「ふぅ……。今日が土曜日で助かった……」
学校が休みの日。俺は疲れ果てて、自室のベッドから起き上がれずにいた。その原因は言うまでもなく、生瀬さんの生き霊さんだ。好きな女子であり、霊体でもある彼女と接し続けるのは、あまりにも精神の負担が大きかった……。
「しかし、俺はこの先、どうすればいいんだ……」
直接、告白するのは失敗した。ならば、他の手段を講じるしかないのだが……。何も思い浮かばない。当然だ。俺は色恋沙汰にはめちゃくちゃ疎い。殴れば終わる喧嘩の方が、まだ簡単に感じる程だ。
「ほんと、どうすればいいのでしょうね~?」
「まったくです……。って、うわあああああああ!!」
ピンクの瞳と目が合った。恋に燃える心を具現化したかのようなその姿は、俺の悩みの元凶とも言える、生瀬さんの生き霊さんだった……。
「あらあら、大丈夫ですか? そんなに驚くなんて……」
「生瀬さん……の生き霊さん! なんでまた、俺の家に入って来てるんですか!?」
「なんでって、この前、言ったじゃないですか〜。生瀬涼子はあなたのことが好きすぎて、生き霊を飛ばすようになってしまったって」
生き霊さんは、可愛らしく顎に指を当てながら、身体を揺らめかせながら不気味に浮遊を始める。生瀬さんの姿とはいえ、人間離れした動きをされると、やっぱりかなり怖い……。
「生瀬涼子があなたのことを想い続ける限り、私はいつでも、どこにでも現れますよ♡」
「な、なん……だと……?」
一気に、絶望的な気持ちに包まれる。生き霊さんは、これからもなんの前触れもなく突然に部屋に現れ続けるということか? 嘘だろ……。そんなの、心臓がいくつあっても足りないぞ……。
「あ。氷河くん、これっ!」
そんな俺の心境など知る由もなく、生瀬さんは、何やらゲームのコントローラーを握り締めて目をキラキラと輝かせている。生き霊って、物も持てるのか……。
「私、このゲーム機持ってないんですよ〜。いいな〜、いいな〜!」
生き霊さんは、子供のような眩しい笑顔を浮かべていた。生瀬さんって、ゲーム好きだったんだな……。俺は、好きな女の子の趣味すら知らないのかと、自分の不甲斐なさに頭を抱えた。
「あの、良かったら、遊びますか……?」
「いいんですかっ!? 氷河くん、ありがとうございますっ!」
ほくほくとした笑顔で、生き霊さんは本体に入れっぱなしにしていたアクションRPGのゲームを遊び始めた。いわゆる死にゲーというやつだが、生瀬さんの好みに合うのだろうか……?
「そりゃっ! てーい! あはっ♡ 爽快ですねぇ〜」
(死にゲーなのに全く死んでないだと……。生き霊だから、いろいろとややこしい……)
生き霊さんは、慣れた様子で敵をバッサバッサと薙ぎ倒し、ガンガンと突き進んでいく。過去作はプレイ済みなのかもしれない。生き霊さんは本当に楽しそうで、その子供のような可愛い笑顔を、俺は思わず見つめてしまった。
「きゃあああああああっ!!」
「ヒッ!? ど、どどど、どうしました!?」
突然、生き霊さんがこの世の終わりのような悲鳴を上げていた。思わず俺も悲鳴を上げそうになったが、なんとか耐えた……。
「い、今、蜘蛛の姿の敵が出て来て……。私、虫がちょっと苦手なんです〜!」
「く、蜘蛛ですか……」
俺も虫は大の苦手だ。理由はもちろん、見た目が怖いから。そして、俺は、蜘蛛が出没したエリアより先に進めなくなり、このゲームはそこで詰んだ……。
「あっ! こんな敵、たくましい氷河くんならあっさり倒せるんですよねっ!?」
「えっ……!?」
なんというムチャ振り! たくましいのとゲームの実力は関係ないと思うのだが! しかし、そんなことはお構いなしに、生瀬さんは期待の眼差しを俺に向けている……。
「もしかして、氷河くんも虫が苦手なんですか……?」
「や、やだなぁ! そんな訳ないじゃないですか!」
思わず、コントローラーを受け取ってしまった。今、ゲームはポーズ画面。ポーズを解除してしまったら、きっと大きくて気持ち悪い蜘蛛の化け物が、画面いっぱいに現れることになるだろう……。
「ごくり……」
生き霊さんが、息を呑んで見守っている……。蜘蛛は怖いが、生瀬さんに嫌われるのはもっと怖い。これはただのゲームなんだ。こんな痛くも痒くもない物に、恐れる必要なんてない……!
「うおおおおッ!」
ポーズを解除して、ゲームを再開する。さっそく、牛のような大きさの蜘蛛が、自キャラに襲い掛かろうとしていた……!
(や、やっぱり気持ち悪い!)
毛むくじゃらの足を、ワサワサと動かして距離を詰めてくる。ご丁寧に、毛が擦れるような音まで付けられている。目と耳から嫌悪感を叩き込まれ、一気に戦意を削がれていく……!
(マズイ! 恐怖のあまり、失禁しそうだ!)
まるで、ゲームの世界に放り込まれたような、凄まじい臨場感に襲われる。頭を切り替えろ! これはただの映像! そこまで怖がる必要なんてないんだ! 耐えろ、俺の膀胱!
「あっ! 氷河くん! 蜘蛛が増えましたよっ!」
「えっ……?」
意識を膀胱へ集中していた時。画面には、新たな蜘蛛がワラワラと集まってきた。嘘だろ? 1体でも無理なのに、何体も出て来るなんて反則だろうが!
「あぁっ、このままじゃ、やられちゃいますよ〜!」
(そうだ! もうここでやられてしまおう! これは死にゲーなのだから、やられるのは至極当然のこと……)
俺がそう思ってわざとやられようとしていた時、強烈な視線が突き刺さった。生き霊さんが、物悲しい子犬のような瞳で、俺を見つめている……。
「うぅ……。私、氷河くんが負けるところなんて、見たくありませんっ! そんなの、悲しいです〜!」
「うぐぅ!」
なんという破壊力! 生き霊さんが、めちゃくちゃ可愛い声と表情で、物凄く切ない言葉を発している。そんなこと言われたら、絶対に負けられないじゃないか!
「くっそおおおおおッ!! 負けてたまるかあああああッ!!」
俺は思わず、不良を追い払う時と同じように、いつものように拳を突き出した。喧嘩の日々で鍛え上げられた正拳突きは、嫌な感触を感じながら、一気に突き抜けた。
「氷河くんっ! テレビが!!」
「あっ」
拳がテレビ画面を貫き、思いっきり穴を開けていた。俺の部屋の小型のテレビは、その生涯を閉じ、すっかりスクラップと化していた……。
「さ……さすが、氷河くんっ! まさか物理的にゲームの敵を殲滅してしまうなんて! 常識外れで規格外のワイルドさ! それでこそ、氷河くんですっ!」
「あ、あははは……。それほどでも……」
その後、生き霊さんは宣言通り、いつでもどこでも、俺の前に現れ続けた。食事中はもちろん。トイレに入っている時も、とても生瀬さんに見せられないような本を買っている時も、容赦なく生き霊さんは現れ続けた……。