首筋に彼の指が掠って、怖くなって目を閉じ息を止める。
恐る恐る目を開けると、私の胸元に眩いばかりのピンクダイヤモンドが輝いていた。
「ルリ、今日から君は僕の恋人だ。僕のことも隼人と名前で呼んでほしい。敬語も禁止だよ! 君の一番近い人に早くなりたい」
突然呼び捨てにされて、私は緊張して固まった。
胸元のピンクダイヤモンドのネックレスはお姫様のつけるもののように特別感があって、自分には不相応に見える。
「ま、隼人⋯⋯私、恋人には⋯⋯」
私と須藤聖也が付き合っていたと言えるかは分からない。でも、私は付き合うということが、相手の何もかもを受け入れなければならないようで恐ろしかった。
「世界一幸せにするよ。ルリ⋯⋯」
隼人が優しい声で私に囁く。
安心させるように甘いキスをしてきた隼人のことを信じたいと思った。
食事を終えると私は乗ったこともないような運転手付きのリムジンに乗った。
緊張しながら黒い革張りのソファーに座った私を隼人が抱き寄せてくる。
思わず体が強張り縮こまってしまった。
「ルリ、明日も会いたい⋯⋯」
「明日はファミレスのバイトがあるので難しいかな」
「バイト? そこって男がいるよね。僕はルリに他の男と接触して欲しくない」
私は一瞬、隼人が何を言っているのか理解できなかった。
私だって須藤聖也のことがあって以来、男性が苦手で接触はしたくない。
それでも、日常生活を送る以上、男性と接触しないことは不可能だ。
「でも、働かないと生活ができないから⋯⋯」
「ふふっ、僕の恋人なのに働かないと生活ができない訳ないじゃないか。ルリ、僕が部屋をプレゼントするから、そこに住んで。後ろめたさを抱えながら友達の部屋に住む必要なんてない。君は僕の恋人だから欲しいものは全部手に入るよ」
私は隼人に自分が真智子の大き過ぎる厚意に対して、後ろめたさを感じていたことを見抜かれていたことに驚いた。
私を見つめる隼人の瞳は澄んでいて、何もかも見透かしているような感じだ。
「はい、今ここで友達に電話して! 私を世界一幸せにする素敵な恋人ができたから、今日からは帰らないよって」
隼人は私に目の前で真智子に電話をするように促した。
私は真智子に今までお世話になったお礼と、これからは一人でやっていくので心配しないで欲しいことを伝えた。
隼人は私に自分が最上階に住むタワーマンションの38階の角部屋をプレゼントしてきた。白金にあるそのタワーマンションは、コンシシェルジュがいて内装も高級ホテルのようだった。プレゼントされた部屋はリビングが広くて、先程銀座で見たような宝石の海のような夜景の見える部屋だった。
「ルリ! 実は、僕はこの部屋からの風景が一番好きなんだ。閉塞感もないし、街が見渡せる。これよりも高層の部屋になると、なんだか窓からスモールワールドを見てるみたいでつまらないんだよね」
隼人の言う通り、リビングは二面彩光のガラス張りで閉塞感がない。
私はお嬢様学校と呼ばれる学校に通っていたし、比較的裕福な家庭に育った方だ。でも、今日会った私に部屋をプレゼントする隼人は、私の周辺にもいなかった桁違いの大金持ちだった。彼はとても魅力的な人だ。博識で話も面白く王子様のようにカッコいい。一緒にいると夢の世界のお姫様になったようなふわふわした気持ちになる。しかし、私は彼との経済感覚が違い過ぎて、とても上手くやれる気がしなかった。
「隼人、私、こんなプレゼントは流石にもらえないよ。それに、もう22歳になるのに働かないでフラフラする訳にもいかないし⋯⋯」
彼は私の唇に人差し指を当ててくる。
「ルリは僕を愛してくれさえすれば良いんだ。カードを渡すから好きに使って、あと月に100万円渡すからルリの可愛さを保つ為に使って」
隼人の言葉にふわふわした気持ちが急に沈んでいく。
「私、お金を貰うのは嫌だよ⋯⋯お金を介するような関係は絶対に嫌」
真智子が私に友達とお金のやりとりをするのは嫌といった意味が分かった。
「ルリは僕の女だ。そんな深刻に考えないで、夫が妻に渡すお金と同じだって考えて」
彼はそういうと私を横抱きにしてきた。そのまま寝室に連れて行かれてベッドに寝かされる。
私の髪を撫でながら、顔を近づけてくる彼を思わず押し返した。
「やだ⋯⋯怖い⋯⋯」
「大丈夫、怖くないよ。僕を愛して、ルリ⋯⋯」
彼は私を壊れ物を扱うように優しく抱いた。本当に怖くて身体が震えっぱなしだった。でも、目の前の男が私を愛おしそうに愛でている。そして、私自身も自分とは真逆の世界から愛されたような彼に惹かれていた。必死に震えを止める努力をしながら、彼の愛撫を受け入れる。
「きっと彼は私を傷つけない」念仏のようにずっと唱え続けた。
私はもう少しの刺激で崩れ落ちてしまいそうな程にボロボロ。だけれども、昔から憧れていた王子様のような男を私のひとつまみ残った女の子の部分が愛そうとしていた。
本当は須藤聖也に弄ばれてから、女である事を憎んできた。
親の期待に応えようと、巷の女子高生のように遊んだりせず只管に勉学に励んできた。
国に数人しか選ばれない交換留学生に選ばれた時は初めて褒められた。
父に認められる事を願いながら、連れ出してくれる王子様が現れるのを夢見ていた。
自由もなく暴力を振られる家から本当は逃れたかった。勉強を頑張ったのは何か目的があるからではなく、父に怒られない為。
自分の家の異常性をうっすら感じて逃げたいと思っても、私には逃げる力も勇気もない。
ただ殴られたくない為に親の理想であろうと努力した。
それでも、一度の失敗で結局捨てられる。
全てを諦めた時に遅れて現れた王子様。
かなり強引だけれど、一緒にいてドキドキした。
恋を知らなくて初恋に憧れていた私を魔法で女の子にした。
このドキドキは恐怖だけではなくて、ときめき。
私は狂った自分を女の子に戻してくれる王子様に期待した。
それは依存にも似た期待。