しかしソンリェンはめげず、不定期に酒を持って現れた。
「毎回手土産持ってこなくていいよ。お小遣い節約しないと」
シウは同い年の後輩を気遣う。
初訪問の
だがソンリェンはきっぱり首を振った。
「お酒を飲むといいことがあります」
「いいことって?」
「シウヒョンの物理的距離が近くなります。あっ、離れないでください」
後で頭が痛くなったり記憶をなくしたりしないので、それなりに酒に強いつもりでいた。
(部屋が狭いからだ)
――それと、ソンリェンが絵を描けと誘うから。
ちょっと言い訳がましい気持ちになって、目の前にあるソンリェンの足の甲を筆先でくすぐる。
だが動物毛の感触に完全に慣れたのか、ちっとも効かなかった。
「シウヒョンは、ダンスレッスンのときTシャツの裾で汗を拭くでしょう。その一瞬、薄いお腹とおへそのピアスが見えるのが最高なんです」
なんてトークを繰り出す。
再度アイドルを目指す説得については、直接的な言葉では手応えがなかったからか、シウをおだてる作戦に変えたらしい。
「はは、へそピアスなんて調子に乗り過ぎてたよ。もうしない」
「してください。……やっぱりしないでください」
それでいて、カトクのIDは訊いてこない。
まったく諦めが悪いんだかいいんだか。
おかげでシウは、毎夕五分の片づけを日課にせざるを得なくなった。
ソンリェンが来るかもしれない。
来たら絵の練習になる。……来てほしいわけじゃない。
カチリと爪を噛む。
(まあ、悪い習慣ではないけど)
説得と何か関係あるのか、ソンリェンは絵も必ずねだった。
ソンリェンが来たら、お互いレッスンと習作で代わり映えしない毎日だから話題も少ないし、「Ⅰ」同士だしで、酒を飲みながらおしゃべりするというよりは、アパートの壁際に積んである画集や雑誌をめくったり、ペーパーバックを流し読んだりして過ごす。
いくばくか経つと、ソンリェンがシウの横顔をちらちら見始める。
そして唄うように言うのだ。
「おれの骨に絵を描いてください」
今日は、脚を伸ばせるようになった床で、ソフトデニムをたくし上げて膝を露出した。
(さてはこの子、自分の身体のあらゆる骨が美しい自覚があるな)
最初こそ戸惑い、うまく描く自信がなくて消極的だったシウも、この閉ざされた部屋の止まったように流れる時間の中、ソンリェンの骨になら――と変わりつつあった。
何も為していないのにご褒美だけもらっているような心苦しさは、まだあるけれど。
パレットに、六等星色と、何かの代わり色と、満ちそうな未知色が並ぶ。酒で溶くと鮮やかになるものもあれば、ほぼ消えてしまうものもある。
シウは筆でそっとソンリェンの骨を撫でた。
絵を描く間、ソンリェンは少し声が上擦る。
あるときは、シウがさっきまで読んでいた小説の脇役に共感して涙ぐんでいるのをめざとく気づき、
「シウヒョンは御感受性が豊かなぶん、孤独も敏感に感じてしまう人です」
などと高めの声で言ってきた。
「それがダンスにも表れています。ヒョンがつくる静謐な世界を、いつも、ずっと、練習室のお鏡越しに見ていました。おれはアイドルが何かわからないまま入社しましたが、レッスン初日にヒョンを見て『世界を創る存在』なんだってはっきりわかりました」
(大げさだなあ)
――きみと僕とは違うのに。
きっと、おだて作戦のために盛っているのを隠しきれないのだろう。嘘を吐くのが下手な子だ。そこが彼のいいところでもあるけれど。
確かにダンスは技術の他に「目を惹く」という尺度があり、グループのメインダンサー級のアイドルはみな、固有の世界観や色を持つ。
ただしシウはそんな大層な練習生ではなかった。むしろソンリェンのほうが異国情緒漂う独特の表現力を内包している。
あるときは、作業のために顔周りの髪を結んだシウをしげしげ見て、
「左眼の奥二重がありません」
「あー、あんまり見ないで。もう二か月近く死んでるから。埋没で両眼揃えようかとも思ってたけど、安上がりで済んだかもねえ」
「逆にもったいないです。絶対生き返らせてください。ヒョンの眼は中国では雌雄眼と言って、才能がある人相です」
ときた。
シウはこらえ切れず吹き出した。
「どうして笑いましたか?」
「うんにゃ」
――もし才能があったなら、今ここでこうしていない。
結論は出ている。
骨折り損でかわいそうだが、ソンリェンの説得は聞き入れてあげられない。
シウはもうアイドルを目指さない。
ただ、練習生生活というのは競争が激しく、トレーナー陣の講評も容赦ない。心身をすり減らす中、シウの部屋で過ごす束の間が彼の気分転換になっていたらいいと思う。
だから、今後も追い返したりはしないつもりだ。
「できたよ」
今日の骨は鎖骨だ。逆さに留まった蝶の出来映えに、ソンリェンが恍惚とした表情を浮かべる。
シウも充足を噛み締める。
彼の骨に絵を描く度、シウの隙間が得も言われぬ何かで満たされていくのもまた、ソンリェンを拒絶しない理由のひとつだった。
「うわ、傘差さずに来たの?」