今日も最悪な1日が始まった。いつものように、俺の前には、柄の悪い不良数人が立ちはだかっている。
「へへへ……。覚悟しろよ。今日は手加減しねェ」
不良たちの手には、木製バットや鉄パイプが握られている。あんなので叩かれたらひとたまりもない。怖い。俺が一体何をしたっていうんだ。手の震えが止まらない。
「助けを求めようたって無駄だぜ。誰も俺らを止められる奴なんかいねェ。お前を心配する物好きもな」
不良のリーダー格が無慈悲に言い放つ。あいつの言う通りだ。高校の連中は、もはや呆れたような表情で通り過ぎるだけ。先生までもが、見て見ぬふりフリをする。
(なんで俺が、こんな目に遭わなきゃいけないんだ……!)
理不尽な現実に押し潰されそうになる。不良たちは、武器を手に距離を詰めて来る。怖すぎる。誰か、助けてくれ。
「やっちまえェ!!」
リーダーの号令で、不良たちは一斉に襲い掛かってきた。誰も助けは来ない。逃げる気力もない。……だから俺は、必死に抵抗することしか出来ないんだ。
「うわああああああッ!!」
学校に悲鳴が轟く。鉄パイプが宙を舞い、不良の鮮血が飛び散った。怖い。俺は血が苦手なんだ。
「くそッ! 何やってんだ! 挟み撃ちにするぞ!」
俺の両サイドからバットを持った不良が迫る。怖い。やめてくれ。近寄らないでくれ。
「うぎゃあああああッ!!」
バットが折れ曲がり、不良が吹き飛ぶ。吹き飛んでいる顔も怖い。バットのように心が折れそうになる。それでも俺は、抵抗を続けることしか出来ない。
「馬鹿が!! あっさりやられやがって!! こうなりゃ、俺がぶっ殺す!!」
リーダーがナイフを取り出した。嘘だろ。そこまでするのか。刃物なんて、見ただけで震えてしまう。俺は先端恐怖症なんだ。
「死ねェ!! 北極氷河ァ!!」
怖い。絶対に刺されたくない。俺は恐怖のあまり、ナイフを全力で避ける。相手の動きをよく見て、ナイフの軌道を予測する。恐怖から逃れたい。俺の頭の中は、それでいっぱいだ。
「チクショウッ!! なんで当たらねぇんだ!!」
リーダーの必死の形相がまた怖い。あいつの顔を遠ざけたい。その一心で、俺は拳を前に突き出す。
「ぐぶっ!!」
リーダーの顔面に、俺の拳が突き刺さる。嫌な感触だ。何度経験しても、人を殴るのは怖い。でも、殴られるのはもっと怖い。ただ俺は、恐怖から逃れたいだけなんだ。
「うわあああああッ!!」
最後の1人、リーダーが吹っ飛んだ。気が付くと、不良は全員倒れていた。やっと終わった。いつものように、俺は必死の抵抗でなんとか恐怖から逃れることが出来た。
「ひぃいいい〜!?」
「北極氷河、怖すぎる〜!」
「クソ〜! 覚えてろよ〜!」
不良たちが、何やら叫びながら立ち去っていった。怖いのはこっちの台詞だ。そう叫びたかったが、声を出す勇気もなかった。
俺は怖がりだ。不良、幽霊、高い所……。世間一般的に怖いとカテゴライズされる物全てに、俺はもれなく恐怖を感じる。
だから、俺は必死に恐怖に抗おうとした。必死に手を振り回し、拳を突き出し、怖い物を全部どこかへ吹き飛ばしたかった。
そんな生活を続けていたら、俺は自然と腕力が強くなっていた。怖い対象は、本当に吹き飛ぶようになってしまった。筋肉は付き、自分の見た目も、不良たちのようにたくましく怖くなってしまった。
「また北極氷河が暴れてるのか」
「ほんとどうしようもないな」
そんな話し声が聞こえてきた。……俺はすっかり、不良と同じような扱いを受けるようになっていた。俺を倒そうと不良が襲って来るのを、俺はただ追い払っているだけなのに……。どうしてこんなことになってしまったのか……。
「ちょっと、涼子ってば」
最悪な気持ちの中、俺の視線の先に暖かなオーラが漂っていた。オーラの発生源を目で追うと、美しい黒髪が、爽やかな風を浴びてサラサラとなびいていた。今まで不良に絡まれていた世界とは別の世界に来てしまったかのような、そんな錯覚を覚えるほど、その女子生徒は輝いていた。
「あんまり見てると危ないわよ! 北極氷河は、この学校で一番野蛮で低俗な不良なんだから! あんなのに関わったら駄目よ!」
「う、うん……」
女神のようなその女子生徒は、隣にいた友達に連れられ、あっさりと立ち去ってしまった。呆然と、風でなびく美しい髪を見送った。
「あぁ……。生瀬さんに喧嘩を目撃されてしまった……」
生瀬涼子さん。俺のクラスメイトの1人。それだけの関係だが、俺にとってはかけがえのない光のような存在だ。
生瀬さんは以前、喧嘩でかすり傷を負ってしまった俺にハンカチを貸してくれた。いや、正確には貸そうとしてくれた。その時も、隣にいた生瀬さんの友達、矢田玲奈さんに阻止されたのだ……。
「俺は生瀬さんに告白したい。その一縷の光だけを希望に生きている。だが、野蛮な俺は、生瀬さんに好かれる要素なんかある訳がない……。正確には、一方的に襲い掛かって来る不良を、無我夢中で追い払っているだけだが……」
好きで不良になった訳じゃない。でも、高校に入学して1年も経たないうちに、学校一の不良としての悪評が広まってしまった。俺にはどうしようもない。日々の恐怖から逃れるので精一杯だ。
「俺の恋は、始まる前に終わっているんだ」
ひたすらに憂鬱な気持ちを抱えたまま、俺は授業を受ける気力もなく、屋上でサボることにした。我ながら、これじゃ本当に不良みたいだと、自分に呆れる。
そんなこんなで、虚無な時間は過ぎ去り、日が暮れ始めていた。俺は何をやっているんだろう。家に帰っても、学校でまともな生活を送っていない俺を、冷たい目で見てくる両親がいる。どこにいても、気持ちが安らぐことはない。
「はぁ……。帰るか……」
どこかに出歩く気も起きない。家で寝て、次の日はとりあえず学校に行く。俺は、その機械のようなルーティーンの中で生き続けるしかないんだ。
……そう思っていた。だけど、今日はいつもと違っていた。
コツコツ。コツコツ。と、俺の背後から、誰かの足音が聞こえていた。