しばらく、階段を上り続けると
階段状の床が徐々に緩やかなスロープ状
になって行きやがて真っ平らな階層に
二人は登りつめていた。
それまで通路として、
進むばかりだったこのダンジョンが、
開けた円形の広間のような
場所にたどり着いた。
「ケヤッハアァ!!」
と、同時にルロイにとってひどく
聞き覚えのある奇声が鼓膜を叩いてきた。
「えっ、ギャ……ギャリックさん?」
「いよう、ロイじゃねぇか」
円形の広間に、炎のように逆立つ
オレンジ色の髪をした戦士が一人。
その背後の奥まった場所には上の
階層へ進む小さな階段が見える。
ギャリックは親し気にルロイを呼ぶ。
がその表情は残忍そうに
獲物を見定める獣のそれであった。
「冒険者ギルドに居ないと思ったら、
こんなところに……」
「最近また面白れぇ奴が、
レッジョに来たらしいじゃなぇか。
ここに戻ってからは
滾る機会が多くて嬉しいぜぇ」
「そうですか」
「オメェとは久々の再会だし、
俺としちゃ酒でも飲みながら
オメェと積もる話もしてぇ……」
「はぁ……」
「だが、そいつは殺すぅ!」
ギャリックは長剣を構え、
有無を言わせずマティスへ
獰猛に笑って見せる。
お構いなしすぎてルロイは
意味不明に口を開けるばかりである。
「えっ、なんでぇ!」
「決まってんだろ、オラァ!
強い者との殺し合いにこそ、
戦士は滾るからよぉ!」
狼狽したルロイの言葉にも、
頭に血が上ったギャリックには
全く効き目がなかった。
マティスは無感情にハルバードを
構えて眼前のイカレ外道を威嚇する。
「何だか知らんが、耳障りだ。
すぐに黙らせてやる」
「ヒャハハァ、死ねやー!」
ギャリックがマティスの顔面へ
打ち込もうと、
剣を上段に振り上げた隙に
マティスはギャリックの腹部を
ハルバードで突きを入れる。
ギャリックはその切っ先をはたき斬る。
マティスは右へ踏み出し、
ギャリックの剣を回り込むようにして
皮鎧へ突きを入れる。
ギャリックがバランスを崩した隙に、
今度はマティスがギャリックの
顔面を狙って突きを入れる。
ギャリックは怯まず、
右足を右斜め前方に踏み出し
腕を交差させる構えでマティスの
突きを受け流しつつ、
そのまま剣を頭上へもっていき
マティスの頭に斬りかかる。
激流のごときギャリックの
攻防の切り替えの早さ。
無論、マティスも負けてはいない。
マティスはハルバードを頭上で
回転させ難なく斬撃を跳ねのける。
それから両者は何度か刃を打ち合い、
互いの対決は拮抗状態になっていった。
やがて、両者は一歩引き合い得物を
構えつつも互いの様子を窺っている。
「俺ぁ、『蒼天マティス』と一発
殺りあってみたかったのよぉ!」
ギャリックが心底嬉しそうに
笑って見せる。
「蒼天?」
「フン、今や昔の名だ」
「ヘヒャ、なんでぇロイ。
お前、まさか知らねぇのか?」
『蒼天マティス』
ひと昔前、レッジョでも
他の地域でも名の知れた
マティスの英雄としての称号だった。
蒼いワイバーンに跨る竜騎士で、
数多の戦場やダンジョンを
蒼い飛竜と共に疾駆した傭兵であり、
武人であり、もちろん
冒険者だったこともある。
飛竜と共に大空を駆け、戦う神速の姿が
まるで空の青みと同化して見えたため、
あるいはその自由奔放でとらわれなき
生きざまが空のようであると。
人々は畏敬の念を込めて『蒼天』の
称号でマティスを呼んだものであった。
そんなマティスも一人の女性と結ばれ
娘が生まれると角が取れたのか、
次第に冒険者稼業から遠のいていった。
代わりに、マティスは日がな一日
愛竜に跨って空を
駆けることに没頭していった。
冒険者としてはもう軽く一生分、
自分と家族を養うに足る金額を
稼いだのだ。
残りの人生を遊んで暮らそうが
勝手ではある。
が、マティスはそれ以来
自分を訪ねてくる人とも
めっきり会わず、自分の家族さえも
遠ざける様になっていったという。
その後風の噂でマティスは、
人里離れた山のどこかに
籠ってスピードに取り憑かれ、
愛竜と空を駆けることに
狂ってしまったという。
そんな、無責任でぼやけた噂が
レッジョの冒険者界隈で人々の
耳に入ったのを最後に、
レッジョでマティスの名が
語られることはなかった。
それから何年かが過ぎ去り、
もはやレッジョの人々は
『蒼天マティス』の存在を半ば
忘れかけていたのだった。
そして今―――――
その『蒼天マティス』は忌々しく、
ギャリックを睨んでいた。
ギャリックが説明してみせたことに、
ルロイは納得してみせたものの、
やはり釈然としない何かが残った。
「解せません。マティスさんは
レッジョに来たばかり、あなたの発言は
マティスさんがここにいると
分かっていたかのようじゃ
ありませんか?」
「ヒャア!さっすがロイ。
察しがいいじゃねぇか……
だが、知りたきゃ力づくで
吐かせてみやがれぁ!」
再びギャリックが剣を構え、
マティスに襲い掛かる。
対するマティスはどういう訳か
どこか目の焦点が定まらず、
上の空なのだった。
流石に連戦で疲れが
溜まっているのだろうか。
ルロイの心配をよそに
マティスはなにやらブツブツと
呟いている。
ギャリックはというと、
そのマティスの無関心そうな態度を
自らへの侮辱と受け取ったらしい。
「アヴェヤァア!
よそ見してんじゃねええぇ、
ぶっ殺しぃぃ!」
怒髪天のギャリックの斬撃が
マティスに襲い掛かる。
「マティスさん!」
ギャリックは完全にマティスの
懐へと入り込んだ。
この間合いではリーチの長い
ハルバードでの反撃は無理であった。
あっけない幕切れ、
ルロイは思わず目をつぶった。
次の瞬間、ギャリックの驚嘆めいた
奇声がルロイの耳に響く。
「ノッヒャアァ――――――」
再び目を見開いたルロイは、
事態を飲み込むのに
ひと呼吸分はかかった。
「しゅ……瞬間移動しやがった!だと」
ギャリックから見て、
三歩、四歩ほどややよろめいた姿勢で
マティスは後ろに下がっていた。
思わずギャリックが口にした言葉と
同じことをルロイもまた考えていた。
「今フレッチの声が聞こえた気が
したんだが……これは」
マティスにさえ、
自分の身に起きた事態が
飲み込めていないらしかった。
加えて魔法を使った痕跡もなし。
しばらくの沈黙の後、解せない表情の
マティスが愉快そうに乾いた声で
笑い始める。
「ハハハ……そうか、そういうことか」
「なっ……なんだってんでぇ!」
ギャリックが苛立たし気に声を荒げる。
マティスは上の階層があるはずの
天井のある一転、その先を見ていた。
「今まで微かだったものが、
いまや明白に感じるぞ。俺の近くに
フレッチはこのすぐ上にいる。
俺に力を与えてくれているのが分かるぞ」
「それは、つまり……」
「竜騎士の力の源は竜。
竜との絆と言い換えても良い。
フレッチが近くにいる。
それだけじゃない。
空への憧憬とフレッチとの鍛錬が、
ここでの度重なる闘争本能の高ぶりが、
俺を新境地へと高めてくれた。
さっきのあれはその賜物なのだ」
これまでにない
晴れやかな顔でマティスは、
つい今しがた得た境地を
語って聞かせる。
が、ギャリックにとってみれば
戯言にしか聞こえないであろう。
「ゲヒャ……さっきから何言ってやがる」
ギャリックが我慢しきれなくなり
マティスに斬りかかるも、
その刃は空を切る。
「飛竜教の教えを真の竜騎士とは、
常に自由であり自由そのもの。
ゆえに、時空を越えることさえ可能」
「後ろだと!」
ギャリックのすぐ後ろに
マティス背を向け立っている。
まるで、マティスがギャリックの体を
すり抜けて移動したかのように見えるが、
目の錯覚ではない。
一瞬にして消え、
そして一瞬にして別の空間に
今度は音もなく現れる。
「どうだ?面白かろう……」
ギャリックに背を向けたまま、
マティスは高揚したそれでいて、
穏やかな声で言い切った。
瞬間移動―――――
「そんな、人間技じゃない」
ルロイが見た戦鬼たちとの
マティスの戦いぶりも十分
人間離れしていたが、魔法でもなしに
呼吸でもするかのように
瞬間移動するなど聞いたこともない。
マティスは、ギャリックへ向き直り
ハルバードを中段へ構え直す。
冷厳な青い双眸が光を帯びる。
「飛竜の力の加護を受けし、
真の竜騎士の力思い知るがいい」
翻ってギャリックは、
憤怒の表情で顔を赤黒く染めたか
と思うと病的に顔面の筋肉を引きつらせ、
病的な笑みを浮かべていた。
「―――――っ面白えぇぇ!」
高揚したギャリックが
もはや剣術もなしに
本能と勢いで剣を振るう。
が、やまたもマティスは背を向けた
ギャリックの背後に現れる。
「ポァックルルゥウ、この野郎!」
ギャリックが振り返り、
その言葉を言い終えぬ内にマティスは
ハルバードの石突で、
ギャリックの鳩尾を突く。
鎧越しに嫌な音が響く。
「――――無駄だ」
もはや勝負とは言えなかった。
信じられない面持ちで口を開きながら、
ギャリックは床に突っ伏す。
「流石だな、『蒼天マティス』」
石床に突っ伏したギャリックは、
血を吐きながら呻く。
苦悶の表情を浮かべながら、
どこかその表情は満ち足りた
晴れやかなものに見えた。
「実はな、俺ぁ……あんたを殺すよう
あんたの娘に頼まれたんだ」
「そうかい……」
「『そうかい』だって……へへっ、
何をやらかしたか知らないが、
あんたぁ相当恨まれてると見たぜ。
俺が言うのもなんだが、
きっと、まともな死に方しねぇぜ」
「負け犬の遠吠えか、好きに言うが良い。
俺は全てを超越したのだ」
マティスの眼前に、
既にギャリックの存在など無きに等しく、
次の階層への階段に注がれていた。
ようやく愛竜に会えると、
マティスは一歩を踏み出す。
「オメェよ、確かにスゲェよ。
けど……もっと他人を愛すること
覚えた方がいいぜ」
もはや息は絶え絶えだったが、
ギャリックの声色には諦観と感嘆
二つの感情が同時に響いていた。
マティスは、立ち止まり何かを
思索するように目をつむっていた。
この期に及んで最後の未練を断ち切る
心の準備をしているようにも思えた。
やがて、ギャリックは静かに目を閉じた。
「ギャリックさん!」
「気絶しただけだ」
マティスが厳かに告げる。
そして、忌々し気につばを吐き捨て
歩みを進める。
「馬鹿野郎が……」
怒りをにじませた
マティスの感情の矛先は、
ギャリックに対してかそれとも
自身に対するものなのか。
マティスの背後を見据えながら
駆けてゆくルロイの脳裏に、
一瞬苦悶するマティスの姿が
なぜか見えた気がしたのだ。