「ボンジュール洋子。ようこそわが家へ」
雑誌記者であるわたしは、その日フランスの料理家ジャン・ファルメール邸にお邪魔していた。
「洋子は和食器と洋食器の違いを知っているかね?」
ジャンは私に唐突に質問を浴びせてきた。
わたしは雑誌のコラム記事の取材できていたのだが、正直いって料理の知識はゼロに等しい。そこで、昔フランスでお世話になったシェフに、料理についての知識を取材させてもらうことにしたのだ。
「和食器は和風で、洋食器は洋風な柄がついてるとかでしょうか」
「ははは」
ジャンがおかしそうに笑いだす。
「いいかい洋子。世界で日本ぐらい独特な食文化を持っている国もめずらしいのだぞ」
「どういうことです。箸を使って食べるってことかしら?」
ジャンは首を振った。
「いいや。中国や韓国でも箸は使う。でも決定的に違うのは、器を手で持って食べるという習慣だよ」
「え?」
「中国だろうと韓国だろうと、料理の器は置いて食べるのが普通なのだ。ご飯の入った茶碗を手に持って食べたり、味噌汁のお椀を手に掲げて飲んだりするのは日本独特な文化と言えるだろうな」
「そうですか。普段やっていることだから、まったく気がつかなかったわ」
「手で持ち上げて食べるから、和食器はなるべく薄くて軽いものが多い」
「たしかにそうですね」
「洋食器はテーブルに置いて鋭利なナイフやフォークを使う。だから傷がついたり動かないように、重くて硬い陶器の食器が多いのさ」
「すごいですね。そこまで考えてあったなんて」
「和食器は持ち上げて使うから、食器の内側や、側面に装飾が施されている場合が多いだろう。内側は自分、外側は周囲の人に見てもらうためにね」ジャンはコーヒーカップを目の高さまで持ち上げて言った。「だから洋食器でも、カップは綺麗な装飾が施されている」
「なるほど。本当ですね」
わたしはコーヒーを口に運んだ。口紅がコーヒーカップについた。ふくよかで芳醇な香りが漂ってくる。
「それではなぜ、洋食器の皿が白いものが多いと思う?」
「洗ったときに、汚れがよく見えるようにとか」
「まあ、それもあるかもしれない。でも本当のところはそうじゃないんだ。洋食器はテーブルに置いて使うものだろう。食べる人の目線は上から下だ。我々シェフにとっては、あの白い皿は画家のキャンパスと同じなんだよ」
「あっそうか。だからフランス料理なんかは色とりどりのソースで皿を飾り付けるんですね」
「正解。料理の盛り付けだってそうだ。料理はアートなんだよ」
「ジャン。今日は本当に勉強になりました。どうもありがとう」
「なあに、洋子のためならこれぐらいのこと・・・・・・どうだね、今日は泊まっていけるんだろう?」
ジャンは女性のような麗しげな瞳をわたしに向けてウインクした。
その時、玄関のドアが勢いよく開いた。
「ジャン。あんたまた浮気したのね!」
真っ赤な顔をした奥さんのシャルロットが現れた。重い皿がわたし達の頭上をかすめて飛んできた。壁に激突した皿が、派手な音を立て粉々に飛び散った。
わたしとジャンは頭をかかえて、一目散に裏口に走った。第二の皿が手榴弾のように足元で砕け散る。
ジャンが走りながらわたしに耳打ちした。
「白い皿を選ぶもうひとつの理由がこれだ」
皿がジャンの頭上で砕ける。
「なんです?」
「損害が少なくて済む!」