「俺は、随分長く気を失っていた。
あいつは、俺を庇って
死んじまったに違いねぇ。
そう思った。だが、あれから一月ほど
経って俺の竜とよく似た竜を
『遥かなる
噂を聞いた。それを頼りに確かに
あのダンジョンの近くで確かに
あいつを見た」
「話の流れは分かりました」
ルロイの眼前の男が悔し気に机を叩く。
男はマティス・ランベールと名乗った。
屈強な体つきに短く切りそろえた黒髪に
無精髭、意志の強そうな鷲鼻と青い瞳。
男らしい精悍な顔立ちと言えた。
レッジョにいる冒険者の中でも、
戦士としての素養は頭が一つどころか、
二つ三つは飛び越えた剛の者であると
一目でわかった。そんな容貌に似合わず、
マティスの顔は蒼白で、
つい今しがた地獄から抜け出して
きたような面持ちであった。
事の始まりは数時間前、
ルロイは驚きと喜びで短い間であったが
童心に帰っていた。
まさか竜騎士が自分の事務所に来る
とはレッジョ、いやこの世に生まれた
男児であれば、一度は冒険者かあるいは
竜騎士に憧れるものである。
竜騎士。
竜の鱗で作った鎧を身にまとい、
相棒たる飛竜に跨り大空を疾駆する雄姿。
冒険者になること自体の敷居は低いので
誰でもなれるが、成功するのは
非常に狭き門である。
が、竜騎士は、まず飛竜を見つけ
相棒としなくてはならないので、
なること自体が冒険者として
成功すること以上に難しいとされる。
そんな英雄と言ってよい人物が
自分の下に来ようとは。
「つまり、自身の愛竜をどうにか
取り戻せないかと」
「もちろんだ」
マティスが語気を強めて頷く。
マティスは事故ではぐれてしまった
愛竜をどうにか見つけ出したはいいが、
見つかった場所がまた厄介にも
『遥かなる階』だという。
「それにしても、『遥かなる
ルロイも何度か耳にしたことがある。
レッジョの中でも最も高い巨大な
塔のダンジョンであり、
その威容はレッジョの並み居る
ダンジョンでも最も存在感がある。
出没するモンスターも百戦錬磨で
相当に手ごわい。それのみならず、
上層部には人間並みの知性を持った
幻獣が住んでいる。
色んな意味で通常のダンジョンと
一線を画す規格外のダンジョンである。
そして、その名が示す通り、
天へ向かって伸びる巨大な螺旋階段
のような塔であり、太古の昔には
無念の思いを残してさ迷う死者の魂を
無事に天へと送り届ける祭壇として
機能していたとかいう伝説もある。
一説には塔の頂上は異次元とも
死後の世界に繋がっているとされ、
基本そこは冒険者であっても
不可侵領域であり、僅かに市の許可を
得た商人と幻獣との間でレアアイテムの
取引が行われる程度である。
「竜の名前は?」
「フレッチャーってんだが、
俺はフレッチの名でいつも呼んでいる」
「さぞかし、頼れる相棒だったでしょうね」
ルロイの言葉に最愛の相棒を
思い出してか、マティスの硬い表情が
少しだけ緩んだ。
「ああ……明るい青色の飛竜で、
大型のワイバーン種だ。
人懐っこい黒い目で、蛇腹のほうは白、
頭部には灰色の角が二本弧を描くように
下向きに伸びている」
「それは、まぁ可愛いですね」
飛竜と言えば、鋭角的な固い鱗と角に
覆われた荒々しい空の幻獣と言う印象を、
ルロイも持ってはいたが、
思いのほか親しみやすい個体も
存在するらしい。
「『遥かなる
遠目だったからはっきりとは
分からなかったが、フレッチらしき竜を
見つけたときには、驚いたよ。
塔の上方で人型の幻獣と
暮らしているようだった」
それを聞いてルロイが頭を抱える。
もっともそれこそが、マティスが
ルロイの事務所を訪ねた理由に
なるのだが。
『遥かなる
は何もモンスターの強さばかりではない。
知能の高い幻獣によって、
集落が作られているという意味合いでは、
ダンジョンの中に街があり
その中にレッジョとは違うある種
独特の秩序が形成されている。
ということでもあった。もっとも、
ダンジョンがレッジョの領域内にある
以上、ウェルスの法を始めとした
レッジョの法律もここでは有用と
いうことになるのだが。
なにせ、モンスターも段違いに強い上、
狡猾な知能を持った幻獣、
交渉やら場合によっては戦闘を
含めてやり合わねばならないとなると、
これまででもっとも過酷な仕事に
なるかもしれないと、
ルロイは気を引き締めるのであった。
「もし、フレッチが生きていたとして、
取り戻せるか?」
マティスの問いかけに、
法典を捲りながらルロイは渋い顔をする。
「無きにしも非ずですね。
即時取得と言って、レッジョの都市法に
こんなのがあるんですが……」
ルロイは本棚にある分厚い本を取り
出しページをめくって、そこを指さした。
「取引行為によって、平穏に、かつ、
公然と動産の占有を始めた者は、
善意であり、かつ、過失がないときは、
即時にその動産について行使する
権利を取得する」
マティスは苛立ちまぎれに
顎の無精ひげを指の腹で撫でつけ、
いよいよ目がきつくなってゆく。
いくらルロイが鈍かろうが、
もう少し分かりやすく説明しろ
という雰囲気がピリピリと伝わってくる。
「要は、フレッチャーの現在の
飼い主らしきその幻獣が正式な取引で
フレッチャーがあなたの竜であることを
知らず買い取り、かつ、そのことにつき
過失がない場合は取り戻せない
ことになります」
「うむ……」
「しかし、その場合でもですね、
一月前の事ですから、元の所有者である
マティスさんには買い取り請求権が
認められますよ。もっとも相手方が
商人に払った代価を弁償、つまり
フレッチャーの買い取り金額をあなたが
払わなければなりませんが……」
「ああ、そうかい……」
マティスは力強く、
だがどこか声色が上の空であった。
まさかその場合、
マティスは幻獣相手に力づくで
フレッチャーを取り戻すつもり
かもしれない。同時に、ルロイは
マティスの様子から何か不自然なものを
感じ取っていた。
ルロイは苦々しく愛想笑いを浮かべ
言葉を続けた。
「あー失礼ですが、マティスさん。
今更根本的な疑念と言うか最悪の場合
があるんですが」
「なんだ?」
「あなたの愛竜が既に亡きものである
可能性があります。『遥かなる
無念の思いを残して死した者の魂が
引き寄せられる場所として有名です。
生前の姿で魂が現れることもあります」
マティスは厳粛な厳めしい表情を
したままだった。その瞳の奥は悲しき
動揺が見え隠れするようだったが、
既に覚悟はできているようだった。
「あるいは、天魔の類があなたに
最愛の者の幻影を見せているのかも、
それにつられて生者を引き寄せて
そのままあの世へ引き込もうとする。
ありそうな話です」
「だから……?」
ルロイが、くどくど後ろ向きの推測を
するものだがら、マティスは憮然と
再び眉を吊り上げ冷たい表情に
戻っていた。
「……まぁ、真実は時として
残酷なものですよ」
ルロイは、歯に言葉を詰まらせながらも
言い切った。
「覚悟はもうできている。
取り戻せないならなら、
せめてあいつの冥福を祈らせてくれ」
ルロイは内心でそれならと、
意を決し机から立ち上がった。
「分かりました。
では共に向かいましょうか
『遥かなる
ルロイも覚悟を決めるしか
ないようだった。