「誰かいる……?」
真後ろから聞こえた足音が気になり、俺は勢いよく振り返る。目に映るのはいつもの通学路。特にひと気はない。もちろん、俺の後ろには誰もいなかった。
「気のせいか……」
日頃の荒んだ生活のせいで、過敏になっているのだろう。空耳のことは忘れ、俺は再び、家路へと足を運ぶ。
コツコツ。コツコツ。俺の足音に被さるように、乾いた靴の音が聞こえる。やっぱり誰かいる。俺を逆恨みする奴はいくらでもいる。きっとそいつらの仕業だ。今度こそ足音の正体を確かめようと、さっきよりもさらに素早く振り向いた。
「誰だ!? 仕返しなら、間に合ってるぞ!」
恐怖を堪え、大きい声で牽制する。だが、誰もいない。おかしい。絶対に足音は聞こえていた。隠れられるような場所もない。
コツコツ。コツコツ。やっぱり、足音は聞こえた。今、俺は歩いていない。見えない誰かの足音だけが、近付いて来る。
「いや、何か……いる!?」
黒くてぼんやりした影のようなものが、少しずつこちらに近付いている。なんだあれは。見間違いじゃないのか? 駄目だ。こっちに来る!
「うわああああああッ!!」
考えるより先に、足が勝手に動いた。あれが何かなんて、確認する余裕なんかない! 今すぐ遠くへ逃げたい! その一心で、俺は全力で駆け出した。
「ひいぃぃぃ! もう勘弁してくれー!」
いくら離れても、足音はピッタリついてくる! こっちは全速力で走ってるんだぞ。なんであんなゆっくりな足音で、距離が離れないんだ!? 考えたくはないが、俺を追い掛けているのは人間じゃない。そうとしか思えなかった。
「はぁ……はぁ……!」
走り続けているうちに、すっかり日は暮れ、辺りは暗くなっていた。家の前まで逃げてきた時、足音が消えていることに気が付いた。
「に、逃げられたのか……?」
とにかく早く家の中へ避難したい。あの黒い影がなんなのかは、もはやどうでも良かった。疲れていたから、たまたま見た幻覚。それで終わりにしたかった。呼吸を整え、俺は玄関のドアを開けた。
「氷河。学校から電話が来てたわよ。また喧嘩したんですって? それに、授業受けてないってどういうこと……」
「母さん、悪い……。あとにしてくれ……」
「ちょっと、氷河……!」
母親の説教が始まる前に、俺は部屋へと避難した。心は痛むが、説明したって分かるはずもない。いじめられているのに、不良を全員倒して、帰りには、謎の黒い影に追われていた。なんて、俺だって信じられない話なのだから。
「ふぅ……。今日はもう早く寝よう……」
寝てしまおう。寝ている間だけは、こんな現実は忘れられる。何もかも嫌になり、俺は帰ってきた格好のまま、ベッドに横になろうとしていた。
『バキッ』
乾いた妙な音が聞こえ、身体が固まった。恐る恐る、音の聞こえた方を振り返る。いつもの俺の部屋。多少散らかっているが、何か動いたような形跡もない。
「木材か何かが、軋んでる音か……?」
こんな音は、たまに聞こえる時がある。怖がりの俺は、もちろんこんな些細な音にも毎回ビビっているのだが、なんてことはない。何もいないし、何も起きない。気にする必要なんか……。
『パキッ。バキバキッ』
「うわっ!?」
さすがにおかしい。こんな激しい音は、今までに聞いたことがない! パニックを起こしそうになりながら、冷静さを取り戻そうと試みる。……そうだ。家にガタが来ているのかもしれない。仕方がないから、明日、母さんに相談しよう。そうだ、寝よう。一刻も早く寝よう。
『バチンッ』
「えっ!?」
突然、部屋が真っ暗になった。俺はいつも寝る時は豆電球を点けて寝ている。暗いのが怖いから、真っ暗じゃ寝られない。だから、電気を消したのは俺じゃない!
「て、停電!? なんなんだ今日は!?」
次から次へとおかしなことが起こる! さすがにもう、こんな状況で寝られる訳がない! とにかく、明かりを探さなければ!
「……無い」
明かりがない。そう思っていた時。女の声が聞こえた。……気のせいだ。こんな真っ暗だから、幻聴が聞こえているだけ……。
「無い。無い。どこにも無い」
「ひっ……!?」
聞こえる。はっきりと、耳元で聞こえている。まるで、皿の数を数えているような、そんな不気味な声が、はっきりくっきりと聞こえている。
「うぅ……。どこに、あるの……」
「うわあああああああッ!?」
黒い影がぼんやりと見えた! ずっと中にいたんだ! 逃げ切れたと思ったのに、あの影が、家の中まで入って来てたんだ!
「すいません!! 勘弁してください!! どうか、命だけは許してください!!」
話が通じるか分からないが、もう謝るしかない! 頭を床に付け、全力の土下座をした。さすがに、幽霊を殴る勇気はない! 呪われるかもしれないんだ。触りたくもない! 早く、どこかへ消えてくれ!
「あ」
「うっ!?」
しまった! 心を読まれた!? すいません! 消えてくれとか言って本当にすいません! 違うんです。これは、ちょっと混乱していたというか……!
「あった! ありました!」
「…………え?」
俺が、心の中で必死に言い訳をしていた時。謎の影から、不釣り合いな可愛らしい声が聞こえた。そして、何事もなかったかのように、部屋の明かりが復旧していた。
「良かったぁ〜。明かりが点きました〜。間違って電気を消してしまって、一時はどうなるかと思いました〜」
黒い影は、明かりに照らされてその正体を現した。見覚えのあるセーラー服と、見覚えのある美しい黒髪。いつもと違うのは、異様なピンク色のオーラ。そんな感じの光に包まれていた。
「な……生瀬さん……?」
生瀬涼子さん。俺が恋焦がれている女子生徒。その生瀬さんが、何故か半透明の姿で、俺の部屋の中に立っていた。