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宝くじ

「ねえ、あなた。宝くじでも買ったら」と美智子は夫の和夫に言った。

「なんだい藪から棒に」

 和夫は今年60歳。会社ではすでに窓際に追いやられ、定年退職を待つばかりの万年係長だ。

「美智子。宝くじなんて、金をドブに捨てるようなものだって、あんなにけなしていただろう。あんな物を買うのはバカ者だけだって」

 そう、年末ジャンボ宝くじで1等賞のあたる確率は、なんと2千万分の1なのだそうだ。それは限りなくゼロに等しい。

「でも、これ読んでみてよ」

 妻が週刊誌のページを、夫の前で開いて見せた。『宝くじに当たる人の特徴』という記事だった。

「なんだって・・・・・・」

 和夫は老眼鏡をかけて記事を読みはじめた。

「高額当選するもっとも多い男性のイニシャルは・・・・・・K.T。ああ、おれのイニシャルだ。田鍋和夫たなべかずお。K.Tだもんな」

「それだけじゃなくってよ」妻がにやにや笑っている。

「血液型はA型で射手座・・・・・・おれの血液型と星座じゃないか」

「でしょう。まだあるのよ」

「なになに、職業は会社員で年齢は60代・・・・・・やっぱりおれじゃないか」

「どう思う?」

「どうもこうもあるもんか。その手に乗るか。買わないと言ったら買わない。おれは絶対に買わないからな。買うもんか!」


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 和夫の様子がおかしくなったのは、そんな話も忘れた頃だった。妙にソワソワしているように見える。

「どうかしたの」と妻が心配して声を掛ける。

「どうもしないよ。なに言ってるんだ」

「あなた、まだ出なくていいの。会社に遅刻しちゃうわよ」

 柱時計を見る。すでにいつも家を出る時間を10分も過ぎていた。

「うん」和夫は時計を見ても悠然ゆうぜんとしている。

「なあに。いつも早く出勤し過ぎていただけだ。始業の30分も前に席に着く必要なんてはじめからなかったのさ」

「そうなの・・・・・・」

 美智子は曖昧な笑みを浮かべて和夫を見たのだった。


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「ねえ、最近田鍋係長なんか変じゃない?」

 給湯室で女子事務員たちが井戸端会議をしている。

「そうそう。なんか余裕しゃくしゃくみたいな」

「家でなにかいいことでもあったのかしらね」

「この間なんか、あのケチな係長が自販機でわたしにコーヒーを奢ってくれたのよ」

「まあ。それより以前はさあ、係長のお昼といえば牛丼屋かコンビニのおにぎりばっかりだったじゃない」

「今は違うの?」

「それが違うのよ。あそこのフレンチレストランの前を通ったら、係長がひとりでランチしてたのよ」

「ええ!あの店、ランチだって2千円はするじゃない。あり得ないわ」

「絶対なにかあったのよ」


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「田鍋係長。どうかなさったのですか?」と後輩の水谷が訊いてきた。

「別に何も」

「だって、今まで会議であんなに発言することなかったじゃないですか」と水谷が声をひそめて言った。

「ああ、あれね。一度本音でしゃべってみたかっただけだ」

 和夫は平然としている。

「見直しちゃいましたよ。よく社長の前で部長にあんなこと言えましたね」

「社員の誰もが思っていたことを言ったまでさ」

「いや、脱帽です。ぼくにはとてもできません」


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「ただいま」

 和夫が帰宅した。

「おかえりなさい」

 美智子が台所から出迎える。

「これ」和夫は胸のポケットから包みを出して妻に渡した。

「なあに?」

「誕生日だろ」

 美智子は包みを開けた。指輪が入っていた。

「気持ち悪い。やめてよ」

「気持ち悪いとはなんだ」

「だって、今までこんなことしてくれた事一度もなかったじゃない」

「そうだったかな。悪かった。これからはもっといいものを考えておくよ」

「ねえ。あなた。何かわたしに隠してない?」

 妻は真剣な眼差しを夫に向けた。

「どうしたんだ美智子。急におっかない顔をして」

「当たったのね・・・・・・そうでしょう?」

「当たったって、何が」

「わたしに内緒で、宝くじ買ったんでしょう?」

「その話はもう少し待ってくれ」

「どういう意味よ」


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「聞いたかよ。田鍋さん昇格だってよ」

「ええ!60歳で昇格人事なんて、今まで聞いたこともないよ」

「なんでも捨て身で会社のことを考えている人材として社長から評価されたんだってよ」


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「美智子。ごめん、はずれた」

「バカねえ」

「だって、雑誌に当たったかのようにふるまえば、絶対当たるって書いてあったから・・・・・・」

「あなた何とかしてくれる。あなたのおかげで、知らない親戚とか友達から会いたいって催促がひっきりなしなのよ」

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