目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
緊急事態を発令せよ

「全世界のみなさん。非常事態の発生です!」

「ご注意ください!」

「あっちにも現れました」

「こっちにも」

「これはえらいことになったな」

「おお神よ!」

「アーメン!」


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 1940年夏のフランスでの出来事。

「母さん。仕事辞めてきたよ」

 自動車整備士のルイ・レアールは帰宅するとため息をついた。

「辞めたんじゃなくてクビになったんでしょ」母はいたって気丈に息子を見返した。「しょうがないわね。それじゃあ、明日からわたしの仕事を手伝いなさいな」

「ええ。ぼくに女性物の下着を売れっていうの?」

「そうよルイ。小さい頃からあなたにはファッションセンスがあるって思ってたの」

「マジですか」

「マジです」

 母はおっかない目をして息子をにらみつけた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 翌日からルイ・レアールは下着のセールスマンになった。女性の下着を詰め込んだスーツケースをかかえ、富裕層セレブのお宅を訪問して高級下着の販売をするのである。

「奥様。とってもお似合いですよ」

「あらそう。ちょっと派手じゃないかしら」

「とんでもない。奥さんの器量なら、どんなランジェリーも地味に見えてしまいますよ」

「あら、お口がおじょうずね。それじゃあ、これいただくわ」

 ルイは思った。女性は常日頃から自分の身体を見せたがっている。

「むなしい・・・・・・」

 サントロペ海岸に車を止めて、ルイは何の気なしに海を眺めた。

 青い空に、白い雲が浮かんでいる。その下で、多くの人たちが海水浴を楽しんでいる。浜辺では、日光浴をしている女性たちの姿もあった。

「ここでも身体を見せたいのかな・・・・・・」

 よく見ると、彼女たちは一様に水着の端をまくり上げて寝そべっている。

「いや、違う。彼女たちの水着は肌を隠し過ぎているんだ。だからあれは単に綺麗に日焼けをしたいからに違いない」


 ルイは家に帰ると、さっそく布面積の小さい水着の製作にとりかかった。

 ところがそれより先に、ジャック・エイムというデザイナーが『アトム』という名前の水着を発表してしまった。アトムはこれ以上分割できない分子で、世界最小の水着を表現したものだという。

「くそ!先を越されてしまったか」

 ルイは悔しがった。ただし、アトムはヘソまでは露出していない水着であった。そこでルイは、小さな30平方センチメートルしかない三角形の布4枚を、ひもで繋いだだけの水着を考案した。

 この水着の謳い文句は『世界最小の水着よりも小さい水着』という皮肉なものだった。


 宣伝のために着用してくれるモデルも探した。

「無理!」すべてのモデルがこの小さな水着を一目見て拒否したという。

 そこで仕方なく当時18歳だったミシュリヌ・ベルナルディーニという名のヌード・モデルを起用することにした。


 事件が起きたのは発表会の直前だった。

 アメリカが太平洋の美しいビキニ環礁(リング状の珊瑚礁)で水爆実験を行ない、世界中にショックを与えてしまったのだ。

「これだ!」

 ルイ・レアールは叫んだ。

「どうしたの?」モデルのベルナルディーニが訝しげにルイを見た。

「この新しい水着のネーミングだよ。これは世界中の人々にショックを与える威力があるはずだ。だから『ビキニ』という名前で売り出すことにする」


 このビキニは大反響を呼んだ。

 しかし、その甘美なスタイルは保守的な人々からは受け入れられず、公のビーチでの着用禁止令が出されてしまう。

 それにもかかわらず、モデルのベルナルディーニには5万通を上回るファンレターが連日届いた。世界で初めてビキニを着用した彼女は、その後アメリカに渡り、有名な映画俳優にのし上がったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 人々の頭の中にはその後もビキニの衝撃が、水爆の放射能のように燻くすぶり続けた。

 そして20年後、ようやくビキニ禁止令が解かれることになる。20年の間、蓄積されていたビキニのエネルギーが、世界各国の浜辺で爆発した。

「全世界のみなさん。非常事態の発生です!」

「ご注意ください!」

「あっちにも現れました」

「こっちにも」

「これはえらいことになったな」

「おお神よ!」

「アーメン!」

「これはまるでゴジラでも現れたかのような騒ぎです!」

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?