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第12話 貴方が好きなのはもう1人の私

 傑は私を見つけるなり、私の腕を掴んでくる。


 彼には今月のシフトまでは渡してしまっているから、仕事のスケジュールが筒抜けな事を思い出した。

「瑠璃!」

「何? まさか、待ち伏せしてたの? 流石にやめてよ」

「待ち伏せしていた訳じゃないよ。ちょうど福岡出張でお土産を買ってきたから待ってきただけだよ」

 傑の言い訳は嘘くさいが、明らかにFUKUOKA AIRPORTと記してある袋を持っている。


 「そういうのはいらないよ。もう、私たち友達でもない赤の他人でしょ」

 確かに今、博多通りもんのような甘いものが食べたい気分だが、受け取ることで傑が余計な期待をしそうだ。


「とりあえず、瑠璃の為に買ったんだから受け取って! 帰りながらで良いから少し話そう」

「この時間だと、傑は急いで帰社するべきなんじゃないの?」

 私は彼に渡された袋の中を見たら、赤い箱のにわかせんべいが入っていた。箱には眉が下がった顔がプリントしてあり、今の心境で受け取ると結構むかついた。 


「瑠璃が俺と会話してくれるなら、今から午後休とるよ」

 私が空港線に向かおうとするのを、傑が進路をふさいでくる。

「ちゃんと仕事行きなよ。ただでさえ、婚約破棄して周りからの信用失ってんじゃないの?」

「そう思うなら、俺と結婚してくれよ」

「自業自得でしょ! 本当にそこをどいて!」

 私は結構焦っていた。

 ここは、私にとって知り合いが沢山通る場所だ。

 あまり騒いで後々噂になって会社に来づらくなっても困る。


「いい加減にしろよ。君も自分の会社でこうやって騒がれたいか?」

 最近、聞き慣れてきた低く通る声に振り向くと、ラフな私服姿の園田機長が立っていた。

「また、あんたかよ」

 傑は園田機長を睨みつける。


「はぁ、君、本当に自分のことしか考えていないんだね。ここは空港、彼女にとっては職場だ。職場に突然訪問されて困るのが分からないのか? 良い年してそんな事も理解できない男に彼女は渡せない」

 私は園田機長のまさかの言葉に焦ってしまった。

 この場を誰かに見られ、彼と噂になるのもまた仕事がしづらくなる。


「俺たち、まだ別れてませんから」

「傑、式場はキャンセルしといたから、婚約指輪返して欲しかったら、傑のご実家に郵送するね。結納品の腕時計は今も使っているみたいだから、そのまま使ってどうぞ。私からの手切金だと思ってくれて構わないから」


「嘘だろ! なんで、勝手に式場をキャンセルしてるんだよ」


「当たり前でしょ。傑が浮気しようとするクズだと分かってるのに、結婚する訳ないじゃない。人のことアラサーで自分以外貰い手がないとか言ってくれたけれど、傑のような不誠実な男に貰われるとか地獄だから」


 私の言葉に傑の瞳がなぜか潤み出した。

「瑠璃、お前、本当に酷くないか? 10年も付き合ってきて、俺の言い訳さえ聞いてくれないんだな。あの日は仕事で失敗しちゃって落ち込んでて、寄ってきた女の子と浮気しようとした。酒も入ってて調子に乗って瑠璃の陰口も言った。溜まってた不満も、ついぶちまけちゃって反省してる。でも、俺が一生一緒にいたいのは瑠璃だけなんだよ。もう絶対、浮気もしない。疑うならこれからスマホをチェックしても良いよ」


 突然、必死に捲し立てられて、自分が悪いような気持ちになってくる。

 気がつくと行き交う人が、修羅場が始まったと思ったみたいでチラチラとこちらを見ていた。

(逃げ出したい!)


「森本さん、もう行こう。家まで送るよ」

 園田機長が助け舟を出してくれて、私は立ち尽くす傑を置いて彼に連れられて駐車場の方へ行った。促されるままに彼の車に乗ろうとして、ふと立ち止まる。


「園田機長、私、電車で帰ります。先程はありがとうございました」

 彼に送ってもらう理由は全くない。

「お願いだから家まで送らせてくれないかな」

 私は園田機長の意図が全く理解できなかった。

 彼がこんなに私に寄り添ってくるのは、ルリが忘れられないからだ。


「もしかして、私が記憶をなくした時のもう一人の人格に変わるのを期待してます?」


「そんなんじゃないよ。むしろ、また『魔性の瑠璃』に変わってしまうんじゃと心配している」


 私は『魔性の瑠璃』というフレーズが妙にウケてしまい、車に乗り込んだ。

 園田機長は結構私のツボをついてきて、もっと話したいと思ってしまう。


「人格が変わる事は、もうないので安心してください。園田機長は優しいですね。面倒見が良いというか⋯⋯」

「そんな事ないよ。森本さんは特別。もっと、一緒にいて話す時間をどう作ったら良いか最近はそんな事ばかり考えている」

 ドキッとするような事を言われてしまい、私は縮こまってしまった。

 気がつくと車は発進していた。


「今日は、勤務だったんですか?」

「違うよ。プライベート。実は、森本さんに会いに行く口実に美味しい手土産を買おうと思ってあそこにいたんだ。結局、選んでいる途中だったから、まだ買えていないんだけど⋯⋯」

(手土産を買いに空港⋯⋯)


 やはり、彼は私の当初のイメージ通り、女っ気のない仕事人間な気がする。

 そんな難攻不落の男を落としたルリが恐ろしい。

 私とルリさんは女の魅力ではにわかせんべいとピンクダイヤモンド程の差があるのだろう。


「送って貰っても、家にはあげられないけれど良いですか?」

「別に良いよ。でも、遠回りして家に帰ることになって時間がかかるかもね」

「遠回りしないでください!」

「冗談だよ。森本さんと少しでも話せれば、それで良いから」

 柔らかく微笑みかけられ、またときめいてしまった。

 結局、それからたわいもない話をしながらドライブをし、無事に家まで送り届けて貰った。彼は本当に無理に家に入ろうともしないで、紳士的に帰って行った。

(素敵な人だな⋯⋯あんな人に想われてルリさんが羨ましい⋯⋯)


 家に戻り洗面所に向かう。

 他の家庭では家に帰ると家族がいてホッとするのだろうが、私の場合は家族が留守でホッとする。


 洗面所で手を洗っていると、鏡に悲しそうに泣いているルリさんが映った。

『森本瑠璃! どうしてなの?』

 彼女は私の姿を確認するなり鏡から飛び出して来た。


 目の前に飛び出して来たルリさんはネイビーのワンピースにピンクダイヤモンドのネックレスをつけている。

(前回、交代してから2時間くらいしか経過してないから当然か⋯⋯)

 この交代の仕組みが全く分からない。

 私の方からは何も働きかけられないから、別の世界に連れてかれたら不安しかない。

 どうやら2人が同時に同じ世界に存在する際には、元の姿で存在するようだ。


「ルリさん、何かあったんですか? それと、この交代はもうやめてくれませんか? いい加減な仕事をされたりして、私も困ってるんです」

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