「宮治教授は?」研究員の飯沼忠司尋ねる。
「今日はまだ見かけていないけど」同僚の曽根山がパソコンを打ちながら答える。
「おっかしいな。先生どこにいっちゃったんだろう?」
飯沼は宮治の教授室で待つことにした。
宮治孝信は『プランツトランスレイター(植物翻訳機)』を開発した博士である。以前サンゴを植物と勘違いして大恥をかいた人物だ。だが、そのおかげで宮治の名前が学会でも知れ渡り、現在では農業大学で植物学の教授におさまっているのだった。
植物学といってもその範囲は広い。植物形態学、植物発生学、植物生理学、植物地理学、植物生態学など多種多様に分類されている。植物翻訳機は生理学に分類されると思われる。
現在宮治教授が興味を覚えているのは、食虫植物だった。植物は元来、餌も採らずに成長するものだが、食虫植物だけは違っていた。宮治はより植物の意思を感じるため、日々研究を重ねているのである。
飯沼が教授の部屋に入ると、そこは原生林のような様相を呈していた。密林の窓際に机と椅子が入り口に向かってポツンと置いてあるような感じである。
「うわ。これはこれは。いくら植物好きだからって、これはひどいな」
飯沼は生い茂る草をかき分けながら、教授の机にたどり着いた。デスクの上に、宮治の書き残した手記があった。
“わたしは食虫植物に興味を覚え、日々成長ホルモンを注射した。
ウツボカズラやムシトリナデシコ、ハエトリグサなどが驚くべき成長を遂げた。
ある日わたしの飼育していたペットの犬がいなくなってしまった。捜してみると、巨大化したハエトリグサの餌になっていたことが判明した。
しばらく見ていると、そのハエトリグサはわたしの飼育していた犬に形を変えた。形態疑似能力を授かったと思われる。そのペットに近づいた小動物が、次々とハエトリグサの餌になってしまうのを目の当たりに見た。
わたしは身の危険を感じた。この場からすぐに逃げ出さなければならない。もしわたしが平気な顔をしてそのへんをうろついていたならば、それはもはやわたしではない。巨大ハエトリグサがわたしに模している姿であろう”
その時、飯沼の肩を誰かが叩いた。振り向くと宮治教授が立っていた。飯沼は声にもならない悲鳴を上げて部屋を飛び出した。
「助けて!」
「おい、飯沼くん。なんだあいつ」
宮治は机の上の手記を取り上げて一読した。
「ほう、食虫植物もたいしたもんだ。こんな怪奇小説まがいの文章まで書けるようになったらしい」