夕暮れ時のマイラーノ大橋を、
ルロイは事務所のある南の住宅街へ
向かって一人肩を落として歩いている。
あれから気絶していたギャリックを
起こして引き返す道中、
マティスの死を伝えるとギャリックは
再戦できない悔しさから愚痴をこぼし、
ルロイにしきりと酒場までいって
ヤケ酒に付き合うようせがんできた。
「まぁ、こんな時もあらぁな……
今夜は俺の行きつけの店で
とことん飲み明かそうぜ!
俺は怪我までしてんだ。
一杯目の酒はロイの奢りで、
苦めのエールをよろしく頼むぜぇ」
「まぁ、それくらいなら
今回の仕事の報酬を考えれば、
安い……って、今回はあれ?」
その時になってルロイは、
マティスから仕事の報酬を、
まだもらっていないことに
気が付いたのだった。
依頼主が死亡してしまった以上、
今回は無報酬である。
ギャリックがその内情を知るや、
大爆笑でなおさら、
「プッ、プギャルルガー!!
じゃ、なおの事飲もうぜぇ~
朝までガンガン飲もうぜぇ~」
と飲みに誘おうとするものだから、
癇に障るやらうんざりするやらで
ルロイは一人になりたいのだった。
そして、今ようやくルロイは
ギャリックのしつこい誘いを
断わり一人になれたのだった。
骨折り損のくたびれ儲けの上に、
戦馬鹿と一緒にヤケ酒して散財など、
これ以上恥に上塗りするほど
ルロイは馬鹿ではない。
というより、なれないのだった。
「はあぁぁ……もう、せめて
事務所で一人ちびちび飲みますか」
とにかく、まったくもって、
割に合わない仕事だったと
ルロイはため息交じりに思うのだった。
そんなこんなで、
事務所の前まで戻ってきた
ルロイに思わぬ来客が、
ドアの前に佇んでいたのだった。
「ホント、ごめんな!」
「あなたは……」
特徴的なストロベリーブロンドの短髪、
褐色の顔が哀し気に曇っている。
あの時の、マティスの娘だった。
「何故、僕に謝るんです?」
「怒らねぇってのかよ」
「それはまたどうして?」
「アタシはクソ親父を、
いや、あんたにとっちゃ、
大事な依頼人を殺そうとしたし、
実際親父がくたばって、
くたびれ儲けだったんだろ?」
彼女は目を伏せていた。
マティスは刺客のギャリックを、
返り討ちにしたものの、
結果としてあれから彼女と
再会することなく死亡したことで、
どこか心に後ろめたいものがあるらしい。
それをわざわざルロイに謝るあたり、
根は純粋で良い娘らしい。
「アシュリー」
「え?」
「あなたのお名前ですよ。
違いますか?」
「ええ、でも何故?」
「マティスさんが、
最期に口にした言葉
でしたからね」
夕日の朱の光にアシュリーの
双眸が輝いた。
アシュリーのヘーゼルの瞳の、
優しいすっきりした色合いは、
青みの勝ちすぎた
マティスの双眸と比べて
穏やかな優しさが秘められていたが、
鼻っ柱の強さが時折目の輝きから
垣間見えるのだった。
それだけではない、
かつてルロイが冒険者であった頃に、
そういった眼をした人間を、
自分は確かに見ていたのではなかったか。
「あなたも、
永遠の自由を見つけたいと?」
「え!じょ、冗談じゃねぇ」
アシュリーが顔を赤らめ首を横に振る。
「マティスさんにギャリックを
けしかけたのは、
誰よりも自由でありたい父親を、
本当の意味で自由にして
解放してあげたかった。
そうではありませんか……」
「初めから、親父がフレッチから
墜落死した時から、
全部知ってたさぁ、アタシは……
まぁ、病身の母さんを見捨てやがった
のは今でも許せねぇけどさ」
やはり、正直な娘だとルロイは
何もかも腑に落ちたのだった。
「あのクソ親父の好きな言葉だから。
ホント癪に障るけどさぁ……
私も自由になりたかった。
もうこんなことを
続けるべきじゃないんだって。
お互い不幸になるだけだよ。
人間としてキレイな思い出が
キレイなままでいられる前にさぁ」
アシュリーが感情を吐露しきった。
彼女にとってもようやく
一つの旅路が終わったのだ。
そして、最後に残ったのは希望か
それとも絶望か――――
「アシュリーさんはこれから、
どうするつもりですか?」
「故郷に戻っても家族もいねぇしな。
ここで生きていこうかと思ってる。
かつて親父がいたこの街でなら、
親父がなぜこの道を選んだか
分かる気がするからさぁ。
もちろん、行く当てがないからっ
ていうのもあるんだけど……」
「心配ありません。
あなたほどの心の強さが、
ある人ならこのレッジョでも
やってゆけるでしょう」
お世辞でなしにルロイは、
アシュリーを応援してみせる。
アシュリーのヘーゼルの瞳には、
過去を振り切り未来を
切り開かんとする目の輝きがあった。
その意志の強さは、
きっと父親のマティス譲りなのであった。
「そんな、ことよりスゲェ腹空いたな~」
アシュリーの腹の虫がなる。
ルロイはそれを聞いて微笑ましく笑う。
「その様子なら、マティスさんのことは
完全に吹っ切れましたかね」
アシュリーが照れ隠しの様に、
精一杯に口を尖らせる。
「そう簡単にはいかないよ、
アタシはやっぱ親父みたく
天涯孤独にはなりたくはない。
許せないものはやっぱ許せない。
でもさ、憎んでいても
愛することはできるだろう?」
「なっ――――」
ルロイは、その言葉に全てが
集約された気がした。
それでも、アシュリーは逃げずに
歩んでゆく道を今選んだという事だ。
中央広場の尖塔から鐘の音が鳴っている。
レッジョの夕刻を告げる晩課である。
ルロイもまた、
このレッジョで新たな
人生を歩み始めたとき、
こんな顔をしていたのかもしれない。
アシュリーの中にルロイは
かつての自分を見出していた。
「そうだ、お酒は奢れませんが、
アシュリーさんの新たな門出を
祝って夕飯なら僕が奢りますよ。
ギャリックの行きつけの酒場
なんですが、料理もおいしい
ところでしてね」
「おっ、いいのかよ。
じゃお言葉に甘えて」
アシュリーはごくりと唾を飲み込み、
にかっと屈託なく笑って見せる。
なんでもいい。
今は他人を祝って喜びも悲しみも、
ルロイは分かち合いたい気分だった。
その日、夕暮れ時のレッジョの
日没するところの方角へ、
遥かなる
空色の飛竜が飛び去って行った。
飛竜はすさまじい速さで、
すぐにレッジョ港から臨む西の水平線へ、
あっと言う間に消えていった。
その雄姿を見た者は
揃ってこう言ったという。
夢の中で何かと無邪気に
戯れる子供のようであった。
と――――