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コーヒー・タイム

「いらっしゃいませ」

 わたしは小さなカウンターだけのコーヒーショップを経営している。毎日おいしいコーヒーを淹れ、喫茶以外にわたしが厳選して取り揃えた豆を販売する店である。

 わたしの店の特徴といえば“本日のコーヒー”に使われている豆の種類をあえて開示しないようにしていることだろう。お客さんに味覚と風味の新しい体験をしてもらうのが目的なのだ。

「どっこらしょっと」と男はカウンターの一番奥の席に座った。「今日こそは当てさせてもらうぞ」

 そこが彼の定位置なのだ。男は中年をとうに過ぎ、現在はサラリーマン時代の蓄えと年金で暮らしているらしい。髪の毛は薄く、白い口髭をたくわえている。精悍せいかんな顔立ちはハンサムな部類と言っていいだろう。

 本日のコーヒーをずばり的中させると、コーヒー代はサービスになるのがこの店の特徴だ。ただし、これを当てるのは至難の業だ。いままでに的中させたことがあるのは、このカウンターに座った常連の男だけなのである。


「いつものやつ」と男は本日のコーヒーを注文した。コーヒーを味わいながら、持参した新聞と文庫本を午前中いっぱいを費やして精読する。これが男の日課なのである。

 わたしは微笑みながら頷くと、サイフォンの用意を始めた。

 いつぞや誰かと世間話をしていたときに、男の前職が、ある有名な商社でコーヒー豆の買い付けも担当していたようなことを耳にした。どうりでコーヒーの味にも詳しいはずだ。


 コーヒーの味を決定するのは豆の種類だけではない。焙煎ばいせんの仕方でも変わってくる。コーヒー豆はもともと薄い緑色をしていて、それに熱を加えることで茶色がかった色になり、あの独特な香りを出すことができるのである。

 焙煎の仕方には大きく分けると浅煎り、中煎り、深煎りの3つになるが、細かく分けると8つになることはご存知だろうか。

 浅煎りには2種類あり、ライトローストとシナモンロースト・・・・・・これはアメリカンで使われる煎り方だ。中煎りにもミディアムローストとハイローストの2種類がある。喫茶店や家庭で使われるのはこの煎り方が多い。深煎りはもっと複雑に分けられていて、シティロースト、フルシティロースト、フレンチロースト、イタリアンローストで、これらはエスプレッソやカフェオレ、アイスコーヒーなどに主に使われる苦味の強い煎り方である。


 そして豆の挽き方でも味が変わる。挽き方は大きく分けて5種類ある。

 極細挽きはエスプレッソに最適だ。細粗挽きは水だしコーヒー向け。中細挽きはペーパードリップやコーヒーメーカー向き。中挽きはサイフォン、ネルドリップに向いている。そして粗挽きはキャンプやアウトドアで直火にかけて抽出するパーコレーター(濾過器のついたコーヒー沸かし器)などで使用される。

 うちの店で使うのは、ほぼ中煎りの中細挽きだが、味の変化をつけるために微妙にそれらを変えている。お客はそれを踏まえた上でブレンドされた豆の種類を言い当てなければならない。


 豆には3大原種というものがある。市場に出回っているのはアラビカ種とカネフォラ(ロブスタ)種とリベリカ種の3種類だ。その内のリベリカ種は全体の1%に満たないし、カネフォラ種は缶飲料などの原料に使われることが多いので、喫茶店ではほぼアラビカ種が主流と言っていい。

 さて、肝心なのは豆の種類だ。いくつか上げてみよう。

『ブルーマウンテン』はジャマイカの豆で、上品な口当たりと優雅な香り、苦味や酸味、甘みのバランスが絶妙な豆だ。“コーヒーの王様”とはよく言ったものだ。

『キリマンジャロ』はタンザニア(東アフリカ)の豆で、深いコクと豊かな酸味があり、バランスがよく軽いテイストの豆だ。

『モカ』はエチオピア(東アフリカ)やインドネシアの豆で、フルーティーな香りが特徴。

『コナ』はハワイの豆。豊かな酸味とキレがある。香りがさわやかな豆だ。

『マンデリン』はグアテマラ(東アフリカ)、インドネシアの豆。華やかな酸味とコク、甘い後味が特徴。

『ブラジル(サントス)』南米の豆。苦味と酸味、コクが調和していて、全体としてやわらかい味の豆だ。

『コロンビア』これも南米の豆で、コクと酸味、豊かな香りを楽しめる。以上が代表的な豆の種類だ。

 余談になるが、『トラジャ』というコーヒーがある。これはインドネシアのトラジャ地方で採れる豆で、クリーミーな香りと豊かな香りの強いコクと優しい苦味のあるコーヒーだ。これはストレートで飲むべきものだから、うちの店ではブレンドには使用しない。


 わたしはチラッと男を見ると、あるちょっとした悪戯いたずらを試みたい衝動にかられた。さきほどコンビニで買ってきたブレンドコーヒーを彼に飲ませたらどんな顔をして、どんな回答をするだろうか。もちろん、「冗談です」とちゃんとしたうちのブレンドも用意しておくつもりだ。

 わたしは何気ない顔をして、カウンターの下に忍ばせておいたコンビニのカップコーヒーを、温めておいた店のカップに移し替えて男の前に置いた。コーヒーカップから白い湯気が立ち昇っている。

 男は新聞を読みながらそれを口に運ぶと、ピタリと動きを停めた。

 やはりな。ひと口でわかってしまったようだ。わたしはちゃんとしたコーヒーカップを手に取って苦笑いする。

「失礼しました。これは・・・・・・」

「きみ。これはハイローストしたブラジル豆をベースに、コロンビア、キリマンジャロ、それにマンダリンを少々ブレンドしたものじゃないかね。濃厚な苦味とコクにさわやかな酸味が加わり、後味に甘味があって香りが豊かだ」

「あの、実は」

「ううむ・・・・・・今までこの店で飲んだコーヒーの中では一番おいしい!」

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