「このままあの人間たちに、大切な蜜を
ミツバチマンションの集会所は騒然としていた。
「今こそ、独立すべきではないでしょうか!」と働きバチのマーサが叫んだ。
「ちょっと待って」
議長のサリーが押しとどめる。
「人間にだっていいところもあるわ。わたしたちが冬を乗り切るぐらいの蜜は残してくれるじゃないの」
「それを“生かさず殺さず”っていうんじゃないの」とマーサが食ってかかる。
後ろの方からそうだそうだと相槌する声が聞こえる。
「女王様はどうお考えですか」
サリーが最上段で寝そべっている女王を振り返る。
「わたしは現状のままで不満はありませんよ。でも出て行きたい者は勝手に出て行くがいいわ」女王は太った身体を動かしながら、長いまつ毛をマーサに向けた。「子供はいくらでも産まれて来ますからね」
「いえわたし達・・・・・・女王様に逆らおうなどとは、夢にも思っていません。先ほどの提案は取り下げさせていただきます」
マーサは深々と頭を下げたのだった。
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ハチの世界は女性社会である。女王蜂ひとりに対して、約5万人のメスの働きバチが働いている。彼女たちの仕事は掃除、育児、建築、守衛、食料(蜜と花粉)の調達である。
それに対して男たちは全体の1割程度しかおらず、いたって怠惰な生活を送っている。仕事もせずに、ただ交尾のことだけを考えて過ごしている。しかもそれさえもせずにゴロゴロしていると、食事も与えられず、最後には追放されてしまうから情けないものだ。
「行くわよ」
マーサが離脱派の2万匹を連れて、マンションを出て行こうとしていた。
「ちょっとマーサ。本当に出て行くの」
サリーが心配して部屋から出て来た。
「なんだサリー。気がついていたの。悪いけど、わたしたち新天地を探してここを出る計画を立てていたのよ」
「女王蜂はどうするの?」
「実はひとりだけ密かに
女王候補は王台という部屋に集められ、お互いに殺し合いをして最後に生き残ったひとりが栄えある女王の座を射止めることになっているのだ。
「マーサ、本当にだいじょうぶなの。危なくなったらいつでも帰って来なさいよ」
「ありがとうサリー。無事を祈っていてね」
ミツバチの大群が、青い空に旅立って行った。
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マーサたちは大きな樫木の木陰に新しい巣を構えた。それはあのマンションよりも立派に見えるコロニーだった。規則正しい六角形のハニカム構造は、どんな台風にもびくともしない耐久性を備えていた。
マーサたちは越冬に備えて、蜜や花粉をふんだんに貯めこんだ。
しかし順調なのはそこまでだった。
「ご苦労だったね。その蜜はわたしたちがそっくりいただくよ」
スズメバチの集団が蜜を横取りしにやってきたのだ。
マーサたちは勇敢に闘った。ある働きバチがスズメバチに毒針を突き刺した。ミツバチの針と内臓とはつながっており、命と引き換えの攻撃だ。別のスズメバチがミツバチに襲い掛かる。
「みんなあいつを囲み込むのよ!」とマーサが叫ぶ。
するとあっという間にスズメバチを核にして、ミツバチが球体を作り上げる。そして激しく羽を動かしはじめた。
「熱い!」
スズメバチが悲鳴を上げる。ミツバチの球体の温度は46度まで上昇し、スズメバチを息絶えさせることができるのだ。
しかし、スズメバチは集団で襲い掛かってきていたから、地面には次第にミツバチの死骸が増えていった。
「このままではまずい」
マーサがそう言ったとき、大きな黒い影が巣を覆った。熊が出現したのである。熊はマーサたちの作りあげた巣を、まるでメロンでもたべるかのようにむさぼりはじめた。
今度はスズメバチが熊と格闘する番だった。
「退却!」
生き残ったマーサたちはその場を離れた。マーサたちの女王蜂はすでに亡くなっていた。
「はやくこっちへ」
マーサたちを迎えにきたのは、親友のサリーだった。
「サリー。あなただったのね、熊をスズメバチにけし掛けたのは」
「そうよ。あのままだったらみんな全滅しちゃったから」
「女王様、許してくれるかしら」
「だいじょうぶよ。こちらの女王様も先日お亡くなりになったの。新しい女王様がもうすぐ誕生するわ」
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結局マーサたちはもとのマンションに戻ってくることになった。外敵から身を守るのと引き替えに、安定を取ることにしたのだ。
外で人間たちが何か話しをしていた。
「この土地も枯れて来たな」
「都市計画とやらで、良質な蜜の取れる花がめっきり減ってきてしまった」
「どうする」
「ここにいつまでいてもな。地主に地代を取られるばかりで、ちっとも生活が楽になりやしない」
「そうだ、新天地を探しにここを抜け出そうじゃないか」