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第10話 どこでも

「な、なんだここ……!? なんで俺は、こんな場所にいるんだ!?」


 謎の赤い通路には、天井や壁にパイプが張り巡らされている。ゴウンゴウン……。と、何かの体内にいるかのような、恐ろしい重低音が聞こえる。怖い。今まで味わったことのない、悪夢の中のような凄まじい恐怖を感じる……!


「おかしい! こんなの、ありえない!」


 とにかく、早くこんな場所から出たい! 振り返って、今来た道を一気に駆け戻る。だが、いくら走ってもいくら走っても、ずっと同じ景色が続く。赤い通路が異音を立てながら、俺を飲み込み続けている……!


「はぁ、はぁ……! どこかに抜け道は……!?」


 パニック状態に陥りそうになる。かろうじて思考が可能なうちに、なんとか打開策を講じなければ。しかし、いくら通路を駆け回っても、出口も抜け穴も見当たらなかった。


「や、やるしかないか……。はあああああ……!!」


 俺は、蜂の巣を破壊した時のように、拳に力を込め始めた。イチかバチかだ。壁を破壊して、脱出を図る! 全ての力を出し切るイメージで、最大のパンチを壁に放つ!


「ゥオラァッ!!」


 散弾銃を撃ち込んだような、凄まじい炸裂音が通路に響いた。手応えは十分。今までで一番強い威力で正拳突きを放てた。


「だ、駄目か……」


 壁はビクともしていなかった。ヒビすら入っていない。嫌だ。こんなところで死にたくない。まだ諦めるな。壁の向こうに声が届くかもしれない。やれることは全部やるしかない……!


「誰か!! この声が聞こえたら、返事をしてください!! 気が付いたら、閉じ込められてしまって……!!」


 可能な限り、腹の底から大声を出した。自分の声が通路内に響く。返事はない。ゴウンゴウン、と異音が鳴り響くだけだった。そう思っていた。


「フフフフ……」


 笑い声が聞こえた。血液が凍ったような寒気が全身に走る。近くに人がいた、そんな安堵感は全くない。俺を助けてくれる存在ではないことは、嫌でもすぐに分かった。


「だ、誰だ……!?」


「北極氷河。この空間は、外から断絶された異世界……」


 男か女かも分からない。複数人の声が混ざったような、気味の悪い声が頭に響いた。辺りを見回しても、誰もいない。それなのに、声は密着しているかのような距離から聞こえ続ける。


「ここでは、お前の声はどこにも届かない。お前を助けに来る人間もいない」


「なんだと……!? だ、誰なんだ、お前は……!?」


「お前は誰からも必要とされていない。お前を愛する人間なんて存在しない。お前はこの空間で、孤独に死を迎えるんだ」


「誰だ……やめろ……! やめて、くれ……!」


 恐怖と絶望感で涙が溢れてきた。謎の声の言う通り、俺は学校で嫌われている。親からも軽蔑されている。好きな女の子からも興味を失われた。本当に、俺は孤独だ。


「フフフ……。フハハハハハハッ!!」


 俺が絶望する姿を見て、謎の存在は大声で笑った。恨みを晴らして清々しい気持ちになっているような、そんな気持ちが伝わってくるかのようだった。


(ここで俺は、1人で死ぬのか……。それならばせめて、痛みや苦しみがないように、静かに死にたい……)


 どうせ生きていても、楽しいことなんてない。これからも、理不尽な現実に襲われ続ける。そして、俺の痛みや苦しみを分かってくれる人なんて、誰も存在しないんだ。


「そんなこと、ありませんっ!!」


 暖かな、温もりを感じる、そんな声が聞こえた。凍っていた血液を溶かすような、生命力に溢れたオーラが降り注ぐのを感じる。これは、なんだ?


「お前は……!」


 俺を嘲笑っていた声は、何かに狼狽えているようだった。何が起きている? 何かがヒビ割れる音が、通路内を反響している。


「氷河くん、助けに来ましたよ……!」


「生瀬さんの、生き霊さん……!?」


 ガラスが割れるような音が響いたかと思うと、俺の前には、生瀬さんの生き霊さんの姿があった。彼女の優しい笑顔を見ると、気持ちが落ち着いて、強張っていた身体が解されるのを感じる。


「生き霊さん、どうやってこの空間に……!?」


「あら、氷河くんは知ってますよね? 生瀬涼子があなたを想い続ける限り……。私はどこでも、いつだって現れるって!」


 生き霊さんの言葉に、今度は安堵の涙が溢れてしまった。今まで、突然現れる生き霊さんが、ずっと怖かった。それなのに、今は、こんなにも頼もしい。こんなにも、嬉しい……!


「生瀬、涼子……!」


「よくも、私の大切な氷河くんを怖い目に遭わせましたね……! 氷河くんは返してもらいますよ……!」


 生き霊さんは悪意から俺を守るように、俺のことを背後から抱き締めるように覆い被さった。温もりも柔らかさも感じない。それでも、安心感と心地のよさを感じた。


「ここは……! 元の世界に、戻った……?」


 一瞬眠りにつきそうになった。その一瞬の間に、真っ赤だった世界は元の色を取り戻していた。異音も聞こえない。奇妙なパイプも無い。いつもの学校の廊下だった。


「氷河くんを異世界に閉じ込めた存在は、もう立ち去ったようですね……。あんな世界を作り出すなんて、相当強い思念を持つ悪霊か、あるいは……」


「生き霊さん……?」


「あっ、すみません……! 氷河くん、大丈夫ですか……?」


 生き霊さんは難しい表情で、何か独り言を呟いているようだった。俺の声に気が付くと、いつもの明るい声と表情に戻っていた。


「生瀬さんの生き霊さん、助けてくださり、本当にありがとうございます……!」


「いえ、氷河くんが無事で、本当に良かった……!」


 もう二度と会えないと思っていた。助かったこともそうだが、生き霊さんに再び会えたことが、本当に嬉しかった。


「あの、生き霊さんは、どうして俺の所に来てくれたんですか……? だって、怖がりな俺の姿を見て、幻滅したんですよね……?」


「さぁ? 私にも分かりません!」


「えっ……!?」


 生き霊さんは、怒っているような嬉しそうなような、なんとも言えない表情でプイッとそっぽを向いた。生き霊さんにも分からないって、それってどういうことだ……?


「確かに私は、あなたが喧嘩の最中に泣き出す姿を見て、とても動揺しました。本当はこの人、そんなにカッコ良くないんじゃないかと、ガッカリしました」


「うぐっ……!!」


 グサッと、心に言葉のナイフが刺さった。幻滅されたとは思っていたが、面と向かってこう、ハッキリと言われると傷付くんだが……。


「……でも、それ以上に。生瀬涼子は、私の本体は、あなたのことが好きみたいですよ……?」


「そ……そう、なんですか……?」


「まぁ、それは本人にバレてないからこそ、かもしれませんが。本体があなたの本性を知ってしまったら、今度こそ本当に嫌われてしまうかもしれませんね〜?」


「うっ……。そ、そうですよね……」


 そうだった。生き霊さんとまた会えたことに浮かれていたが、俺の抱える問題は何も変わっていない。生瀬さんの前でヘタレな一面を見せれば、その時こそ全てが終わるだろう……。


「氷河くん、強くなりたいですか?」


「えっ……? も、もちろん。強くなれるもんなら、強くなりたいですよ……!」


「ニヤリ……」


 生き霊さんの問い掛けに答えると、彼女は怪しい笑みを浮かべていた。初めて見る生瀬さんの表情に、少しドキッとしてしまう自分がいる。


「なら、特訓しましょう♡ 強い男になれるように、ね?」


「………………え?」


 特訓……。物凄く嫌な予感のする響きだ。のんきに見惚れている場合じゃなかった。安易に強くなりたいと言ってしまったことに、激しく後悔した……。俺はこの先、どうなってしまうんだ……?

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