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第84話 私は人形になる身なんです






 漸く一つの結論に達した澄美怜すみれ


―――分かった。何もかも。あの人がひたすら陰からくれてた無償の愛で私が生きる事が出来た。だからこの人の為に命を捧げられたんだ。


 日記は本当だった。その感情は確かに私に蘇った。だったら私が今出来る事、やはりそれは……



 彼を自由にさせてあげたい。



 泣くなんて許されない。そんな場合じゃない。兄さんが私の世話だけに人生を投げるのを見たくない。もうウンザリだ。そんなの絶対にイヤなんだよ、兄さん!……



 澄美怜すみれは更に心を閉ざした。


 そう、これでも無理だった。やっぱり友達にさえさせない。次に話せる時が残り少ないチャンス。早く切らないとこの人を犠牲にしてしまう……


―――もう完全に縁を切るしかないんだ!



 いつしか吹っ切れた顔になっていた。


 兄さん、別れはいつでもつらいけど、精一杯相手の為に尽くした事、必ず届いてるはず。


 そうだよ、私の記憶が飛んだのに感情だけが残って繋がりが消えなかった様に……

 この絆は遠く離れる事になってもきっとどこかで繋がっていて、それは寂しくても悲しいものではないんだよ。


―――私きっと、いつまでも感謝しているよ。だから今は……ホントゴメンね……



 遂に覚悟を決めた澄美怜すみれ。もう悲しんで等いられない。


 兄の為なら今は幾らでも自分を欺けた。




◆◇◆

 落ち込む深優人みゆとから事情を聞き出した百合愛ゆりあは、その日、たっての願いで澄美怜との対話の機会を設けてもらっていた。


 永遠園家のリビングに二人、記憶喪失後、初の対面となった。


「澄美怜ちゃん、機会をくれてありがとう。会ってくれないのではと思ってたから……今更のタイミングでごめんなさい。

 でもあなたがとても考えこんでしまっていると聞いて、そして深優人みゆと君も本当に困ってて、それで私からも少しだけ伝えたい事があったから……」




 その透き通る様な麗しさ―――少し溜め息をついた澄美怜すみれ



「本当に美しい方なんですね。日記では度々出て来ました。私もちょっとお逢いしてみたかったです」


「……澄美怜すみれちゃん。今日は本音を伝えに来たの」


「本音……」


「そう。だから単刀直入に言うわ……私達は幼い頃から同じ大切なものを求める者同士。

 でもあなたにとって彼は今、私より遥かに必要なものな筈。なのに距離を置いて……心に嘘をついている。彼の献身を素直な形で受け止めるべきだと思う」


「……幼い頃の記憶は今はありません。でも確かに今の私にとって彼は諦めかけた私に新しい命を吹き込んでくれた人。こんな体と記憶の私にもの好きにも献身的になってくれる人は今後きっと現れることはないでしょう。

 でも日記であなたの事、よく知ってます。だから心に嘘をついているのはあなたも同じなのでは? 兄とあなたは運命の人、そう位置付け合っている」


「確かに今回の決断は私には生半可なものではなかった。彼には本当にたくさんのものをもらった。でもあなたという大切なものがある以上、これ以上求めるのは誰の為にもならない。

 それに…… あなたはひとつの命を救った。大袈裟に聴こえるかも知れないけど、彼の存在は私の生存理由。遠くからだって想うことは出来る。でもこの世から消えでもしたらそんな事すら出来なかった。だからあなたは私にとっても恩人なの。

 そんなあなたを守り、共に生きて行こうとする彼の決断を、どうか信じて受け入れて欲しい。

 そして彼を守ったあなたに彼の人生を任せたいと思う私の願いも」


「ありがとう。私も一度はそんな風に思ったんです。ただ……まだあまり人には話してないんですが……」


 僅かに躊躇ためらいながらも溜め息混じりに息を整え、



「……私は人形になる身なんです」


「え……人形?」



「実はこの不随の範囲が拡大していて……近い内に私はきっと植物状態になる。これからは私の在存こそが彼に最悪な呪縛をしてしまう在存なんです」



 硬直と共に眉をひそめ言葉を失う百合愛ゆりあ


―――しかし直後、強い眼差しを向ける。



「……だとしたらあなたが人形の様になった後、彼は自分だけノウノウと幸せになれる人じゃない。あなたがどんなに突き放しても見捨てられない人だって分かるでしょ? どうなってもあなたに寄り添い続けるはず。どちらを選んでも逃げられないのよ」


「じゃあ、どうすればいいんですか?! 私はあの人を不幸にしたくありません! ……それが唯一の願いなんです。だからどうか、どうか見捨てて下さい」


 首を横に振る百合愛ゆりあ


百合愛ゆりあさん、兄さんも……どうか……どうかお願いします」


「……あなたの煉獄を分かったなんて言えない。きっと死よりもぬるくない状況だから……

 でも、あなたを捨てなきゃならない彼の煉獄は、きっとあなたと同等以上なはず。あなた以上に苦しみ、自分を呪う事になると思う」



―――多分そうだ……かつてちょっと遠ざけただけでどれほど落ち込んだか、日記に有った……やはり誰より兄を知ってる人だ……


「でも…」


「だから澄美怜すみれちゃん、せめてあなたを捨てない煉獄にしてあげて欲しい! そこには僅かでも光がある。温かい思い出だってある。それを糧にして生きて行ける。

 お願いだからこれ以上遠ざけようとしないで。そんな事をしたら彼は自分を責めて……責め抜いて……きっと死んでしまう……

 だってあの人は言わないけど私には分かるの……彼にも生来の闇があるって事……その為にどれだけ私達を大切にしてきたか……」


 ……あの人にも……闇がある……?


 そんな風に考えた事も無かった澄美怜すみれは寸時固まり、息が止まった。







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