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第31話 愛竜の願い

 行く手を阻むギャリックとの対決を終え、

 ルロイとマティスは

 上へと続く階段に近づく。

 そのすぐ横に看板があった。


『これより、幻獣の集落。

 冒険者ギルドの許可なき者の

 断ち切りを禁ずる』


 どうやらここからが幻獣が住まう

 上層の入り口らしかった。

 許可については、既に助っ人を頼もうと

 冒険者ギルドに立ち寄った時に事情を

 説明して取っている。本来であれば

 数日の審査期間が入り、その上不許可

 となるケースが多いものだが、

 魔法公証人のルロイが付いている

 ということで、時間を置かず

 ギルドも許可してくれた。


「さて、今度は幻獣様と

 やり合わねばならんか」


「お……穏便に頼みますよ。マティスさん」


「それは向こうの出方次第だ」


 ギャリックを相手に瞬間移動まで

 会得したマティスは、

 もはや怖いもの知らずであったが、

 本来戦士ではないルロイにとっては、

 切実な願いだった。何年かぶりの戦闘で

 ただでさえ息が上がっている。

 今度ばかりはこれまで以上に

 穏便に済むことをルロイは祈っていた。




 それほど長くもない真っ直ぐな階段を

 駆け上がるとそこは確かに異界であった。

 石造りの建物に混じって、

 巨大な貝殻のようなものが

 屋根瓦としてふかれ、

 骨組みはほんとうに何かの

 生き物の巨大な骨のようだった。

 周囲を見渡せば、

 集落全体が謎の黒い霧に

 包まれており、その黒い霧の間隙を

 縫うように無数の小さな星々のような

 明りが集落全体を照らし出している。

 そんな幻惑すべき光景の真っただ中を、

 住人と思しきリザードマンにノーム、

 エルフと謎の有翼の亜人と言った

 種々雑多な幻獣たちが歩き回っている。


「ここが幻獣たちの集落?」


「こっちだ」


 マティスは現実離れした集落の様子に

 好奇の念を刺激される風もなく、

 ただ自分の愛竜を一刻も探そうと

 躍起だった。幸い先ほどの戦闘の高揚で、

 マティスはフレッチャーの存在を

 知覚する術を得たようであたりを

 見回して迷うそぶりなど一切見せず、

 異形の住人の中を足早に進んで行く。


「その、分かるんですか?

 フレッチャーの居場所が」


「無論だ」


 不安より期待に弾んだ声で言いきられ、

 ルロイも反論する気になれない。

 どうやら階をまたいで、竜の存在を

 感知するマティスの能力は

 更に研ぎ澄まされたようだ。

 やがて、大きな巻貝のような

 住居の前まで来ると、二人の前に

 見間違いようがない空色の巨体が

 ついに目に入ったのだった。


「フレッチ!」


 マティスが歓喜の叫び声を上げ、

 空色の飛竜の呼びかける。


「キュイィィ――――」


 マティスの声に、フレッチャーもまた

 甲高い鳴き声で答える。

 優し気な空色のドラゴンは、

 円らな黒い瞳を輝かせながら、

 マティスに走り寄る。

 やはり、長年の相棒マティスの事を

 忘れてはいないようだった。


「よかった、やっぱりお前は

 死んじゃいなかったな」


 フレッチャーの長い首と抱擁しながら、

 しばらくマティスとフレッチャーは

 再開の余韻に浸っていた。


「ようやく来たのね『蒼天マティス』」


 気だるげな声が再開の感動に水を差す。


「あーあたし、ミラベルってんだけど」


 巻貝の入り口から、

 桃色の波がかった巻き毛を

 櫛で梳きながら優美な姿をした

 ニンフが珍し気な面持ちで二人を迎える。


「詳しい話さ、

 もうその子から聞いてんだ。

 この子なら、数日前ここに来た

 有翼人の商人から買ったのよ」


 改まってルロイとマティスは

 自己紹介をした上で、ミラベルと

 名乗るニンフの説明を聞くこととなった。

 ことの経緯はここより北方を商圏とする

 有翼人の商人が訪ねてきたことだった。

 その商人とは普段からミラベルが

 懇意にしている仲で、

 彼女がこの集落より上層から

 とってきた薬草やら魔鉱石やらを

 買い取り代わりに、妖精族が気に

 入りそうなお菓子やら細かい細工が

 された宝石などを売る。

 有翼人の商人は時折ドラゴンクラスの

 巨獣さえも愛玩動物も扱うと言うから、

 その商魂のたくましさはレッジョの

 冒険者に負けはしない貪欲さである。


「ワイバーン種の飛竜で、

 空色の鱗が綺麗で目つきが

 可愛いんだもので、買っちゃった」


 ミラベルは声を弾ませたあと、

 多少声のトーンを下げて続けた。


「でも、この子買ってしばらくしてから、

 よくよく話を聞いてみるとマティスって

 竜騎士に飼われていたみたいなんだよね」


 ミラベルはメランコリックに

 ため息をつく。

 方法は分からないが、妖精族には

 言語を介せず他種族と意思疎通する

 ことができるらしい。


「それなら」


 希望をもってマティスが

 ルロイに視線を向ける。


「マティスさん。あくまで、

 売買取引時に善意であるか

 否かが争点です。残念ですが、

 占有を開始した後に、占有者である

 ミラベルさんが事実に気が付き

 悪意となった場合でも

 関係はありませんよ」


「ぬぅ……」


 悔しがるマティスを横目に、

 今度はルロイがミラベルに

 ここまで来た経緯と

 自分が魔法公証人であることを説明した。

 ミラベルはさして驚くでもなく

 そういう事ならと、ルロイに

 証書に筆記するための机まで貸して

 手短に協力すると答えた。


「真実の神ウェルスの名のもとに、

 ルロイ・フェヘールが問う。

 汝ミラベルはその売買取引時、

 飛竜フレッチャーが竜騎士マティスの

 所有であることを知らず、かつ

 商人から買い付けた事実に

 偽りはないか?」


「もちろんだわよ」


 あっさり証書が白く光ってしまった。


「これで即時取得が成立しちゃいましたね」


「なんだと!」


 マティスの顔が憤怒の表情に染まる。

 ミラベルは、特にその様子に

 気圧されるでもなく、

 敵意や警戒感なども微塵も見せず

 マティスに向き直る。


「あー心配しなくても、

 あんたの竜なら返してあげるわよ」


「本当か?」


「このフレッチャーに免じてね。

 まったく、本当に律義な竜だわよ。

 かつてのご主人にここまで

 尽くしてるんだから」


「どういう意味だ?」


「え、もしかしてあんた。

 本当に気づいてないの?」


 すっとぼけた感じのだが、

 どこか非難の色をにじませて

 ミラベルは言葉を続ける。


「ここは、『遥かなるきざはし』それは

 天へのきざはしでもあります。

 天へ召される魂が集まる場所。

 つまりはそういうこと」


 語尾の終わるころには、

 まるでミラベルの口調は聖者のように

 マティスとルロイを戒めていた。


「少し待ってください、

 試してみたいことが」


 ルロイは再び机に向かい手早く

 質問文を書いた。書き終わるや、

 ミラベルに向かい口火を切った。


「真実の神ウェルスの名のもとに、

 ルロイ・フェヘールが問う。

 汝ミラベルは飛竜フレッチャーが

 生者であることを証明するか?」


「そのとおりです」


 証書は白く輝いた。


「こういうことですよ、マティスさん」


 厳かに、その言葉をルロイが告げる。

 ミラベルが真剣なそれでいてどこか

 憐れむ眼差しでマティスを見つめる。


「そうか、本当に死んじまったのは

 俺の方だったか」


「これまで、飛竜の加護の元死んだ肉体と

 残留思念があなたをここまで連れて

 来たってワケ。死者の念はより強く働き

 生前の肉体をあり得ないほど酷使する

 こともできるからね。この子、

 あなたの魂をちゃんと天へ送り届けて、

 そして最後のお別れをしたいんだってさ」


「瞬間移動できたのも、

 俺が死んでたおかげだってか……

 笑えるぜ。真の自由と強さを

 得たつもりが、その真逆で……

 俺はあの時ヘマして死んだ挙句、

 未練がましく苦痛と執着に囚われ、

 のたうち回っていただけだったと」


「マティスさん」


「すまねぇ、フレッチ。

 結局死んでからもお前に

 迷惑かけちまったな」


 マティスは再びフレッチャーの

 首を抱き寄せると、

 深々と青き瞳を閉じた。


「もういい。お前は自由になれ――――」


 瞬間、長かった旅路が

 一人の戦士のために

 終焉を迎えたのだった。


 無限の自由を悟り、

 肉体の鎖も、思考の鎖も解き放ち、

 やがて生死の境さえ

 超越する者なり――――


 マティスの体が光ったかと思うと、

 その体が蒼い結晶となって光り始めた。

 マティスの体そのものが、

 この遥かなる階の更に上へと

 崩れ去りながらも昇ってゆくのだった。


「ああ、それとルロイ。

 今更で、悪いんだが……

 俺の娘にも伝えてやってくれ、

 こんな父で済まなかったと。

 そしてお前も自由に

 なってくれと。娘の名前は――――」


 マティスは結晶になって

 天へと召された。ルロイが

 最後に見たその表情に温かな父親の愛を

 見たのは気のせいだと

 思いたくはなかった。


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