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第15話 狂った身体と心

 朦朧とした意識の中、私は溺れたいように苦しくて痛い思いをした。

 逃げたいのに、逃げられなくて怖かった。


「はい、お疲れ様。立てる?」

 須藤先輩に腕を掴まれると、自分の片足のふくらはぎあたりにパンツが引っかかっているのが見えた。

(脱げた? 脱がされた?)


 私はなんとか屈んで、しっかりとパンツを履く。

 自分の服をよく見ると、少し乱れて皺になっている。


「あ、あの⋯⋯」

 受付の横を通っていると、受付の男の人が私を含み笑いしながら見てた。

 横には店の各個室が見える防犯カメラがあった。


 店を出たところで、須藤先輩に手を離される。

「じゃあ、俺、今から新歓コンパに合流してくるんで、ここでバイバイ!」

 先輩はそのまま走り去ってしまった。


 慌てて腕時計を見ると時間は19時を回っていた。

 スマホを見ると父からの着信がある。

 位置情報を見て私がまだ大学付近にいると思って電話して来たのだろう。


 慌てて電話を掛けると、父の怒声が電話から聞こえた。

『お前! なぜまだ帰途についていないんだ。大学は遊ぶところではないぞ。授業が終わったら、直ぐに帰って来なさい!』

「ごめんなさい、私、今立てないくらい具合が悪くて⋯⋯」

『体調管理もできないのか! タクシーを使って良いから、一刻も早く帰って来なさい』

 私は手を挙げて、止まってもらったタクシーに乗り込む。

 運転手さんになんとか家の住所を伝えると、後部座席に横たわった。経験した事ないような体の気だるさが襲ってくる。瞼が重くてもう開けられそうにない。意識が薄らいでいき、このまま死んでしまうのかという恐怖が私を襲い世界は真っ暗になっていった。

(なんで、こんな事に⋯⋯)


♢♢♢


 頬に鋭い痛みを感じて、意識が覚醒した。

 ゆっくりと重い瞼を持ち上げる。

 目の前には怒り狂った父の瞳があった。


「お父様、私⋯⋯」

 口を開いた途端、また頬を打たれた。口の中を切ったのか、血のような鉄っぽい味がする。


「まあまあ、お父さん。この時期の大学生は飲み過ぎてしまう事もよくあるので、そんなに怒らないであげてください」

 タクシーの運転手が父に声を掛ける。

(飲み過ぎた? 何を? オレンジジュース一口しか飲んでないのに?)


 口を開いて弁明しようとするが、何から話せば良いのか急に頭が悪くなったように考えが纏まらない。


 頭が混乱する中、私はタクシーの中から引っ張り出された。首根っこを掴まれて苦しさを感じる。

 まだ体が気だるくて、真っ直ぐに歩けそうもない。

 ほとんど引きずられるように玄関に入るなり、父に床に叩きつけられた。

 頭がグラグラして、首がもげたのかと一瞬思った。


「酒は20歳からだ。法令遵守もできないのか! この恥知らずが! 明日からは授業が終わったら直ぐに帰宅しろ!」

 父は私の体を思いっきり踏みつけると、部屋の中に入っていった。

(また、お酒? 飲んでない⋯⋯)


 口を開こうとするも、猛烈な睡魔に襲われて私は硬い床に顔を擦り付けながら目を閉じた。

  しばらく玄関に放置されていたが、母がため息をつきながら私の元に来る。


「ルリ、どうして最低限のルールも守れないの? あなたにはがっかりだわ。お父様を失望させてはダメでしょ」

 私は母に引きずられて、部屋のベッドまで連れてかれた。

 ベッドのスプリングが軋む音がする。

(ベッド⋯⋯だ⋯⋯)


 私はそのままうつ伏せになり、枕に顔を埋めた。今の状況を整理したいのに頭は働かず、吸い込まれるように眠りについた。


 体を揺さぶられて、意識が覚醒する。

 顔をどうにか横に向けると、目の前には呆れたような母の顔があった。

「ルリ! さっきから、アラームが鳴りっぱなしよ。起きなさい! 学校の時間でしょ。もう、しっかりしてよ」

「お母様、おはようございます。昨日は申し訳ございませんでした」

「今朝早くにお父様は講演に向かわれたわ。今日は早めに帰ってきて、しっかりとした謝罪をしなさいね」

「はい⋯⋯」


 まだ頭にモヤがかかった感じがするが、昨日よりはマシだ。

 でも、気持ち悪さが残っていて朝食が食べられない。

 私は服を着替えて、大学に向かう為に駅に向かった。


 いつものように三鷹駅の改札をくぐり、電車に乗り込む。

 電車の扉が閉まると、言いようのない不安に襲われた。

(出られない⋯⋯逃げられない⋯⋯ここから出して、怖い⋯⋯誰か助けて)


 電車の揺れや周囲の人間の匂いに、いつもより敏感になっている。


「はぁ、はぁ⋯⋯」

 息が苦しくなり、私は途中の駅で逃げ出すように降りてしまった。

(過呼吸?)

 私は袋のようなものを持っていなかったので、自分の両手を口元に持っていき呼吸を落ち着けるようにした。


 死んでしまいそうなくらい苦しくて、全く自分では制御できない。


「わ、私、どうしちゃったの? でも、電車に乗らないと」


 腕時計の秒針がいつもより早く見える。急かされているようでまた息が苦しくなった。私は腕時計を外してカバンに入れる。


 1限、2限には間に合わなくても、3限の語学の授業には間に合わないと、出欠を取られるから欠席扱いになってしまう。でも、呼吸を落ち着けてから電車に乗らないと、そのまま倒れてしまいそうだ。


 その後も、電車に乗る度に閉じ込められた感覚に陥る。

 途中駅で降りながら、私がなんとか大学に到着した頃にはお昼になっていた。

(5限目からは出られるかな。何かお腹に入れないとお腹が鳴っちゃうかも)

 空腹感は感じなくても、お腹がなったら女の子としては恥ずかしい。


 私が大学のカフェテリアに向かうと、昨日、私とお付き合いする事になった須藤先輩の笑い声が聞こえた。テニスサークルの人たちに囲まれて何やら話している。


「マジで? 須藤、あんなお堅いお嬢様ともうヤッたの?」

「まーね。俺に掛かればそんなもんでしょ」


「モリモトルリちゃん可愛かったなー。俺もいってみよっかなーどんな感じだった?」

「処女って感じ? ムダ毛処理くらいしろよって感じ?」

「なんだよ、それ! ウケる!」


 私は思わず逃げるようにカフェテリアを飛び出した。

 自分に何が起こったのか目を背けていたが、やっぱり私はそういうことをされていた。ショックで頭がおかしくなりそうだ。



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