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監視員のお仕事

「ちょっと寒いんざますけど」

 ぼくは美術館の監視員をしている。常にお客様に、よりよい環境で観覧できるよう、日々つとめているのである。

「誠に申し訳ございません。当館の決まりで、温度と湿度は一定に保たれておりますので、何卒ご理解くださいますようご案内させていただいております」

「あっそう」

 ザーマスおばさまは、まるで嫌いな犬でも見かけたかのようにソッポを向いて行ってしまった。ここの空調は、そもそも観覧客のためではない。作品を保護するためにあるのだ。


 ぼくはまた、姿勢を正し、静かに椅子に腰掛けた。平日は静寂の中で、睡魔との闘いだ。しかし今日は連休ということもあり、大勢の観覧客が詰めかけていた。

 その中でも、最も気をつけなければならないのは、お子さま連れの家族である。なぜならば、子供は何をするか分からないからだ。彼らは悪気が無くてもはしゃぎ、走り回り、絵や彫刻に直接さわろうとする。しかもその手には、さきほど食べたチョコレートの残りカスがベッタリはり着いていたりするのである。監視員としてはたまったものではない。

「太郎ちゃん。大きな声を出したらダメよ。ほかのお客さんにご迷惑だからね」

 親御さんの注意をよそに、操縦不能な子供が活発に動き回っている。ぼくは微笑みを絶やさずに、影のようにさりげなく家族連れに近づいて行った。

 そして、危険を察知すると、まるで最初からそこに用事があったかのような顔をして、作品と子供のあいだに体を滑り込ませてガードするのである。これは職人技だ。

 家族が驚いた顔でぼくを見ても、それを穏やかな微笑で返すのが監視員なのだ。


 次にあらわれたのは、眼鏡をかけた紳士だった。彼はしばらく絵画を眺めていると、おもむろに内ポケットからなにやら細長いものを取り出した。どうやらメモを取るようだ。

 その持っている物を特定しなければならない。美術館で使用する筆記用具は、基本的に鉛筆のみ許されるのである。

 凝視しても特定できない場合には、例によって影のように近づいて確認するしかない。声など掛けるのはもっての他だからである。仮にそれが鉛筆だった場合、館長に対して苦情が申し付けられることを覚悟しなければならない。

「たいへん申し訳ございません」

「なに?」

 紳士は何かねという怪訝な顔をぼくに向けた。

「恐れ入りますが、当館は消しゴム付きの鉛筆や色鉛筆の使用はご遠慮願っております。受付に通常の鉛筆を貸し出しておりますが、お持ちしましょうか?」

「え、そうなの。これもだめなんだ」

 男はひとつ勉強になったという顔をして、素直に応じてくれた。これでひと安心である。鉛筆以外を排除するのも作品を保護するために他ならない。


 実はここだけの話だが、我々監視員はお客様の立場対美術館の立場を、6対4の割合で考えている。

 今日のような休日は、ときどき波のように団体客が押し寄せてくることがある。こういう場合、自分のテリトリー以外にも目を配ることで監視員仲間との連携を取ることが大切である。ましてや、お子様が複数人いる団体ともなると、こちらの神経は休まることがない。


 そんな状況下にあり、ぼくはひとつのミスを犯してしまった。子供にばかり気をとられ、地方から上京してきたばかりといった、いかにも人畜無害に見える中年男性が視界から消えていたのだ。

 彼は一枚の絵画の前で立ち止まり、やおら手提げバックの中から筆を取り出したかと思うと、なにやら上から描き出したではないか。

 ぼくは頭の中が真っ白になり、他の観覧客をかき分けて彼に突進した。そして筆を持つ男の腕を掴みあげ、大声を上げていた。

「あなた。なにをしているんですか!」

 とたんに近くにいた観覧客が遠巻きに我々を取り囲み、四方から仲間の監視員が集まってきた。

「どうしたんだ?」

 館長が血相を変えて走ってくるのが分かった。

「このお客様が」

 ぼくは、逃げようともがく男を必死に押さえつけていた。

「あ、もしや轟とどろき先生ではありませんか?」と館長が言う。

「いかにも。おい、この手を離せ」

 ぼくは何がなんだか分からず館長の顔をみた。

「きみ。この絵の作者の轟甚五郎とどろきかんごろう先生だ。腕を離しなさい」

 ぼくは素直に男を開放した。

「先生。来館されるならひとこと言っていただければよろしかったのに」

「そんなことは知らんよ。一人のお客として絵を観たかったのだから」

「・・・で、いったい何をなさっていたので」

「うん。わしの絵画だけサインが無かったのでな。書き加えておこうかと・・・」

 いくら作者といえども、展示品にサインするなんてやめてもらいたいものだ。

 ぼくは作品名を見た。

 『傍迷惑はためいわく』と書いてあった。

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