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第18話 農村行政

「――――すぅ、空気が美味い」


 草の匂いが清々しかった。

 ルロイはレッジョの郊外に位置する

 リドの村へ向かう途上であった。

 快晴の日の光を浴び、

 緑の絨毯の上で薫る木々の緑は、

 レッジョ郊外の中で最も美しいと

 ルロイは思う。


「おい、もたもたするな若造。

 最近はなんだかんだと言い訳をして、

 納税を怠る不届き者がいるからな。

 貴様もくれぐれも注意するんだぞ」


 隣を進む馬の上から

 威圧的な声が浴びせかけられる。

 徒歩のルロイが見上げれば、

 身なりのいい官服を着込んだ、

 体躯は固太り気味だが

 顔は神経質そうな細面の中年が、

 馬上の鞍でふんぞり返っていた。


「はいはい」


 公証人の仕事の一環で、

 ルロイはレッジョ市参事会から

 農村行政のため、

 派遣された行政官の書記として

 随伴している。

 その行政官というのが、

 このフランツ・フォン・ギュンター。

 という訳であった。

 レッジョの支配下にある村から

 税金を徴収する仕事の補佐。

 公証人の付随的な仕事の一つである。


「いいか、若造。奴らに甘い顔をするな。

 小賢しい村の奴らは、

 我がレッジョの恩恵を受けながら、

 納める税はあれこれ言い訳をして

 納めようとせん。そもそも……」


 なおも説教じみたお喋りを続ける

 フランツを見上げ、

 ルロイは適当に愛想笑いを浮かべて

 相槌を返す。

 今日一日、フランツの苛立った声を

 聴かねばならないことを思うと、

 せっかくのすがすがしい気持ちが

 曇ってしまうのだった。


「村のみんなは元気だろうか?」


 気分を入れ替えるためにルロイは

 独り言ちる。

 フランツの書記という仕事に加えて、

 もう一つルロイには

 なすべき仕事があった。

 家畜飼育契約の履行確認についてである。

 これはレッジョの市民が

 所有する家畜の飼育を、

 近隣農民に依頼する契約の一種であり、

 契約の満了時にその家畜の

 売却した際の利益、

 すなわち契約期間における

 その家畜の価格の上昇分を、

 両者で折半するものである。

 多くは一年契約であることが多く、

 この時期になると家畜飼育契約の

 家畜の返還時期のため、

 契約が無事履行されたことを

 確認するため、

 ルロイはやってきたのであった。

 こうして、レッジョとリドの村を

 仕事で行き来する内に、

 馴染みになって仲良くなった村民もいる。

 ルロイの脳裏には懐かしい素朴な

 村の人々の笑顔が蘇っていった。

 久しぶりに彼らから世間話をしつつ、

 パン皿に注がれた野菜の

 ポタージュスープでもてなされるのも、

 この仕事の役得であったし、

 なにより常に人でごった返した

 レッジョの界隈から、

 静かな農村に来るだけでもちょっとした

 旅行のような気分転換になるのであった。

 それを思えばフランツの小言など、

 ルロイにとっては、

 まぁ許容範囲ではあった。

 後は、何事もなく仕事が終われば

 言うことはないのだが――――

 その時、

 森の木々の隙間から獣じみた咆哮が

 木霊するのだった。


「何の鳴き声です?」


「まぁ、最近は物騒だからな。

 飢えたモンスターが人を

 襲っているのかもしれん。

 ワシも村の狩狼官を務める冒険者を、

 今回は護衛として雇ってある。

 そろそろ合流地点のはずだが」


 フランツが馬を止めてあたりを見回す。

 ルロイも釣られて

 あたりの草むらに目をやる。

 小鳥のさえずり、

 木々の騒めき、

 緑の匂いを運ぶそよ風。

 調和と平和そのものの風景。

 その中で「ザザ」という

 何かをかき分けながら、

 不協和音が徐々に鮮明に広く

 耳に入っていった。


「グルャッハー!」


 獣じみた絶叫が、

 ルロイの脳天に突き刺さる。

 瞬間、真っ二つになった

 猪型のモンスターの巨体が、

 草むらを突き抜けて鮮血と臓物を

 巻き散らしながら、

 道の中央に勢いよくぶちまけられる。


「――――っ!」


 もはや背筋がひきつり絶叫を

 上げるどころではない。


「アブねぇとろでやしたね、

 行政官殿ぉお!」


 猪モンスターの無残な亡骸に続いて、

 鮮血に濡れた両手剣を持った

 冒険者と思しき男が、

 草むらをかき分け歩み出てて、

 陽気だがドスの効いた声で

 フランツに会釈する。


「馬鹿もん!貴様の方が危ないわ!」


 フランツの叱責にも委縮した様子は

 一切なく男はふてぶてしくしている。

 男はオレンジの髪を額当てで抑え、

 ハリネズミのように逆立てている。

 ぎらついた野獣のような眼、

 嘴のように尖った太い鼻っ柱、

 嗜虐的に引きつった口元から覗く犬歯は、

 そのまま小さい獣なら

 噛み殺せそうだった。

 その有り体から感じ取れる印象は、

 男らしいを軽く飛び越え、

 獣臭いオーラに溢れていた。

 装備は冒険者としては標準的な

 上半身を覆う皮鎧だったが、

 あまたの激戦で酷使されたためか、

 皮鎧は傷だらけで左肩の部分など、

 無残に引きちぎれて肩肌が露出している。

 右肩には鉄製の肩当てを装備していたが、

 肩当てを上半身に固定するベルトには、

 投擲用であろう、投げナイフが

 びっしり括られているのだった。


「常時戦場にあり」


 全身でそれを表現していることは

 嫌でも伝わってきた。


「もしかして、この人が……」


「そう、例の護衛だ。頭はともかく

 腕の方は文句なく一級品だ」


 紹介がてらに

 わざわざ嫌味を言うあたり、

 フランツもこの男を

 持て余しているようだった。


「で、旦那そっちのモヤシみてぇなのは?」


 男が剣の血糊を荒布でふき取りながら、

 せせら笑うようにルロイを一瞥する。


「ワシの書記として随行しておる公証人だ」


「ルロイ・フェヘールです。

 以後お見知りおきを」


「おう、俺はギャリックってんだ……」


 いかにもという感じの名前であった。


「最近、あんまし暴れてないからよぉ。

 退屈で堪らん。で、血が見たくて

 この仕事を引き受けた訳よぉ」


「はぁ……」


 それからギャリックも加わり、

 今度はギャリックの身の上話に、

 ルロイは付き合わされている。

 ルロイの呆けた態度に、

 ギャリックも苛立ったように

 ため息を吐き出すのだった。


「はーっ、あんな猪豚一丁絞めたとこで、

 まだまだ滾らねぇよぉ」


 既に血糊をふき取り終え、

 剣身の白い鋼を日に輝かせ

 ずっしりとした両手用の大剣を、

 片手で軽々振り回して見せる。


「あっ危ないから、やめて下さい」


「おい、ここでそんな剣なんぞ

 振り回すんじゃないこの馬鹿!」


 馬鹿にハサミは何とやらである。

 ギャリックと出会ってから、

 ルロイは薄々感じ取っていた

 悪い予感を確たるものにしていた。

 いつもの経験上、

 これは嵐の前の静けさが

 過ぎ去ろうとしているのだと。


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