とにかく、じっとしていても始まらない。
あれこれ試案しながらルロイは
街の中を歩き始めていた。
ピカーニとマッティの二つの大通りが
十字に交差する中央広場を南に横切り、
街の象徴でもあるマイラーノ大橋まで
ルロイは戻って来ていた。
が、何やら騒がしい。
橋のたもとには野次馬らしい通行人が
争い合うような怒号と、
周囲の悲鳴が橋の中央部から聞こえた。
また公示鳥に八つ当たりしている
不届き者が騒いでいるのだろうか、
とルロイが群衆の隙間をくぐって
大橋の中央部に目をやる。
直後、爆発音が響く。
閃光と爆風から
ルロイは反射的に手で顔を覆う。
視界が回復する間何やら焦げ臭い異臭が
ルロイの嗅覚を支配した。
どうやら高位の火属性の
爆発式魔法らしい。
「これは……」
やがてあたりの光景が
見えるようになって――――
「熱い!火、火が!」
「冗談じゃねぇ、
こっちまで殺されちまわ!」
「おい、どけ!邪魔だっての!」
最前列ではないことが幸いし
ルロイは爆風で吹き飛ばされることも、
火傷を負うこともなかった。
が、ルロイの前に居た野次馬どもは
気絶している者、
衣服に飛び移った炎を消そうと
川へ飛び込む者。
面白半分で見ていたものの、
ついに命の危険を感じ取り
喚き散らしながら、
橋の北岸の方へと逃げ出す者同士が、
押し合いへし合いで阿鼻叫喚が
広がっていた。
「おっと、失敗したかなぁ?」
野次馬どもが消えうせ
見晴らしの良くなった橋の中央で、
意地悪そうに笑う女の美声が
ルロイの耳に響く。
ルロイが橋の石畳に目をやると、
皮や鉄札でできた鎧に
手には得物としてダガーや、
メイスを手にしたいかにも冒険者
といったいで立ちの男たちが、
ゴツゴツした小石や
鉱物らしき破片が表面に密集した、
巨大なゴーレムの前にして
倒れこんでいる。
ゴーレムはおそらくは泥と
砂礫でできているのであろう、
二足で仁王立ちしつつ幾本もの
触手じみた腕を、
ずんぐりした胴体からうねうねと
くねらせている。
「うぐぅ、この魔女めぇ……」
石畳に突っ伏している一人が
忌々しそうに吐き捨てる。
「いい加減、パウルの旦那の元へ
来てもらおうか」
メイスを構えた一人の大男が喚く。
パウルが言っていた手は打ってある、
とはどうやらこのことらしかった。
表向き刃傷沙汰はレッジョでも
法律的にご法度とは言え、
そこは冒険者たちの集う街である。
争いごとが起これば自力救済が当たり前。
死人を出すとか、
無関係の市民を多数巻き込むとか、
あるいは市当局のその時の
裁量から言って、
それほどひどいものでなければ、
冒険者同士の決闘やこうした武術など
持ち合わせていない、
パウルのような金持ちの市民が
冒険者を金で雇い、
代わりに実力行使に出ることは
レッジョではよくある事だった。
「あまり騒がしくしないでもらいたい。
それでも私を捕縛するというなら、
このゴーレムがそのまま君たちを
たい肥にする!」
不遜に笑うその人物は、
丸いフェルト帽に長いコート、
丈夫そうなブーツを履いていた。
遠目からでもエルフと分かる長耳と、
風にそよぐプラチナブロンドの長髪は、
思わず道行く人々も足を
止めてしまいたくなる美貌と言えた。
「調子づきやがって。こんの、アマ!」
挑発に我慢できなくなった
血の気の多そうな一人が、
両刃斧を両手で握りしめながら
怒号と共に突撃する。
おどろおどろしい威容を誇る
ゴーレムといえども、
そのコアを破壊してしまえば
一気に無力化できる。
が、力任せに振るわれる斧が
ゴーレムの触手にすくわれる。
直後、哀れな被害者を
その体内へと飲み込む。
「あ~あ……言わんこっちゃない」
「ひっ、人を食いやがった!」
襲い来る襲撃者を飲み込んだ
異形のゴーレムは、
モシャモシャと咀嚼するかのような
不気味な音を上げると再び、
大口のような穴を胴体の中央部に開け、
ペッと大きな腐った肉塊を
吐き出したのだった。
「しっ、死体!」
「腐っている!」
「なんだあのスライムみたいのは?」
性懲りもなく橋の梁に隠れていた、
野次馬の一人が絶望的な悲鳴を上げる。
その肉塊はどうにか人間らしい
原型を保っているものの、
腐食部分を蛭のようなスライム型の
モンスターに吸われている。
「あ、そうそう言い忘れてたけど、
この泥型ゴーレムはこのメリーダ河の
川床に堆積した、
アレやコレで造られている」
丸い帽子のエルフは、
すっとぼけた感じに言葉を吐き出す。
「なっ、なんでぇ!アレやコレって」
冒険者たちのリーダーらしき
むさ苦しいヒゲもじゃの大男が、
顎鬚を撫でつけながら突っかかる。
「質問を質問で返してアレだが、
君は普段下の処理とか
どこに捨てている?」
「なにぃ?」
一瞬、何を言っているのか分からない。
とばかりにいら立った表情を
浮かべていた顎髭の大男は、
エルフはいつ気づくかな?
とばかりに意味深な笑みを浮かべ、
時折川辺へと視線を移す度に、
大男は急に顔色を青くしていった。
「ま……まさか」
「そう、レッジョの住人なら
みんな知っている事だ。
で、それを餌に虫やらダンジョンから
染み出した謎の無脊椎モンスターとかが
川底にうようよいたりするのさ。
このドブサライヒルものその一種と訳だ。
食欲も大層旺盛で数十匹も群がれば、
人間の死体さえあっという間に
溶かして食っちまうのさ」
「げぇ!」
「で、どうなると思うね。
コイツに喰われた哀れな被害者は?」
美しい上品に整った顔立ちが、
ギトギトと嗜虐的に歪んでゆく。
「キメぇし、キタねぇ!」
エルフのどすの効いた話しぶりに
周りの野次馬たちも圧倒されていた。
先ほどのゴーレムに飲まれた男が
吐き出された。
息はあるようだが川床にこびりついた
堆積物にまみれ、
その悪臭異臭に気絶して
泡を吹いているのだった。
「あー、
勘違いしないでもらいたいんだがね、
アレやコレのなかには
メリーダ河中流から上で、
溺れ死んだ水死体も含まれる」
エルフは先ほどの腐乱しヒルに食われた
肉塊は、その成れの果てだと説明したい
らしかったが、
もはや誤解を解くには
目の前の光景は強烈すぎた。
「どうだ、実に驚異的だろう!」
エルフは歪み切った満面の笑みを
浮かべるも、
既に彼女を襲撃しようとしていた
冒険者たちはもちろん、
野次馬として集まった市民でさえ、
彼女の度が過ぎた振る舞いに恐怖を覚え、
ついには橋どころか北岸のあたりからも
一斉に退散してしまっていた。
「やぁ、ようやく会えたってところかね?」
エルフがルロイに声を掛ける。
今回の事件のカギを握るであろう、
人物の顔をルロイは真正面から見据えた。
「お初にお目にかかります。
リーゼさんですね?」
エルフらしい細く尖った耳に
切れ長で深い緑色の瞳は、
深く研ぎ澄まされた知性と共に、
狂的なまでの芯の強さがにじみ出ていた。
口元は常に冷笑的を浮かべ、
見る者を挑発し続ける神をも嘲笑う
不遜さに満ちていた。
「改めまして、いかにも私がリーゼだ。
ふーん。アンタがジジイの言ってた
公証人か」
リーゼが切れ長の瞳を細め、
端正な口元をニヤリと引きつらせる。
このじっとりとした挑発的な言葉と
冷笑さえなければ、
英雄叙事詩に出てくる
高貴な姫君そのものであった。
「ルロイ・フェヘールと申します。
今は、ヘルマンさんの遺言の件で
お聞きしたいことがあります」
ルロイの言葉で全てを察したのか、
リーゼは穏やかそうに一度だけ微笑み、
あとは発作的に腹の底から
病的な高笑いを上げるのだった。
端正で秩序だった顔立ちが
醜悪なそれでいて、
心底幸せそうな笑みへと歪んでゆく。
ルロイが気圧されていると、
リーゼはもったいつけたように
唇に人差し指をあてがい、
ルロイを嘲るように犬歯を見せた。
「ふぅん。早速だが一つ、
謎かけでもしようじゃないか」
「謎かけ?もう、
悪ふざけはいい加減にして下さい!」
「まぁ、そう言うな。
これから言う事はアンタが
今抱えている事件の、
重大なヒントなんだからさ」
「ヒント?」
なおもまごついているルロイに
構わずリーゼは言葉を続けた。
この世に赤き竜ありき、
その憤怒は鱗の端々まで赤黒く、
雄々しき怒れる姿は
生あるもの全て畏怖し奉る者なり。
失われし幻を抱き、
その面影はいと深く赤竜の体に刻まれぬ。
心は清き怒りに満ち、
原初の想いに身を捧げる。
遥かなる我がレッジョに帰りし赤竜は、
方々から闇夜を舞い、
己が血潮の滾りを、
その牙の煌めきを
星々のごとく輝かせる。
人々は川面に移ったその姿に
ひれ伏したもう。
赤き竜は踊り狂い、
やがて全身はち切れその数々の臓物を
赤き雫として地に降らせる。
竜の血と皮、骨、臓物が世の一時の平穏、
偽りを滅ぼし、
再びその身を隠し狂えるごとく
この世を去りぬ。
まるで吟遊詩人であるかのように、
リーゼが朗々と歌い上げる。
「その一節は?」
「まぁひと昔まえに、
今の月ごろに謳われていた
レッジョの古い歌さ。
今や覚えている者もほとんど
いなくなってしまったが。
それにしても、フフ……
臓物のくだりは実に露悪的だ!」
リーゼはふつふつと心底愉快そうに
歪んだ笑みを浮かべ、
ルロイに何やら挑戦めいた視線を
突き付けている。
「ええ……少しですが、
思い出せました。
自分がまだ駆け出しだったころ
ヘルマンさんから、
同じ歌を聴いたことがあります。
確かおごり高ぶった街の市民や
冒険者を罰し、
レッジョを更新する破壊神として
君臨する。
そんな伝説がこの地にあったそうです」
レッジョの古い伝説に
赤竜降臨祭という者がある。
このレッジョの建国神話で、
もともとレッジョは周囲に
災厄をもたらす赤い悪竜の巣であり、
その悪竜を倒した名もなき
勇者によって開拓されたのが、
今のレッジョであると言う。
その後討伐されたはずの悪竜は
年に一度蘇り、
レッジョの悪さをしている人々を
食らいつくし、
焼き尽くし最後はその身をも焼き尽くし、
肉体の残骸は地に帰り、
魂は天に帰ってゆくという伝承である。
また悪が滅ぼされ世界が
生まれ変わる神話とも、
錬金術で最高の秘術である、
賢者の石をもたらす存在
ともいわれている。
そんな謎めいた存在であると共に、
力の象徴でもある赤竜が年に一度、
レッジョに降臨する時があるのだという。
その赤竜を崇めその霊験に
あやかろうというお祭りがあったが、
今や年寄りの一部が覚えているばかり
となっている。
「そこまで知っていりゃ、話が早い。
すっとぼけちゃいるがアンタ、
ジジイの希望とやらに本当は
気づいているんじゃないか?」
「今日の夜、街を火の海に沈める。
それも実に嗜虐的に……」
リーゼはゴーレムの肩に腰を下ろし、
心底愉快そうに嘲笑って見せる。
「なんだって!」
「私を止めたいなら、
ジジイが書き残したそれを、
必死に解いて出直してくるんだね」
「あとはまぁ、
私から僅かばかりのヒントだ。
使い方はモリーにでも聞くと言い」
リーゼはコートの内側から
小石程度のものを取り出し、
ぞんざいにルロイに投げてよこした。
薬液の入った小瓶のようだった。
「なっ、ちょっと、本気ですか!」
「魔法公証人に公証されちまう前に、
私は退散させてもらう。では……」
最後まで言い終わらない内に、
リーゼはルロイに背を向けて、
ゴーレムの頭部につかまり、
そのままゴーレムが大きく跳躍すると、
無謀にもメリーダ河へと飛び込み、
そのまま上流へ向かい
ルロイの視界から消えてしまっていた。
「言いたいことだけ言って、
立ち去るのみですか……」
パウルとモニカと言いリーゼと言い、
ヘルマン氏の周囲には人の話を
聞かない手合いが多いのかと、
ルロイはリーゼが立っていた場所に
視線を移す。
すると魔法陣らしき円形の光る軌跡が、
消え入る瞬間をルロイは目聡くとらえた。
「あながち、
悪い冗談でもなさそうですね……」