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サーフィン

「優作。今日の波の状態はどうだい?」

 ぼくはサーフィンをやり始めてようやくひと月になる。今日は休みが取れたので、朝早くから波のチェックに余念がないのだ。

「なに朝っぱらから。スマホで調べりゃいいじゃねえか」

「ネットは確認したよ。でも生の情報が気になってさ」

「バカ野郎。おれはまだ寝てんだよ!」

 電話を切られた。友は海の見える場所に住んでいながら、サーフィンをほとんどやらない愚か者なのだ。

 え、ぼくがチャラいだって?とんでもない。サーフィンは根性がなければできないスポーツなのだ。

 まず、“ゲティングアウト”(岸から沖に向かってパドリング・・・・・・いわゆるボードに腹ばいで手漕ぎ)するだけでも体力が必要になる。

 そして次々と押し寄せて来る波を“ドルフィンスルー”と言って、ボードごと波の下を潜って行かなければならない。波の冷たい冬などはこれが結構つらいのだ。

 次に沖に出て、いい波を捕まえたら“テイクオフ”(波に押されて板の上に立つ)する。

これには腹筋と背筋と瞬発力が必要になる。上手にライディングするには、それなりの集中力と体幹の強さが必要だ。

 これらはハーフマラソンを完走できるぐらいのスタミナと、アスリート並みの強靭な肉体が必要になる。

それをチャラ男ができるかと言えば、答えはNOだ。華やかな外見ばかりを見てはいけない。その下の努力がいかなるものかを分かっていただきたい。

 しかたがない。ぼくは優作を起こしがてら、愛車のワーゲンにシングルフィンのロングボードを積んで家を後にした。


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「なんだまだ寝ていたのか」

 ぼくが優作の家に着いたときにはすでに朝日が昇っていた。優作があくびをしながら起きてきた。

「どうでもいいけど、お前に波乗りなんか教えるんじゃなかったよ」

「サーフィンショップの店長がなにをほざく。モーニングでも食べに行こうぜ」

 ぼくらは海の近くの喫茶店に入った。

「オフショア(陸から海に吹く風)2mか。まあまあだな」

 優作がフレンチトーストを口に含みながら言う。

「今日のスポットはどこがいいと思う?」

「どこでもいいじゃん。この間と同じところがベストだろう。オーバーヘッドも期待できるかもよ」

「優作はやらないのか」

 ぼくはコーヒーでトーストを流し込みながら言った。

「あとでちょっと顔を出すよ。あ、それから夕方新しい板が入るから、ちょっと乗ってみてくれないか」

「どんなボード?」

「ハーレー・ブッシュマンが出す、画期的な初心者練習ボードなんだとよ」

「いいとも。まあ、ぼくは初心者だし。お安い御用さ。無料で新しいボードに乗れるなんて友達がショップやってる特権だもんな」


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 その日、ぼくは何度も波に乗った。

 毎日電車でつり革につかまりもせず、バランスをとる練習をしているせいか、すこしずつだが体幹が鍛えられているような気がする。

 初心者なのに、ロングボードを操っているのが恥ずかしいが、優作にタダでもらったのだから文句も言えない。なるべく上級者の邪魔にならないように波乗りを楽しむのだ。とくにスキンヘッドのサーファーには近寄らないようにしている。

 ぼくの場合、ようやく波に乗ったかと思ったらすぐに“ワイプアウト”(海に落ちる)してしまう。

「おっかしいなあ」

 ワイプアウトをする度に恥ずかしいので、フィンの向きをチェックする振りをしたりする。

 ときどき子供たちも波乗りにやってくる。余裕で波を譲ってやると、この子供がめちゃくちゃ上手かったりするのには舌を巻く。

 夕方になってようやく優作がやってきた。

「おおい!これなんだけど」

 ぼくはヘトヘトになりながら浜辺で待つ優作のところへパドリングして行った。

「これが新しいボードなの?」

「そうなんだ」

「何が違うんだよ」

「周囲の上級者の動きを感知して、同じようにライディングできる機能を持ち合わせているんだそうだ」


「どういうこと」

「この専用ウェットスーツ、ブーツ、グローブ、アイガードを身に着ける。するとこのボードとシンクロする。アイガードで上級者がライディングするのを目で追うことによって、同じ動作が可能になる仕組みだ」

「マジか。すげーな。でももう夕方だからこれが今日最後のライディングになるぞ」


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 ぼくは新しいボードを持ってゲディングアウトした。波待ちをして、いくつかのセット(3、4本の波のうねり)をやり過ごす。上級者がテイクオフするタイミングを図る。

 この新製品がなぜ画期的なのか、それはサーフィンというスポーツの難しさに起因する。まず、自然を相手にしているので、同じ波というものが2つと来ない。波は高い、低い、速い、遅い、激しい、おだやかなど千差万別だ。だからサーファーは毎回違う環境で波に乗ることになる。

 したがって他のスポーツのように、初心者だからといって一定の状況下でスロープレーで馴らさせることができないのだ。初心者が上級者の技を極めるのは至難の業と言えよう。だからこそサーフィンは最高に難しいがゆえに、最高に楽しいとも言えるスポーツなのだ。

 このボードは初心者が上級者の身体の動きをコピーしてくれる機能を持っているという。初心者なら誰しもが欲しがるボードになるだろう。


 ぼくは夕暮れの中でボードに座り、誰かが波に乗るのをひたすら待った。ただ待った。いつまでも待った。それでも待った。・・・・・・そのうちに日が暮れた。

 わたしのまわりには、同じようなサーファーがたくさんいた。真っ暗な海の上で、お互い顔を見合わせ始めた。

 そうか!みんなこの新しいボードのモニターだったのだ。

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