昭和45年、それまで時間無制限で通話できていたものが、市内通話が3分間10円に変更された。
多くのユーザーは嘆き悲しんだが、そのおかげでぼくは、クラスメイトの有紀子ゆきこに電話をかける勇気を手に入れたのだ。なぜならば、当時高校生のぼくが無制限に女の娘と会話するなど不可能に近かったからだ。
3分間一本勝負。なにとぞ父親が出ませんように・・・・・・と神様に祈りながら、震える指でポケットから10円玉を取り出す。グルグル回すダイヤルの上の、硬貨投入口にコインを入れようとしたその瞬間、けたたましく電話が鳴りはじめた。
「わ!」
心臓が止まるかと思った。公衆電話なのにかかってくることがあるのか。恐る恐る受話器を取る。ゼンマイ時計のような音が消え、カシャンと何かが落ちるような音がした。
「もしもし・・・・・・」
「★%※※#◎あーもしもし。あ、やっとつながった」
ラジオの雑音のような音がして、男がしゃべりだした。
「あの、どちらさまですか?これ公衆電話なんですけど・・・・・・」
「わかってる。時間がない。重大なことなのだ。1回しか言わないからよく聞いてくれ」
「はあ」
「ただ、ちょっと制限があってな、わかり辛いと思うけどな」
「・・・・・・」
手の込んだいたずら電話なのだろうか。
「いいか、もうすぐ冬休みに入るだろう?」
「はあ」
「その前に横須賀の親戚の家に行くはずだな」
「え・・・・・・なんで」
「そこの主に言うんだ。“パパは来客、シュークリームとあんまんゲットよ”」
「なんですかそれ」
「いいから言ってみろ“パパは来客、シュークリームとあんまんゲットよ”」
「ぱぱは来客・・・・・・シュークリームとあんまん・・・・・・ゲットよ?」
「そうだ、いいかくれぐれも★◎△だけは##■%しろよ」雑音が始まり、音声が途切れた。
ぼくは受話器を見つめた。なんだったのだろう。やはり手の込んだいたずらだったのだろうか。
気を取り直して10円玉を投入して、彼女の家の番号を回した。
「はい、
父親が出た。
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冬休みに入った。
ぼくは買ったばかりのバイクに有紀子を乗せて、ツーリングに出かけた。デートのお誘いに成功したのである。
「寒くない?」
「だいじょうぶ」
峠にさしかかると、有紀子の腕にも力が入る。ぼくは幸せを感じた。
峠の頂上付近であった。対向車線を走って来た白い車がスリップし、回転しながらぼくらのバイクめがけて突進してきたのだ。
声も出なかった。
とっさにぼくはハンドルを切っていた。そこはガードレールのつなぎ目だった。ぼくらは緑の生い茂る谷底に落ちていった。谷底までは200メートルはあるだろうか。風が頬をよぎる。このまま死ぬのか。頭から仰向けに落ちて行く有紀子をみつけた。風圧の中でジャンパーを脱ぎ捨て、泳ぐようにして彼女に追いつく。彼女はすでに気を失っていた。ぼくは彼女を強く抱きしめた。
「キミだけは死なせない。何があっても」
ぼくは胸の紐を強く引いた。和太鼓のような音を立ててパラシュートが開いた。
ぼくらは助かった。
あとで確認すると、米軍横須賀基地の払い下げの店舗を経営している店主と、亡き父はいとこ同士で一緒によく遊んでいたという。ぼくが電話の話をすると、しばらく腕を組んで考えていたおじさんは、だまってパラシュートをぼくに寄越した。
「俺達の子供のころ遊んだ暗号さ
パ・・・・・・パパは
ラ・・・・・・来客
シュー・・・・・・シュークリーム
ト・・・・・・と
あ・・・・・・あんまん
げ・・・・・・ゲット
よ
だろ」
あの3分電話は天国の父親からだったのである。