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第2話 並行世界の私との出会い

 私は傑の悪びれない態度に彼へのひとつまみの未練も消滅した。


 彼は来年くらいには海外駐在の予定があるので、私も仕事を辞めるつもりだった。

(早まって辞めなくてよかった⋯⋯)


「やめるのは傑との関係だよ。さようなら」

 長々とどうでも良い言い訳をその後も聞かされたせいか、気がつけば実家の前まで到着していた。


 私がタクシーを降りると傑が後から着いてくる。

 そして、家の門の前には父が腕組みをして立っていた。


「冴島君、送ってくれてありがとう。お茶でも出したいところだが、今日はもう遅いからここまでで構わないよ」

 父が微笑みを浮かべながら言った言葉に、傑は頭を下げて去った。

 外面は良い父だが、決して傑を歓迎していない。


 傑が乗り込んだタクシーが見えなくなると、父が私に低い声で言った。

「瑠璃、家に早く入りなさい」

 これから起こることを予見して、体が硬直する。

 玄関を入って靴を脱いで立ちあがろうとした途端、父の平手打ちが私の頭に炸裂した。

 勢いで髪を纏めていた髪留めが吹っ飛び長い黒髪が宙を舞う。

 その様子をスローモーションで見ながら、私は隠れて私と父を覗き見る母に救いを求める視線を送り続けた。

 結局、朝方4時まで父に正座させられ罵声を浴びせられどつかれまくった。

 父は私のGPSの位置情報から、私が傑とラブホテルにいたと思っているらしい。私は仕事からの帰り道に傑と遭遇しただけだと伝えるが、父は私の言い分を全く信じなかった。


「お父さん、そろそろ学会に向かわないと! 飛行機の時間がありますから」

 今日から1週間両親は留守にする。父はスイスで行われる学会に出席予定で母も帯同する予定だ。

「全く、親に嘘をついて結婚前にいかがわしい事をしてたなんて汚らしい! 1週間、必ず、朝昼晩、どこで誰といて何をしているか報告して来い」


 父はそう言い捨てると、私にもう一発平手打ちを喰らわした。


 私はやっと解放されて部屋に戻り枕に顔を埋めてひたすら泣いた。

「もう、嫌だ。こんな家⋯⋯こんな人生⋯⋯」


 スマホを取りだすと傑から50回以上の着信があった。

 私は彼の番号を着信拒否しSNSもブロックした。

 式場が1ヶ月前からキャンセル料がかかるのを思い出し、慌ててキャンセルのメールを送る。


 泣き続けている内に、少し眠ってしまったようだ。

 一階には人の気配がないから、多分両親はもう空港に向かったのだろう。


 姿見に近づいて、自分の姿を映す。

「酷い顔⋯⋯」

 メイクは崩れて、髪もボサボサ、頬も赤く腫れている。

 今日から2日間は休みだから、その間に頬の赤みは引くだろう。


 突然、姿見がピカッと明るく光り、目の前には美しい女性が映し出された。ピンクベージュのウェーブ髪にヘーゼル色の瞳。高級そうな淡いピンクのワンピースを着ている。自信溢れる色っぽい彼女の視線に釘付けになった。


『何を自分に見惚れてるの? 鏡よ。鏡! 世界一美しいのはこの私、モリモトルリよって言ってみなさい。鏡って自信を付ける為に見るものよ』

「はいっ?」

 目の前の自分を見ると髪は黒髪のストレートだし、鏡に映る自分は別人に見える。

『はぁっ、なんか冴えないわね。ちょっと、今、そっち行くわ』

 目の前の美女はそう言うと、姿見の中から飛び出してきた。


「初めまして、もう1人の私。良かったら、私と人生交換しない?」

 美女が妖しく微笑みながら、私に狙いを定めた女豹のように近付いてくる。

 私はあまりの非現実的な出来事に卒倒しそうになった。

(こ、こういう人間が飛び出してくるホラー映画あるよね⋯⋯)


「まだ、見惚れてるの? まあ、私が黒髪ストレートにして、カラコン外して、美容を1ヶ月くらいサボったら貴方になるわよ。瑠璃! 貴方は女として手を抜きすぎよ。だから、浮気されるんだって」

 目の前の女性が私を楽しそうに揶揄ってきて頭がカッとなる。


「私が、手を抜こうと関係なく浮気しない男性はしないと思いますが⋯⋯」


「本当に夢見る箱入り娘のままなのね。私は大学1年の時に夢見るお姫様は卒業したわ⋯⋯」


 なぜ彼女が自分の事を知っているのか疑問に思ったが、近くに来てよく見ると確かに彼女と私は似ている。


「何で私の事を知ってるんですか?」


「並行世界って分かる? 森本瑠璃はこの世界以外にも存在するの。私は別の世界のモリモトルリ。人生に行き詰まって、他のルリと人生を交換しようと思って色々調べてたの」

 あまりにもファンタジーな話をされて、現実的な私は全く頭がついていかない。


「ルリさん、貴方は何をしてる方なんですか? 私の事を調べたのなら分かると思いますが、私はTKL航空でCAをしています」


「私は色々あって大学中退して無職よ」

「交換はお断りします」


私の言葉にルナさんは余裕の表情で笑い、耳元で囁いてきた。


「ちなみに私、親からは勘当されているから」

「勘当!?」

「ほらっ、食い付いてきた。そんなに嫌なら逃げれば良いのに。今日から1週間もいないんだから、この間にマンションでも契約して逃げなさいよ」

 ルリさんは痛いところをついてくる。

 私も何度も考えたことだ。

 しかし、私の足は29年間鎖で繋がれて飼い慣らされた奴隷のように重い。


「私は港区白金のタワーマンションの38階に住んでるの。部屋は私の恋人からのプレゼントね」

「はぁ? そんなプレゼントくれる彼氏って」

「『ジュエリー真咲』の社長、真咲隼人まさきはやとよ。もう、7年の付き合いなの」

 目の前のモリモトルリの話に思わず息を呑んでしまった。

 『ジュエリー真咲』といえば、世界的に展開する大手宝飾品店だ。真咲隼人は世界長者番付ランキングにも載る成功者。彼はファッション事業や旅行業界、介護事業まで手広くやっている真咲グループの御曹司だ。真咲グループが航空会社を設立した時の会見でも、芸能人顔負けのルックスをした真咲隼人が登場した。

(それなら、無職でも⋯⋯問題ない?)


「1日だけお試しで私になってみない? 気に入ったら継続ということで⋯⋯」

 まるで誘うようにルリさんが私の耳元で囁く。

 昨晩、10年付き合った恋人の本性に絶望したのに、夢のような話が舞い込んでいる気がする。




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