃったかな⋯⋯」

 恋心というのは一瞬で冷めてしまうものなのかもしれない。

 愛した男が妻以外に平気で女を持てるクズだという事実を受け入れられなかった。隼人への気持ちがなくなったような気になると、自分のしていることが金を貰って体を売っているのと変わらないように思えてくる。


 私は日常生活もままならなく、全く眠れなくなるくらい精神的に追い込まれていった。


 突然涙が止まらなくなり、息苦しくて声が出なくなったりした。考え始めると自分がどれだけ愚かかに情けなくなり、生きているのが辛くなった。


 無気力で何もできる感じがしない。体は何もかも諦めているのに、心は諦めていない。

 美容はサボるとすぐにダメになってしまう。私は何も考えないで済むように、毎日同じ行動をするようにした。


 隼人が私の元を訪れる回数は激減した。

 私が義務感で彼に接しているのを、察しの良い彼は気がついていたのかもしれない。今度、彼が部屋に来たら別れを切り出そうと何度も思った。でも、悪びれもせず私に甘えてくる彼を見ているとできなかった。


 彼と私の関係は最初から対等ではなく、私は彼の前で不満を口にできない。声を奪われた人魚姫のように愛した王子様の幸せを願いながら泡になって消えてしまいたくなった。


 私は確かに彼に心を救われた時があって、全ては私が彼の本性を見抜けなかったせいな気がした。


 来月と隼人の結婚が迫って来た頃、私は愛人になる自分を受け入れられずに窓の外に見える宝石の海に身を投げようと思った。


 ベランダに続く窓を開いて、外を見ると本当にキラキラしていて涙が出そうな程に美しい。みんな家族と幸せに暮らしているのに、私だけが取り残されてしまった。親から捨てられ、愛した人も結局私を弄んでただけだった。

 私が自分のどうしようもない人生に別れを告げようとした時に、特別な着信音が部屋の中にあるスマホから聞こえた。

 私は、槇原真智子に救われたから、彼女が助けを求めて来た時は直ぐに助けられるように彼女の着信音だけを変えていた。ずっと頭に靄がかかっていたのに、一気に覚醒する。


 慌てて部屋に戻り、スマホの通話ボタンを押した。

「もしもし、真智子? 何かあったの?」

「ルリ! 大丈夫なの? 真咲隼人が来月結婚するって聞いて!」


 私の親友はまた私の心配をして連絡をくれていた。

 ダムが決壊するように私は大泣きしながら、苦しい気持ちを彼女に伝える。


「ルリ! 目を瞑って数をゆっくりと数えてて、1800秒以内にルリのところに絶対行くから。私がいるって事を忘れないで」

 私は真智子に言われた通り、目をそっと瞑り数を数え始めた。


 1252秒まで数えたところでインターホンが鳴る。

 液晶画面には慌てて来てくれた、変わらぬショートカット姿の真智子がいた。慌てて解錠ボタンを押して、玄関まだ行きロックに手を掛けながら彼女が来てくれるのを待った。

 ピンポーン!


 扉の前のインターホンが押される音と共に、ロックを外して扉を開ける。

「ルリ! 辛かったね!」

 私を思い切り抱きしめてくれる親友を、私は抱きしめ返しながら子供のように泣いた。


 ひとしきり泣いて落ち着いて部屋に入ると、真智子は直ぐに窓を閉めた。


「ルリ! 考えちゃいけない事考えてたでしょ」

「ごめんなさい⋯⋯」

 私は真智子と暮らしていた時も、最初の一年は同じような症状に悩まされていた。カラオケボックスの悪夢に囚われ、毎晩のようにうなされ飛び起き泣いていた。私がもう死にたいと言ったら、真智子に「それは考えてはいけない事だ」と怒られた。


「怒ってないよ。でも、今の状況は変えないとマズイと思う」

 真智子の言う通りだ。私は今自分が精神的にまともではないと分かっている。精神科に行くのはあの時の事を話さなければいけなそうで怖い。ネットで自分の症状を調べると、不安障害、パニック障害、双極性障害⋯⋯あらゆる精神障害の症状が当てはまる。「もう手遅れです」と診断されたらどうしようと、また不安になる。

 私が黙っていると、真智子は意を決したように口を開いた。


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