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諸君さあ喝采を

「おいマリア。この子は天才だぞ」

 飲んだくれの父、ヨハン・ベートーヴェンがシャックリをしながら言った。「育てかた次第ではわが家の救世主になるかもしれないぞ」

 ヨハンは宮廷で歌うテノール歌手であった。まだ幼いベートーヴェンが、悪戯でオルガンを弾いていたのを、ヨハンは酔いつぶれた頭の片隅で聴いていたのである。

「あなた。子供に期待をかけすぎるのは良くないわ。子供に食べさせてもらう前に、あなたのお酒の量を減らしていただけると、少しは家計も楽になりますのよ」

 妻のマリアは酒飲みの夫をたしなめる。食べるものに困ると、時々宮廷料理人の母に食料を分けてもらって生活する始末だったからだ。しかし、翌日からヨハンの猛烈なシゴキの日々が始まった。


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 ヨハンの強烈なスパルタ教育に、内心反発しながらも、8歳のベートーヴェンはケルンでピアノ演奏会において鮮烈なデビューをはたす。そして12歳で本格的に作曲活動をはじめ、14歳になると宮廷のオルガン弾きに抜擢された。

 14歳で一家の大黒柱か・・・・・・暗澹あんたんとした気分も、優しい母のためならと、若きベートーヴェンは自分が犠牲になることに耐えることができたのである。

 彼の卓越した作曲能力と、正確無比な鍵盤さばきは評判となり、16歳になるとウィーンで当時絶大な人気を誇る作曲家モーツァルトに会える機会を得る。

「なんだこの黒いモジャモジャ頭の小僧は」

 モーツァルトはギョロリとした眼をごつい体格の青年に向けた。

「異様にギラギラした目つきをして。背が低いくせに肩幅が広くて真四角なやつだな」とモーツァルトは内心思った。

 ベートーヴェンも「この猿みたいに軽薄なひとが、本当にあの“神童”と呼ばれたモーツァルトなのか」といぶかしく思う。

「とりあえず君、何か弾いてみたまえよ」

 モーツァルトが軽口をたたくと、ベートーヴェンは当たり障りのない自作のピアノ曲を数曲披露してみせた。

「うーん。悪くない。でもちょっと堅いかな。もうすこし崩すともっと良くなる」

 そう言って、モーツァルトは今ベートーヴェンが弾いた曲を自分流にアレンジして、若きベートーヴェンに聴かせたのである。ベートーヴェンは思った。たしかに面白い。けど演奏にムラがあって、しかも滑らかじゃないな。

 言葉にしなくてもモーツァルトはベートーヴェンの眼を見て全てを悟った。その後ふたりは生涯二度と会うことがなかった。


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 17歳になると、最愛の母マリアが亡くなってしまった。悲嘆にくれたベートーヴェンはエレオノーレという女性と恋におちる。どこか母に似ている女だった。

 そして18歳でボン大学に入学すると、ベートーヴェンは母マリアの面影を追い求めるように、次々と恋に溺れて行った。

 21歳になった。当時有名であったハイドンに弟子入りが許されたものの、多忙なハイドンからは何の指導も受けることが叶わなかった。その後有名になったベートーヴェンの演奏会のパンフレットに、ハイドンからプロフィールに“ハイドンの弟子”と書くよう指示がなされた。癇癪もちのベートーヴェンは「あなたに教わったことなど何ひとつない!」とこれを一蹴したという。


 ハイドンをはじめ、この時代の音楽家は宮廷や貴族のためのものであった。ベートーヴェンは、父もハイドンも大嫌いだった。

 そこで無謀にも、ベートーヴェンは大衆のための音楽家を目指すようになった。当時としてはとんでもないクーデターのようなことをしたのである。


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 ある日ベートーヴェンは友人で詩人のヘルマン・ヘッセと街を歩いていると、オーストリア皇后の一行と出くわした。

 ヘッセは脱帽すると最敬礼をして行列をやり過ごそうとした。ところがベートーヴェンは何食わぬ顔で行列の前を堂々と横切って行ったのだった。

 “変人、無礼者、非常識、無精者”・・・・・・世間のベートーヴェンに対する世評は作品とは裏腹に次第に冷たいものへと変わっていった。


 血は争えないものである。40歳を過ぎた当たりから、あんなに軽蔑していた父のように、安物の白ワイン『トカイワイン』を毎晩愛飲すようになっていた。

 そして不幸は何の前触れもなく起こるものである。

 30歳から患いだした難聴がひどくなり、ベートーヴェンの耳はとうとう何も聞こえなくなってしまった。いや、煩わしい雑音が耳に入ってこなくなったと言ってもいいのかもしれない。

 そんな音の無い世界で、彼は、『エリーゼのために』『皇帝』『英雄』『運命』『田園』などを立て続けに発表して世間を驚かせたのである。


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 聴覚を完全に失ったといわれるベートーヴェンは、交響曲第九番(合唱付き)の指揮を終えたとき満場の拍手喝采にも気がつかなかったという。見かねた楽団員のアルト歌手が、ベートーヴェンを観客に振り向かせてくれた。

 ベートーヴェンは聴衆に向かってニッコリと微笑んだ。(やれやれ、聴こえない振りをするのも楽じゃない。ついうっかり振り向いてしまうところだった)


 翌朝ベートーヴェンはいつもの通りコーヒーを飲もうと、ひとり分のコーヒー豆をキッチリ60粒数えていると、女中が笑顔でからかってきた。

「ご主人さま。いつまで聴こえない振りをなさっているおつもりですか。ご近所のご婦人があのひとは本当に耳が不自由なのかしらと疑ってましたわよ」

「うるさいな!」

 ベートーヴェンはそこにあった卵を女中に向けて投げつけた。この女中もちょっと母のマリアに似た女だった。

「そろそろここも引き払うか・・・・・・」

 耳が聞こえることがバレそうになる度に、ベートーヴェンは引越しを繰り返してきた。生涯で60回も住居を変えたのはこのためなのだ。

 晩年56歳のベートーヴェンは死の間際にこう言い残した。


「諸君、さあ喝采を。これで喜劇は終わりだ」

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