戦術やフォーメーションなどの話題でひとしきり議論をした男たちの目は光り輝いていた。時々「妖精の隣は譲らない」だとかで火花を散らしていたが、フロンティアにはよくわからなかった。
どうやらその手の内容は彼らを満足させたらしく納得した彼らは一人、また一人と寝入った。起きているのは火の番をしているクロウとやっぱりうまく寝付けないフロンティアだったが、寝袋の中で必死に寝ようと努力していた。が、それも虚しくただの寝たふり状態だ。
薪のなくなったのかクロウの離れていく気配を感じ、もぞもぞと這い出す。
(きっと体がべたつくから気持ち悪くて寝れないもかもしれない。)
そう結論付けてコートを脱ぎ、寝袋の上に乗せると湖に向かって歩き出す。皮のブーツが濡れることもいとわず吸い込まれるように水に入った。魔法属性があるせいかこの時期なら冷たく感じるはずの水もフロンティアにとってはそうでもない。
湖の中心へと少し歩いたがあまり水深は無いらしく肋骨のあたりから進んでも深くなる気配がない。結んでいた髪を解けば絹糸のような髪が水面に広がる。大きく息を吸って潜ってみる。特に生き物らしいものも見当たらず湖面に顔を出し仰向けに浮かぶ。
星がよく煌めく。などど思って手を伸ばせば指先に光が宿る。その光は一つ、また一つと増えていき笑い声が聞こえる。
『森の子』
『ドライアドは久しぶりだな。』
『でも人の子だ。』
羽虫のように膜のような羽をはばたかせうっすら光るソレは口々に言いたいことを言っている。全体的に緑を基調とした彼らは森の妖精だとすぐわかる。
そっと体を起こし湖底に足を付けるとさらに数が増える。
『森の子は我らの仲間。』
『じゃぁ、仲間の仲間は我らの仲間?』
『いやいや、あれは獣の雄じゃないか。』
『我らの眷属は人気者だ。』
『いったいどれを選ぶのだ?』
『まてまて、選ばないかもしれないぞ。』
『それは楽しそうだ。』
『しっぽを垂らした獣が見れるのは楽しかろう。』
妖精は基本的に人の話に耳を傾けないとフロンティアは経験上知っている。なのでその話の内容をあまり深く考えないようにしている。
(そもそも選ぶとは?)
聞きなれない言葉に人族とは別の価値観を持つ隣人だと思い出しそろそろ戻らなければと思い岸を振り向けばクロウが立っていた。
月明かりに照らされた真っ青の髪はさらさらと風に揺れ、見開かれた瞳は湖面を反射してキラキラと輝いている。フロンティアにはそう見えた。
(綺麗な人だなぁ。)
その姿を目に入れたまま呆然と思っていれば勢いよくその身が湖面に跳ねた。水を含んで重くなったのかマントの紐ををもどかし気に引き脱ぎ捨て、膜を張った瞳が迷子のようにフロンティアを見つめている。
一体何事かと彼を見つめているとしなやかな腕が伸びてくる。頭と背中に当たる暖かくもごつごつした感覚に剣を握る人の手とはこういうものなのかと思いつつも押し付けられた厚い胸板から心臓のなる音がする。そのリズムが思いのほか早い。
「クー?」
顔を確認しようと見上げたいのに身じろぎ一つできず、むしろ抱きしめられた腕に力を込められてしまい、気配を窺う。
「頼むからいなくならないでくれ。」
耳にささやかれた懇願に心臓が跳ねる。
「また失うなんて嫌なんだ。」
切なげに込められる言葉をただ黙って聞く。
(また?一体何のことだろう。)
疑問には思うがクロウの様子にそれを訪ねることができず、代わりに安心させるようにそっとその背中に手を添えた。
「私は、ここにいるよ。」
安心させるようにゆっくりとつぶやくと、頭の上で一瞬息をのむ気配がした。
「―――っ、ああ。そうだ、ティアはここにいる。ティア、ティア・・・・・・。」
熱の籠った声は耳をくずぐるように囁かれ、縋るように自身の名を呼ばれてフロンティアは赤面する。こんな風に名前を呼ばれるたこどがこれまであったろうか。
否。
異性など父と弟、叔父くらいしか触れあったことがない。その誰もこんな呼び方などしたことがなかった。だからこそこのように名を呼ばれてどうしたらいいのかフロンティアはわからない。安心させるつもりで手を回したけど、それからどうしたものかと考える。クロウの心を落ち着けてあげたいと思うのに、その心とは反比例するようにクロウは落ち着かなくなっていく。
「ティア、ティア。」
抱きしめられた腕は一度緩んだかと思うとまた力を込めて掻き抱かれる。そのたびに彼の頬が髪をくすぐり、こめかみに擦り付けられる。
そのしぐさに遠い昔の光景が頭をよぎる。
(そういえば、父さんもたまにこうして母さんに甘えてたな・・・・・・甘え・・・?)
もう一度抱きしめられ肩がピクリと跳ねた。今までになかった反応に再び腕を緩めたクロウはフロンティアの顔を覗き込み色気のある笑みを受かべる。
「ああ、ティア、嬉しい。」
また強く抱かれて感嘆の声が囁かれる。息が止まるのではないかと思う。
「ティア、もっと俺を見ろ。俺だけでいい。」
耳元でささやかれて生暖かくも柔らかいものが触れた。粘りを持つ水音が左の耳に響いて背中がゾクリとし、肩を竦めて思わず目を見開く。声にならに声が口から洩れる。
「―――っ、あ、ぁ。」
自分の口からこんな声が出るのかという驚きと身の上に起きていることに戸惑うのに、弄ぶように与えられる感覚に体の反応は止まらない。
「ティア、そんな反応されたら止まらなくなる。」
くすりと笑ってちゅっとリップ音を立てて離れていくものの、整った漆黒の双眸はふっと細められてフロンティアの目じりに唇を寄せる。
どうやら何だが滲んでいたようだ。
「俺は天にも昇れそうだが抜け駆けはしたくないからな。風邪を引く前に戻ろう。」
先ほどまでの余裕のなさを打ち消すように落ち着き払った声に導かれてフロンティアは水から離れた。