「実はおれもそのひとりだったんだ」
長い黒髪がよく似合う美子は小鳥のように小首をかしげて言った。
「やっと話してくれるのね」
その公衆電話は、ある人からすると金色に輝いて見えたという。
当時おれはギャンブルにはまっていて、家は火の車になっていた。最初は趣味のつもりであった。時々勝てたときの快感が忘れられず、どれほど負けてもギャンブルから手を引くことができなかったのである。
ある日酒場で黄金に光る公衆電話のことをきいた。まさかと思って相手にもしなかったが、心のどこかで期待している自分を感じていた。
「あなたどうするの?」
乳飲み子をかかえて妻がヒステリックにわたしを攻め立てる毎日だった。パーマを当てた髪が荒れ野原のようにすさんで見えた。服装はいつも同じ、緑のセーターに茶色意い無地のスカートだった。
「だいじょうぶだ。次のレースで必ず取り戻すから」
おれはなけ無しの金を握りしめ、サンダルをつっかけて家を飛び出した。
妻も息子もかわいくなかった訳じゃない。肩身の狭い、貧乏な生活を強いらせて済まなかったと思う。それでもギャンブルをやめることができなかったのだ。そう一種の病気だったのだろう。
海沿いの通りに出て、商店街を抜けようと裏路地に入ったところにその公衆電話はあった。なぜかいつもの緑色の公衆電話が黄金色に輝いて見えた。日当たりの加減なのだろうと思ったが、ふと金色に輝く公衆電話の話が頭をよぎったのだ。
おれは受話器を手に取り、財布から洗濯機で洗ってしまった名刺のようなヨレヨレに折れ曲がったテレホンカードを取り出して差し込んだ。電話をかけた相手は、よく当たると評判の
「もしもし、矢野さんか。おれだよ結城」
「ああ、あんたか。めずらしいな。景気の方はどうだい?」
いつも思うのだが、しゃがれた矢野の声はどこか浮世離れした響きをもっている。
「ここのところ負け続きだ。一発大きなのを当てて巻き返したい」
「情報が欲しいってか。情報料を払ってくれなけりゃあ教えられないぜ」
「わかってる。ぜったい当たる大きな馬券を教えてくれ」
「ふん。そんなのがあったらこっちが教えてもらいたいくらいだよ」
おれの胸は怒りにも似た暗澹とした気分がむかついてきた。
「そりゃあそうだ。あんたに訊いたおれが馬鹿だった。じゃあまた・・・・・・」
「ちょっと待て。レートが跳ね上がる情報をいま入手したところなんだ。どうだい、乗ってみる気はあるかい」
「本当か?」
おれは暗闇に一瞬光明が射したような気がしたのだ。
「ああ。間違いない情報だ」
「よし。全財産をそれにつぎ込むから教えてくれ」
「マジか。悪いことは言わない。それだけはやめておけ。家族のことも少しは考えろ」
おれはしばらく金色に輝く受話器を見つめた。
「・・・・・・いいから教えてくれ。情報料は必ず払う。約束する」
「しかたがねえなあ。この情報は結城さんにだけだよ」
「ありがたい。教えてくれ」
「第7レースの・・・・・・に賭けてみろ」
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第7レースが始まった。
おれの賭けた馬は、しんがりから最後の直線コースで
おれは血へどを吐くかのように叫んでいた。一着二着が同時にゴールを駆け抜ける。
その時だ。大地震が起きたのは。
レースは中止。パニックに陥った競馬場の客は、全員その場を離れることを許されなかった。墨汁でもぶちまけたような津波が街中を飲み込んだのはその数分後のことだった。
全てを失った。不幸中の幸いだったのは、妻がおれに愛想を尽かして息子を連れて実家に帰っていたことである。それで難を逃れたのだ。被災者である妻子はそのまま実家で生活をすることになった。
避難所に離婚届が届いたのはそれから数週間後のことだった。
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「奥さんと息子さん、その後どうなったの?」と美子がつぶらな瞳をこらして訊いてきた。心なしか頬が青白く
「再婚して幸せに暮らしているっていう噂だ」
「そうなの。それで、あなたはどうなのよ」
「・・・・・・おれか。おれも幸せだよ。きみとこうして暮らしている」
おれは夕暮れの街を思い出してつぶやいた。「これもあの金色に輝く公衆電話のおかげなのかもしれないな」