「えっ? いいの? 真智子、勉強忙しいんだよね。迷惑なんじゃ⋯⋯」
「迷惑な訳ないでしょ。私たちは友達なんだから」
私は真智子の温かい言葉に涙が溢れて頷くばかりしかできなかった。
♢♢♢
真智子と暮らし始めて3年と8ヶ月が過ぎようとしていた。
私は昼はファミレス、夜は居酒屋でバイトしていた。
真智子に家賃としてお金を渡そうとするも、「友達同士でお金のやり取りはしたくない」と断られた。私は、食費や雑費を負担するだけで居候させて貰っている。真智子は大学を卒業したら、大学院に進むらしい。勉強や研究に忙しくしている。私もそろそろ彼女に甘えるのをやめて、自立して一人暮らしをしないといけないと思っていた。
今日はクリスマスだが私はいつも通りバイトだ。
ファミレスのバイトが終わって居酒屋のバイトに向かう。
最近、店長のセクハラが耐えられなくなって来たので憂鬱だ。
居酒屋のロッカールームで着替えていると、誰かが入ってきた音がして振り向く。
「店長、今から着替えたいんですけれど何か御用ですか?」
「ルリちゃん、相変わらず可愛いね。ここじゃなくて、キャバクラとか行ったらもっと稼げるでしょ。俺、毎晩でも通っちゃいそう」
「⋯⋯」
実家を出てから、生活するには本当にお金が掛かると感じていた。自立する為にお金を貯めなければいけないのに、月十万円貯金するのがやっとだ。
どれだけ金銭的に切迫していても、夜職をすることには抵抗があった。
職業に貴賎はないとは言っても、厳格な家で育てられた私にとって夜職は性産業に携わるのと変わらないという感覚を持っていた。それに、須藤先輩の事があってから、男性に対する恐怖心が消えない。
「じゃあさ、1回1万円でどお? パパ活やらない? お金、困ってるんでしょ」
私はただ怖くて俯いて首を振る。喉がカラカラで声が出せそうにない。
「じゃあ、1回2万円出すよ。勿体ぶらないでよ。どうせ、処女じゃないんでしょ」
近づいて来る店長を見て、カラオケボックスの恐怖が蘇った。
(処女じゃない⋯⋯私の初めては⋯⋯)
あの時の恐怖を思い出すと視界がぐるぐる回り出す。今にも気を失いそうになるのを唇を噛んで耐える。血が滲んでいるのか、鉄の味がするのに感覚がない。
(気を失ってはダメ、そうしたら、また酷い目に遭う)
私は逃げるようにロッカールームを出て、そのまま店の外に飛び出した。
仕事を投げ出すなんて、いい加減なことをしてしまったという思いと、もう店に戻るの怖いという思いが交差する。
私は混乱する頭を鎮めるように只管歩いた。
かなり歩いたのか空は暗くなっているのに、街は明るく煌びやかだ。
クリスマスツリーが点灯していて、街をキラキラとより輝かせている。
(銀座だ!)
私はクリスマスの夜の銀座に来るのが初めてだった。
店のショーウィンドウに飾ってあるクリスマスのオーナメントを見ているだけで楽しくなってくる。
子供の頃、周りがサンタクロースの存在を信じていても、私の家では最初からサンタはいないと教えられていた。
でも、今晩は途方もなく歩いていた私をサンタクロースが夜の銀座まで連れて来てくれて素敵な風景を見せてくれた。
私は『ジュエリー真咲』のショーウィンドウをずっと眺めていた。
ルビー、サファイア、ダイヤモンド等、様々な宝石をふんだんに使ったリースが飾ってある。眩しいくらいに輝いていて、吸い込まれそうな程に美しい。
感動のあまり思わず涙が溢れた。
「何か、悲しいことでもありましたか?」
突然、低い男性の声に話しかけられて驚いて後ろを見る。
背が高いスーツ姿の美しい男性が私をじっと見つめていた。御伽話から出てきた王子様のようなルックス。見覚えがあるが頭がぼーっとして思い出せない。
「悲しいことばかりだったけれど、今泣いているのは悲しいからではありません。このリースがあまりに美しくて胸がいっぱいになったからです」
「僕も今、君と同じ気持ちです。ダイヤモンドの原石を見つけて胸がいっぱいになっています」
目の前の男性は私の頬を伝う涙を指で拭ってきた。
私は驚いて一歩後ずさりしてしまう。
その時にグゥっと私のお腹が鳴った。
「失礼致しました」
私は美しい男性にお腹の音を聞かれて恥ずかしくなった。
「ご飯を食べに行きましょうか。何が食べたいですか?」
「私、知らない人にはついて行きたくないです」
「僕は真咲隼人です。君の名前も教えてください」
「⋯⋯モリモトルリです。私、もう帰ります。一緒に住んでいる友達が心配するので」
私は目の前の男性に見覚えがあると思ってはいた。
名前を聞いて、彼がイケメン過ぎる社長として有名な真咲隼人本人だと気がつく。
「じゃあ、友達に電話を一本入れてください。僕はルリさんとご飯に行きたいです」
「いえ、どちらにしても、もう帰り始めないと家に今日中に着かなくなります」
「えっ? 家、どこなんですか? 地球の裏側に住んでいる訳じゃありませんよね?」
私の言葉に真咲隼人は吹き出している。
「上野です。歩いて帰るので、それなりに時間が掛かります」
私は未だ電車に乗ろうとすると、過呼吸のような状態になっていた。
真智子にはカウンセリングを受けた方が良いと何度も言われたが、あの時の話を人にするのが嫌で精神科には行けていない。
「必ず家まで車で送るから、一緒にご飯を食べましょう! 僕は怪しい男ではありません。今、ルリさんが見ていたお店を経営している真咲隼人です! 来年から『ジュエリー真咲』のレストランをこの店の5階にオープンします。今、シェフを呼ぶから料理の感想でも聞かせてください。君にプレゼントしたいものもあるんです」
柔らかく微笑みながら、彼は強引に私を自分の店の中へと引き入れた。