7月30日の夜更け。
わたしは自分自身に乾杯をする。
わたしたち母親は、いつだって自分のことは後回し、家族優先の生活を余儀なくされる。しかもそれは当たり前のこととして、だれひとり評価などしてくれないのだ。
ゆえにわたしたち主婦は、一様に孤独、焦り、不安な1年間を過ごすことになる。
今日はそんな自分にご褒美をする日。自分自身の健闘に乾杯する日なのだ。
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わたしはこの日のために、とっておきのワインを隠しておいた。1年に1度だけ、秘蔵のワインをひとりだけで楽しむために・・・・・・。
「乾杯!」
芳醇な赤ワインの香りとふくよかな味。ああたまらない。
その時玄関を慌ただしく叩く音が聞こえた。
「誰かしら?こんな時間に」わたしは扉を開けた。
玄関の前に、夥おびただしい装飾を施した2頭立ての馬車が鎮座しているではないか。昔の貴族の恰好をした白髪の男性が恭うやうやしくお辞儀をした。
「あの・・・・・・どちら様ですか?」
「わたしはある王国の執事をしております。あなた様は実は、さる王国の姫君だったのです。そして訳あって、今日まで庶民の家で育てられてきたのです」
「まさか」
「いえ、あなたの右手にはめられた薬指の金の指輪がなによりもの証拠です。そちらは王家の紋章です」
「この指輪はわたしの祖母の形見ですけど・・・・・・でも、わたしには愛する夫と二人の幼い子供がいるんです」
「だいじょうぶです。あなたの親族は全て王国が面倒をみることになります」
「それじゃあ、もうお洗濯も、お掃除も、お料理もしなくていいってこと?」
「もちろんですとも王女様」
わたしは一瞬めまいに襲われた。
「・・・・・・でも、息子のズボンのお尻の破れたのは誰が縫うの?」
「宮中のメイドにやらせます」
「娘のちびた鉛筆はだれが削るの?」
「それもメイドがやってくれます」
「夫の薄くなった頭髪マッサージは?」
「だいじょうぶですよ。お付きの者にやらせます。あなたはただ座っているだけで良いのです」
「そんなの嫌よ!」わたしは思わず叫んでいた。「家族と一緒に暮らしたいの。もっと一緒に苦労したいのよ。もっと一緒に笑って、泣きたいのよ!」
その時目が覚めた。
「なんだ夢だったのか・・・・・・よかった」わたしはほっとため息をついた。「よし明日からも頑張ろう」
グラスを持つ右手の薬指に、金の指輪が輝いていた。