「きみ、和服が似合いそうだね」
そう声を掛けてきたのは、メガネをかけた背の高い男だった。貧乏なのだろうか。なぜか膝が擦り切れたズボンを履いている。
「うちのサークルに入らない?」
お決まりのフランクなお誘い。この時期、各大学のサークルは新入部員の勧誘に余念がないのである。
「なんのサークルですか?」早紀は白糸の滝のように長い髪をかき分けて訊いた。
「お茶とか飲みながら、みんなでわいわい騒ぐカードゲームのクラブだよ」
早紀はこれまで空手に専念してきたので、文化部というものに多少の興味を持っていた。
「なんか
彼女はまぶしそうにメガネの男を見上げた。陽だまりのようなのんびりとした
「時間があったら今から見学して行かない。君みたいな美人が来てくれたらみんな大喜びだ。ちなみにぼくは、部長の
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そこは畳敷きの部屋だった。
「日本の伝統文化ってやつさ」
二人一組になり、並べられたカードに向かって前傾姿勢を取っている。読み手が和歌を吟じだすと、すかさず手が動き、
「速見さん。これは・・・・・・」
「百人一首だよ。今のは“払い手”といって、押さえるよりも素早く札を取る方法なんだ」
「多く札を取った方が勝ちということですね」
「まあそうなんだけど、厳密に言うと自分の陣地の札がなくなった方が勝ちになるんだ」
「自分の陣地?」
「百人一首の競技は100枚の札を全部使うわけではない。使うのはそのうちの半分で50枚。相手と自分が25枚ずつを、手持ち札として自分の陣地に配置するんだよ」
「あの3段になっている札が陣地ですか」
「そう」
「でもおかしくないですか。相手陣地の札を取ってしまったら、相手の札が減って行きますよね」
「早紀さんエライ。よくそこに気がついたね。相手陣地の札を取ったら、自分の陣地の札を1枚相手の陣地に移動する。これを“送り札”という」
「間違った札を取ってしまったらどうなります?」
「読まれた札が、陣地内にある札であればお手つきにはならない。陣地内にない50枚の空札の中から読まれた時にはお手付きになり、その場合にも送り札になるね」
「歌を知らなければ話にならないということですね」
早紀は腕を組んで感心している。
「まあそうだね。上の句が詠まれた瞬間に下の句の札を捜さなければならないからね。だけど、和歌を覚えることはとても優雅な心を育ててくれるからお勧めだよ」
心技一体が空手の極意ならば、百人一首も同じこと。
早紀はこのサークルに入ることに決めた。
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あれから一年が経過し、早紀は圧倒的な力をつけた。
その洗練された美しい払い手には、誰もが目を奪われるのであった。早紀が払うと、一陣の風が起こり、札が宙に舞う。
彼女は空手の突きを、百人一首に応用したのだ。
「速い」
「今なにが起こった」
「ぜんぜん見えなかったぞ」
周囲からそういう声が聞こえた。
「それに彼女の美しさと言ったら・・・・・・」
誰もが早紀に憧れを持って見つめていた。
競技かるたのプレースタイルはだいたい2つに分かれる。自陣を守る“守りかるた”か、敵陣を責める“攻めかるた”である。早紀のスタイルはどちらとも言えず、攻めにも守りにも強かった。
人並はずれた早紀の記憶力は、札の配置にも工夫が施されていた。通常は同じ字で始まる下の句を、覚えやすいように固めて並べるのが普通である。
たとえば“は”で始まる「はるの」「はなの」「はなさ」などは上段右に、“き”で始まる句「きみがためを」「きみがために」などは中断左に、一字で確定する“む・す・め・ふ・さ・ほ・せ”などは下段右に配置するのだ。
試合は開始前の15分は、札を暗記する時間に当てられる。当然のことながら自分が覚えやすい配置は、相手からも覚えられやすいのである。
早紀の配置は、誰が見ても無造作に置かれているとしか思えない、バラバラな配置だったのだ。彼女は25枚の札を、自分にしか分からない歌になるように繋げていたのである。
早紀の試合が始まると、会場には大勢の男性ファンが集まって来た。
「どうです速見部長。今日の早紀さんの感じは」
百人一首では、反応(反射神経)のことを“感じ”と表現する。
「まずまずだな」
会場の廊下はあたかも朝のラッシュアワーの電車の中のように人があふれていた。
上の句が詠まれる。すかさず早紀の指が反応した。バサッと一束の札が木の葉のように宙に舞った。
払い手をするときには、正解の札以外に触れることを反則ではないかと勘違いするひとがいる。しかし百人一首では、当たり札周辺の札ごと外に弾き出すことが許されているのである。
どよめきが起こった。
「早紀ちゃんかっこいい」という声援も聞こえる。
係員が静かにするように注意をくわえた。しかし、この騒ぎは一向に収まりそうにない。
早紀はすっくと立ちあがると、スタスタと廊下に近づき、集まっている男子たちを右手で一気に
「うるさいわねぇ。あなたが好きだって言ってるでしょう!」
倒れた男どもの山に向かって早紀が言い放つと、何事もなかったかのように席に戻った。男性陣はきょとんとして顔を見合わせている。
対戦相手の女子が小さな声でささやいた。
「早紀ちゃんの気持ちはわかったけど、あの払い出された中のいったい誰が本命なのよ」