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第6話 慣れというのは恐ろしい

「うぅ……。こんな生活、俺の精神が持たない……」


 日々、生瀬さんから生き霊さんは送り込まれ続けている。唐突に霊体が現れる恐怖と、好きな女の子が訪ねて来る緊張感に同時に襲われ、俺は休まらない日々に疲弊していた。


「おい! 北極氷河!」


「え……?」


 そんな状態の時、5〜6人の柄の悪い男たちが、登校中の俺の前に立ちはだかった。いつも俺に絡んでくる不良の集団だ。ただでさえ疲れているのに、こいつらの相手をする余裕なんて無いぞ……。


「今日は余所の学校から助っ人を連れて来たんだ。今度こそ、テメェを潰してやる」


「北極氷河、オレ、オマエ、倒す」


「頼むぜ、ダンナ。こいつさえ倒せれば、この地域一帯のメンツは保たれるんだ」


「オレ、アイツ、倒す」


 ダンナと呼ばれた助っ人は、皮膚が深緑色で鋭い牙が生えている。喋り方も、まるで怪物が喋っているかのような迫力を感じる。そんな姿でも、学ランを着ているから、かろうじて学生と判別出来る。不良と化け物を掛け合わせたようなこの男を、一体どこから連れて来たんだ……。


「ウオオオオオッ!!」


「ひぃっ!」


 助っ人が雄叫びを上げながら、太い腕を振りかぶった。こんな大振りのパンチ、当たったら骨が砕けそうだ! 嫌だ、絶対に殴られたくない!


「ブボォッ!!」


 怖いから、いつものように相手より先に拳を突き出した。俺の拳が頬にめり込んだ助っ人は、白目を剥いて俺を睨み付けている。なんて恐ろしい形相なんだ……。


「えぇっ!? おい! ダンナ、何を一撃でノックアウトされてんだ!?」


 ドサリ、と。巨体が地面に倒れた。白目を剥いたのは俺を睨んだのではなく、普通に気絶したからだった。倒れている姿も怖すぎる。


「うわああああっ!! ダンナがやられたぁ〜!!」


「もう駄目だぁ〜!! 北極氷河には誰も勝てねぇ〜!!」


「おいっ! テメェら、逃げるなァ!!」


 リーダーを残して、他の不良たちは逃げ出していた。なんだか分からないが、逃げてくれたのなら助かった……。リーダーの方は、呆然と立ち尽くしていた。俺、もう行っても良いのだろうか。とりあえず、聞いてみるか……。


「ど、どうする……? やるのか……?」


「あ、当たり前だぁ〜ッ!! あぎゃっ!?」


 俺の右側から襲ってきたリーダーを裏拳で退け、足早に学校へと向かった。俺は以前より、喧嘩をそれほど恐れなくなっているのかもしれない。慣れというのもまた、恐ろしいものだ……。



「氷河く〜ん♡ 待ってください〜♡」


「い、生き霊さん、あんまりくっつかないでください……! 今は掃除の時間なんですから……!」


「もぉ〜。両想いなんですから、恥ずかしがらないでくださいよぉ〜」


 不良とのひと悶着が終わったかと思えば、学校では、生瀬さんの生き霊さんとエンカウントしてしまった。校舎と体育館を結ぶ通路の掃除をしていると、生き霊さんに引き寄せられるように周辺からヒトダマが集まってきた……。建物から鳴り響くラップ音なんかも日常茶飯事で、とにかく、霊障が頻発するのがたまらなく怖い。


 喧嘩と違って、心霊現象の方は対抗手段がなく、こっちは慣れる気配がない。まだ失禁していないのが奇跡だ……。


(いつか生き霊さんに怖がりなのがバレて、嫌われるのが怖い……。もう本当のことを告げて、この恋を終わらせてしまおうか……)


 そんなことを何度も思った。だが、恋を終わらせるのも怖い。生瀬さんという生きる希望を失えば、俺は何を心の糧に生きれば良いのか分からなくなる。……結局、俺はあらゆることを怖がるあまり、何も実行することが出来ない。本当に情けない。何か、きっかけでもないものか。


「きゃああああああッ!!」


「うおっ!?」


 いきなり、生瀬さんの悲鳴が響き、心臓が飛び出るかと思った。俺は生き霊さんへと視線を向けるが、当の本人はきょとんとした表情を浮かべていた……。


「生き霊さん! いきなり叫ばないでくださいよ!」


「ち、違いますっ! 私じゃないですよ〜!」


「へ……?」


 そういえば、目の前の生き霊さんから聞こえたにしては、悲鳴の距離感がおかしかった。もっと遠くから、校舎裏の方から聞こえたよう気がする。とにかく、悲鳴の方へ行ってみよう!


「生瀬さん、大丈夫ですか!?」


「ほ、北極くん……」


 校舎裏へと駆け付けると、生き霊ではない本体の生瀬さんが、目を潤ませながら弱々しく震えていた。一体、誰が生瀬さんをこんな目に遭わせたんだ! 怒りが込み上げるのを感じながら、俺は周囲を見渡した。


「北極氷河、あんたの出る幕はないから」


「何っ……!?」


 挑発的な発言が聞こえ、俺は思わず身構えた。そこには、険しい顔の矢田玲奈さんが立っていた。まさか、彼女が生瀬さんに酷いことを!?


「涼子も、いつまでも蜘蛛なんかにビビらないでよ」


「だ、だって、だって……!」


「…………え? 蜘蛛?」


 生瀬さんの前には、蜘蛛の巣があった。蜘蛛の巣は、校舎と木の間に張り巡らされている。その巣の中央には、足を含めた体長5センチほどの蜘蛛が、罠の餌食になる獲物を待ち構えているかのようだった。なんというか、デカくて気持ち悪い。


「そう。ただの蜘蛛。涼子、虫が苦手だからさ」


「だって! 脚がいっぱいあるし、歩き方だって怖いんだもの……!」


 そうだった。生き霊さんは生瀬さん本人なんだから、虫が苦手というのも同じ。俺と生瀬さんに共通点があることに、改めて喜びを感じた。


「生瀬さん、分かりますとも! 蜘蛛って目もいっぱいあるし、あの姿を見るだけで、思わず失禁……」


「え……? シッキン……?」


「し、至近距離からどつきたくなりますよね!」


 危ない。舞い上がって喋りすぎた……。自分から情けない本性をバラしてどうする? 今のはギリギリで誤魔化せたようだが……。


「まったく……。蜘蛛なんてほっとけばいいじゃん……。さっさと校舎裏の掃除終わらせようよ」


「でも……! 蜘蛛の巣を放っておく訳にはいかないし……!」


「じゃあ、蜘蛛ごと掃除すれば?」


「それは、蜘蛛さんが可哀想だし……」


「はぁ……。優柔不断なんだから……」


 な、生瀬さん、なんて真面目で優しい人なんだ。苦手な蜘蛛の命さえ尊重しようとする。俺のような嫌われ者も助けようとしてくれた。そんな生瀬さんの心優しさに、俺は惹かれたんだ。


『え〜、オホン、生徒の呼び出しをします〜。1年2組の矢田玲奈さん。職員室まで来てください〜』


「はぁ……?」


 突然、呼び出しの放送が流れた。呼び出されたのは、今まさに目の前にいる矢田さん。矢田さんは、不服そうな表情を浮かべながら、職員室の方向を見ていた。


「なんか呼び出しされてる……。全然身に覚えないけど、ちょっと行ってくる」


「えぇっ? 玲奈、ちょっと待ってよぉ……!」


「呼んでるんだから仕方ないでしょ。掃除は適当に済ませておいて良いから」


 矢田さんは生瀬さんを残し、足早に立ち去ってしまった。ひとり残された生瀬さんは、横目で蜘蛛を見ながら、為す術なく立ち尽くしている。


「うぅ……。どうしよう……」


(生瀬さんが困っている……! こんな状況、俺が助けないで、誰が助けるっていうんだ!)


 今回の俺の相手は本物の蜘蛛。ゲームですら取り乱してしまった強敵だ。生瀬さんのために、俺は、この最大の敵に立ち向かう覚悟を決めた。

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