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個室病棟

風村かざむらさんの病室はこちらの個室になります」

 その日、看護婦長に付き添われて、ぼくは病院の個室に案内された。看護婦長はやせていて、看護婦というより修道女っぽい感じのする中年女性だった。

 何ごとも頑張りすぎるのはよろしくない。若くして会社を立ち上げた自分にとって、仕事こそが生きがいだった。休むことなく働いたおかげで、ぼくは胃を悪くしてしまった。今日から病院に検査入院することになったのだ。

 他人と一緒の部屋で寝起きすることが苦手なぼくは、多少無理をしてでも個室病棟こしつびょうとうのある大型総合病院で検査をすることにした。入院費用はかさむが、余計なストレスを抱え込むよりよほどいいと思ったのだ。


「失礼しまあす」

 明るい声がして、若い看護婦がバインダーを小脇にかかえて病室に入ってきた。

「風村さん。お熱を測りましょうね」

 にっこりと笑うその看護婦の左胸に『吉崎』というネームプレートがチラリと見えた。色白で華奢なスタイルをしている。目がクリッとして大きい。髪は茶髪で短くカットしている。制服のポケットがパンパンに膨らんでいるのは、ペンやメモ帳、ガーゼやテープ、消毒剤などがごちゃごちゃに入っているからだった。

「はい、こちらでお願いしまーす」

 ぼくは頷いて、差し出された体温計を脇に挟んだ。

吉崎薫よしざきかおると申します。風村さんの担当です。よろしくお願いしますね」

「こちらこそ。看護婦さん、お若いんですね」

 まるでアイドルみたいですねと言おうとしたがやめておいた。

「実はまだこちらに来て日が浅いんです」

「こちらというのは・・・・・・」

「昨日まで小児科だったんです」

「小児科ですか」

「あそこだと。お子さんは可愛いんですけど、出会いがないんですよね」

「出会いって、男性ってことですか?」

 なんか、大胆な発言をする看護婦である。ぼくは吉崎薫の顔を見た。

「・・・・・・」看護婦はぼくの腕を凝視したまま動かない。

「あ、ごめんなさい。ついクセで患者さんの血管を観察しちゃうんです」

「血管?」

「針が刺さりやすそうとか、刺さりにくそうとか」

「なるほどね」

 ぼくはなぜか安心して微笑んでしまった。

「風村さんはIT企業の社長さんなんですか?」

「まあ、一応そうですけど」

「じゃあおモテになるんでしょうね」

「そんなことありませんよ。看護婦さんぐらいの可愛い女性ならいつでも大歓迎なんですけどね」

「まあ、そんなこと言って。看護婦さんじゃなくて薫って呼んでいいですよ」

「やめてくださいよ。そんな風に呼べるわけないじゃないですか」

「じゃ吉崎さんでいいです」

 薫は頬をぷっと膨らませた。

「そんなに怒らなくても。・・・・・・じゃあ薫さん」

「はい」

 薫は明かりが点灯したかのように嬉しそうに答えた。

「薫さんぐらいの看護婦だったら、お医者さんが放っておかないでしょう?」

「あら、そんなことないですよぉ。医師と看護婦の恋なんて、テレビドラマの中だけの話ですよ。実際にそういう仲になることはほとんどないんです」

「どうしてですか?」

「若い先生はほとんど売れちゃってますし、お互い相手の能力とか嫌な面とか分かっちゃってるから」

「はあ、そういうものですか」

「退院したら、薫とデートしてくれませんか。彼女いらっしゃらないんでしょう?」

「ほんとうですか」

 なんかすごい展開になってきたぞ。その時ノックの音がした。

「風村さん。入りますよ」

 ドアが開くと眼鏡をかけた医者と看護婦が現れた。

「あ、それではわたしはこれで」

 そう言うと、薫はペコリと頭を下げて出て行ってしまった。出て行くときに、ぼくは彼女がチラッとウィンクしていくのを見逃さなかった。ぼくは心の中で小さく手を振った。

 医師が言う。

「それでは検温をお願いします」

「は?いまの看護婦さんがやってくれましたけど」

「看護婦?ああ、彼女はここの患者ですが、どうかされましたか。うちは精神科も併設しているのでね」

「!?」

 そこへ先ほどの修道女のような看護婦長がドアの隙間から顔をのぞかせた。

「武島さんと小野田さん。そう言うあなたたちも精神病棟の患者じゃないの。いいから自分の病室に戻りなさい。風村さんごめんなさいね」

 ぼくはますます胃が痛くなってきた。

(そう言うあんたは、本当に婦長なのか?)

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