「や、まずいぞこれは。完全に遅刻だ」
わたしは焦っていた。
今日は『訪日外国人旅行者インバウンドの今後を考える』という講演会が、わたしの住んでいる近隣の公会堂で開催されることになっていた。わたしはそこで有識者として意見を述べることになっていたのだ。
会場から家が近くて安心し切っていたのが間違いだった。昨夜は目覚まし時計も掛けずに寝入ってしまったのだ。おかげで目覚めたのが、講演会開場の30分前だったのである。
わたしは取るものもとりあえず、適当に歯を磨き、髪を撫でつけ、パジャマの上からワイシャツと背広を身に着けると、首にヨレヨレのネクタイをぶら下げて家を飛び出した。
全力疾走で会場の入り口を駆け抜けた時には、すでに満場の入場者が着席しており、すっかり会場が出来上がっていた。わたしは咳払いをひとつして、何事もなかったように壇上に上がりニッコリと聴衆に笑顔を振りまいた。そして落ち着いてマイクの位置を直して話しはじめた。
「お待たせしました。経済評論家の
会場は一瞬ざわついたが、すぐに拍手の波が押し寄せて来た。いい感じである。
「まず、わたしが言いたいのは、とにかくお金さえ持ってきてくれればそれでいいということです」
満場の拍手が沸き上がった。
「よろしいですか。そして、最も注意しなければならないのは、外から害のあるものを絶対に持ち込ませないことです。病気なんぞは最悪のパターンですな」
会場全体が感心したというように大きく頷くのだった。
「最初は奇異な感じがするかもしれませんが、彼らには普通に接してください。特別扱いをする必要などありません。いわば旧知の仲、古くからのお友達だと考えればいいのです」
「なるほど」という声があちらこちらから漏れ聞こえてくる。
それからいろいろ適当に話をふくらませた。
「・・・・・・最後にもう一度申し上げます。金です。金さえ落としてくれればそれでいいのです。我々の暮らしが豊かになるのですから」
満場の拍手の中、わたしは会場を後にした。
その時ふいにマナーモードに設定してあった携帯電話が鳴りだした。世話役の女性の声だった。
「はい、丹波です」
「先生、もうお時間がだいぶ過ぎています。発表の順番を入れ替えて対応していますが、間に合いますでしょうか。まさか、隣の会場にいらしてたりしてませんよね」
「え?」
わたしは振り返り、お題目の看板を見た。
そこには『亭主元気で留守がいいを考える会』と書かれていた。