一生のうちに二度とない出逢いとは、何の前触れもなく、突然やってくるものである。
プリンス・レコードの社長、
「シャンソンや民謡や演歌もいいけど、我社もそろそろ今風の歌手が必要だと思わないかね」
「社長。ごもっともなご意見です」
運転手の山田がハンドルを操作しながら返答する。
「ちょっとラジオを着けてくれないか。そろそろうちの新人歌手が歌番組で紹介される時間なのだ」
「承知しました」
山田はラジオのスイッチをONにし、周波数を指示された民放ラジオ局に合わせた。軽快な音楽と共に、ラジオアナウンサーの声が流れて来た。
“やあやあ、みなさん。一週間のご無沙汰でした。今日はこれからデビューする新人歌手の歌と、街でみかけた素人バンドの特集であります”
「ほうこの番組、素人の曲も流すようになったのか。ラジオ局も相当ネタに困ってるらしいな」
覚田は葉巻に火をつけて煙を吸い込んだ。
“最初のバンドの名前は『リリカル』です。どうしてこんな名前を?”
“そうですね。心に残る深い感動を与えたいっていう意味でつけました”
寝ぼけたように低く悠長な受け答えだった。なんだこいつは、どこかの田舎から出て来たのか。
“なるほど。今日はスタジオに自主製作のLPレコードを持ってきていただいています。それではお掛けしましょう。リリカルで、『愁傷アマリリス』です”
次の瞬間、軽快なテンポでリリカルの曲が始まった。先ほどのボケた感じからは想像もできなかった。歌い出しが物凄く早い。ビートが効いている。
「おい、山田。あそこの電話ボックスで車を止めてくれ!急げ。これだ、おれが欲しかったのはこういう音楽だ」
運転手は急ブレーキをかけて路肩に停車した。覚田は転がり落ちるように電話ボックスに駆け込んだ。
「おい、今のリリカルを出してくれ。いま本番中?おれはプリンスの覚田東次郎だ。今すぐリリカルを電話口に出してくれ。ああ、頼む。責任はおれが取る・・・・・・。・・・・・・あ、わたしはプリンスレコードの覚田という者だが、君たちはまだどことも契約していないのだな。そうか、すぐに我社と契約しよう。他から話が来ても断るように。いいね、これからそちらに行くから待っていてくれ」
覚田は電話口でそれだけまくし立てると、車に戻って行った。
「どうでした」
運転手の山田が後部座席の覚田に声をかける。
「うまくいったよ」
覚田はふうと息を吐いて呼吸を整える。「ラジオ局に向かってくれ」
その時、ラジオから慌てたアナウンサーの声が流れて来た。
“大変失礼しました。ちょっとした手違いがあったようです。先ほどのレコードですが、33回転のところを間違えて78回転で回してしまったとのことです”
その後リリカルの、ゆったりとしたお経のような曲がおだやかに車内に流れ始めた。