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頑張れ

 1936年(昭和11年)8月11日。ベルリンオリンピックにおいて、NHKの川西三省かさいさんせいアナウンサーは「前畑がんばれ!」を23回も連呼した。

 そしてこの声援に応えるかのように、前畑秀子まえはたひでこ選手は200m平泳ぎで、みごと日本女性初の金メダリストに輝いたのである。


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「現在“がんばれ”はNGワードに指定されているんだ」

 髭をたくわえた太った紳士が、眼が細く短髪でやせ細った男と話しをしている。

「はあ」

「なぜだか分かるかね」

「いいえ」

「心の病が労災認定されたからさ」

「心の病・・・・・・ですか」

 短髪の男は自分の胸を指さした。

「そうなんだ。がんばれは人をさらに追いつめることになりかねないからね」

「追いつめる・・・・・・」

「がんばるの語源はふたつある。知ってるかい」

 太った男は指で髭を整えながら言う。

「いいえ」痩せた男は首を振った。

「ひとつは“眼張る”・・・・・・目を見開いて、あることを集中してやり続ける。もうひとつは“我がに張る”・・・・・・自分の気持ちを曲げることなく最後までやり抜くことだ」

「なるほど」

「頑張ってるひとに対して、がんばれと言うのは相手に対して不快感を与えてしまいかねないのさ」

「不快感をですか」

「例えばだ、お前がすごく頑張っているとするじゃないか。あるいはもう頑張りすぎてヘトヘトだ」

「はい」

「そこへわたしが無神経にも『がんばれ!』なんて言ってみろ。“本当はすでにがんばっているのに”とか“ガンバレってどうやったらいいんだ”とか、“もうこれ以上無理だよ”なんて感情がふつふつと湧きあがってしまうだろう?」

「そうですね。心が病んでしまうかもしれません」

 太った髭の男は、やせ細った男の肩にやさしく手を置いて言った。

「いいか。これからはがんばり過ぎないことだ」

「がんばり過ぎないって・・・・・・いったい」

「具体的には、いきなり頂上を目指さず、目標を小さく小刻みにすること。そしていくぶん速度を下げてみること。そして自分自身をほめてあげることだ」

 短髪の男は頭を下げた。

「いろいろありがとうございます。なんとなく分かりましたが、それでこんな時、具体的にはどうお声を掛けてくださるのでしょうか」

「いい質問だ」太った男はにっこり笑った。「楽しんで行こうぜ!」

「あの・・・・・・自分はこれから死刑に処される身なんですが、いったい何を楽しめとおっしゃるんで?」

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