赤い椿が良く似合う女性が、息を切らしながら夜道を走る。
その後を、血相を変えた役人が、険しい顔で追った。
「あの女……」
“何処へ行った!”と、夜の町に役人の怒砲が響く。
「あの女は、神聖なる白蘭 《ビャクラン》様に手を出した不束者だ!」
“なんとしても捕まえろ!”と、役人が再び叫ぶと同時に、部下達が蜘蛛の子を散らすかの如く、あちこちへ駆け出した。
その様子を息を潜めて見ていた、薄汚い着物を着た男が、同じく物陰に身を潜める女性に
「今なら大丈夫」
と、小声で告げる。
それが合図となり、女性は役人達が目をつけなかった路地裏を駆け抜けた。
淡い月明かりに照らされたその路地裏の先には、役人達が崇める白蛇の化身である白蘭 《ビャクラン》が待っているはずである。
「百蘭 《ビャクラン》様、只今……」
女性は寒さで凍えた小さな唇で、愛しき男性の名を口にしながら、走り続けた。
事の起こりは一年前の冬。
この年はいつもよりも雪の降る量が少なかった。
次の夏に日照りでも起きたら、町の人達は食べ物に困り、最悪死を選んでしまうかもしれない。
それを心配した白蛇の化身である
その帰りの出来事である。
心を痛めた彼は、憐れむ瞳でそっと近寄り、元気が出るよう祈りながら、痩せ細った幹を擦ったのである。
その日の夜、
彼女は、昼に
その瞬間、二人は恋に落ちる。
お互いに監視が光らせる目を掻い潜り、逢瀬を繰り返していくのだった。
「何処でこんなことになってしまったのだろう……」
知らぬ間に誰かが逢瀬を目撃し、
(あり得る話ではないわ)
「それとも……天が見ていたのだろうか?」
だとすると、この先とても厄介なことになる。
化身同士は、どちらかが人間にならないと、一緒になれないという、いつの間に作られた片寄った約束が、天に
しかし、その約束事は全くの
恐らく、化身同士との間に生まれる子供の能力が、人間と少し違う為に、世の中が生き辛くなることを見越して、そんな禁止令をたてたのでだろう。
いずれにしても、この場から逃げ出さないことには、彼等に
路地に入ってから数分たった頃。
1人の男性が、地にしっかりと足を着けて立っていた。
彼は、一言も言葉を発することなく、息も絶え絶えに走って来るであろう
「
“ご無事で何よりです!”と、歓喜の声をあげながら走り寄る
“お会いしたかった……”と、潤んだ瞳で抱き締めた刹那、彼女の両手にぬるりとした感触が伝わる。
恐々《コワゴワ》と見たその手には、赤く生温かいものが、嫌という程ついていた。
そして、
愛しの彼は、もうこの世に存在していないのだと。
その途端、声無き声をあげる
気付く間もなく、彼女もまた天に招かれてしまう。
その人物が2人の息の根を確認し、姿を消した数時間後。
彼等の
不思議なことに、その雪は2人の姿が消えて無くなるまで、溶けることはなかったという。
お仕舞い
令和5(2023)年8月12日5:35~8月17日7:56作成
お題「雪」「椿」「ヘビ」