星の王子さまは言った。
「ぼくは死んだように見えるかもしれないけれど、でもそれは本当のことじゃないからね・・・・・・。わかるかな。ぼくの星はとても遠くて、この身体は重すぎて持って行けないんだ。古い殻を脱ぎ捨てるようなものさ」
そしてこうも言った。「ぼくにはある種の責任があるんだ!あの花はとっても弱いから!世間知らずだし。世界に立ち向かうのに役立たずの4本のトゲしか持っていないんだから・・・・・・」
王子さまは古い殻を脱ぎ捨てて星に帰って行った。
やがて世間知らずの4本の
最初の彼らのデビュー曲は作曲家が書いたものになるはずだった。
「そんなクソみたいな曲はごめんだ」
彼らは自分たちで作詞作曲した『ラブ・ミー・ドゥー』でデビューした。『ラブ・ミー・ドゥー』はミュージック・ウィークリー誌の17位まで上がったが、たいしたヒットにはならなかった。それでも彼らは満足だった。
そして2曲目の『プリーズ・プリーズ・ミー』からは、連続1位を獲得する快進撃が始まったのである。
彼らは大衆が何を欲しがっているのか分かっていた。ひとまねでない、オリジナルの曲と詞。ひとがあまり使っていないマイナーなブランド楽器。ひとと違う髪型。ひとと違うスーツ。ひとと違う価値観と言動。ひとと違う美しいコーラス、そしてビート。
彼らは独自のスタイルを持ってアメリカにもコンサートに出かけた。当時のアメリカでは、白人と黒人の席を柵で明確に分けていた。
王子さまのひとりが言った。
「ぼくらがコンサートを演る条件はただひとつ。あの柵を撤廃することだ!人種差別なんてくだらないよ。同じ人間なんだからね」
彼らのコンサートは、熱狂的なファンの声援で演奏を聴くことすらできなかった。観衆は黄色い声援を聞くためだけに、高いチケット代を支払ったのである。
「もうひと前で歌うのに疲れた」
彼らはライブで歌うをやめ、スタジオでのレコーディングに専念することにした。そこで生まれたのが『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド』という長い名前のコンセプト・アルバムだった。このLPレコードは現在でも最高傑作と言われている。
ある評論家は言った。
「今後、誰がどんなにうまく演ったとしてもビートルズの亜流になってしまうだろう」
それに対してメンバーは言った。
「今までぼくらとまったく関係ないと思っていた人たちが、知らない間にぼくらの信奉者になっていたんだ」
それまでビートルズをただうるさくて不潔な集団だと非難していたひとたちが、
大人は誰だってはじめは子供だ。でもそのことを忘れないでいる大人はいくらもいない。その数少ない大人がビートルズだった。
いま、彼らの一部が殻を脱ぎ捨てて旅立ってしまったけど、ぼくらはいつまでも忘れずにいたいと思っている。
彼らが教えてくれたこと。本当に大切なことは、目に見えないことなんだ。
「All you need is love!(愛こそはすべて!)」