「――ダンスの先生に『そんな出来映えじゃ中国に帰ってもらうよ』って言われてさ、『この顔をすぐ帰すのはもったいないと思います』って返したの、今でも面白いよ」
「自分の考えを述べただけです。ちょうどシウヒョンに『もったいない』ってお言葉を教えてもらった日でしたし」
くく、と息ともつかない笑みを漏らす。
チキンとおまけのチーズボール(初対面の配達員をどうやって骨抜きにしたのか)と白酒を並べられるだけの床を何とか確保し、立て膝で向かい合うこと二十分。
ソンリェンは明日も朝からレッスンだろうし、宿舎を長く留守にできまい。小さな「約束」を果たしたらさくっと切り上げるつもりだった。
だが、薫り高くさっぱりとした白酒は、濃い味つけのチキンとよく合う。
シウがチキンの骨をしゃぶれば、すかさずソンリェンが小酒杯代わりの紙コップに酒を注ぐ。
杯が進み、昔話の蕾がふくらむのも仕方ない。
身体もだいぶ温まった。
ベッドと窓を背景に片膝を抱える後輩を、ちらりと窺う。
目の縁がほんのり赤く染まっている。最初の乾杯のとき「お強いと思います、中国人なので」と豪語していたが、彼だって生まれて初めて酒を飲むのだ。
「リェニ、カンフー披露したり膝に乗ってきたりしないの? レッスンの休憩時間のときみたいに」
シウはふにゃりと首を傾げ、ソンリェンの酔い具合を探る。
……あれ、思ったより力が入らないかも。
「ヒョンはいつもお膝もお肩も貸してくれないじゃないですか」
「うん。お肩じゃなくて肩ね」
「
ソンリェンは対照的にしっかりした口調で応え、立ち上がろうとした。
途端、長い脚の先が落ちていたパレットに引っ掛かる。
「あぃや」
「わあごめん、靴下が汚れちゃう」
シウは慌てて身を乗り出し、絵の具がこびりついたパレットを回収した。後輩の手前、部屋が狭いし(宿舎は狭過ぎだ)片づいていないしで、恥ずかしい。
「ヒョン」
そんなシウの気も知らず。めずらしく近づいたシウの顔を、ソンリェンがじっと覗き込んでくる。
「絵を、始めたんですか?」
「……うんにゃ。僕はもともと芸術高校の美術科に通ってたんだ。それが舞踊科の視察に来たYK社員さんになぜかキャスティングされて、練習生になって、転科もして、絵はお休みしてた。で、退社して、美大を目指す浪人生に戻ったってわけ」
目線を上げないまま、この三年間をダイジェストで説明する。せっかく練習生生活と両立させた高校の卒業式には出席しなかった。
手元のパレットで、月の裏側色と、夢の残滓色と、かなわない憧憬色が混ざり合う。視界にフィルターが掛かった感じだ。
思えば子どもの頃から、大勢で遊ぶより絵を描くのを好んだ。勧められて始めた練習生だが、もくもくと踊るのは意外と性に合った。自分の世界をつくっていく感じが共通している。
「御退社されたこと、後から知りました」
「
ソンリェンが歯切れ悪くつぶやく。シウはからりと笑う。
練習生の顔ぶれは流動的だ。シウだって何度も仲間を突然失った。
月末評価をクリアし続け、各事務所数年に一度のグループデビューまで辿り着けるのは、ほんのひと握り。
ソンリェンは手酌し、くっと呷った。白酒はもう瓶の底一センチも残っていない。
尖った顎を下げるや、まっすぐシウを見据える。
「やっぱりおれは、ユン・シウにアイドルになってほしいです」
――本題はこれか。
たとえソンリェンに言われようと、唇が震えたりしない。退社から今日までの間に見切りはつけた。
適当に近くの紙屑を拾い、開いてみせる。秋の
もうひとつ、丸めたクロッキー紙を開く。半分に割った
「……?」
中途半端な正座状態のソンリェンが、習作とシウの顏とを交互に見る。
実はこれらの習作には共通点がある。
「僕さ、別に人間好きじゃないんだよね」
隠しているわけではないが誰にも言ったことのない事実が、つるりと零れ落ちた。
「嫌いってことですか」
「そういう強い気持ちすらないってこと。だからたくさん人に好かれたり好きをあげたりするアイドルは、向いてない。それでも練習生を頑張ってたのは……、アイドルからたまに人間の尊くて美しいものを味わえる瞬間があって、それは好きだから」
「たとえば?」
シウは少し考えた。言葉で明示するのは難しい。楽に描けたら絵を学ぶ必要もない。
何かないか。……ああ、すぐ近くにあった。
おもむろにソンリェンの顏を両手で包む。
「きみの骨とか。神様が『アイドルになりなさい』って特注したんだって、ひと目見て思った」
目の覚めるような骨の存在を知ったのは、練習生になってからだ。先輩アイドルでさえ全員が持つわけではないそれを初めて目の当たりにして、興奮で眠れなかった。
特にソンリェンの骨は奇跡的だ。きめ細かい肌も付け合わせでしかない。
見るより触るほうが立体感がわかりやすい。高い鼻根、頬の曲線を堪能する。
「だったら、おれの骨の絵を描いてください」