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黄金のパター

 ゴルフの世界4大メジャー大会といえばマスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権の4つのトーナメントである。

 そして、この4つのメジャーで優勝することを『グランドスラム』と呼ぶのである。しかもこれを達成したゴルファーは今までに数人しかいない。

 主なところで言えば、球聖ボビー・ジョーンズ、帝王ジャック・ニクラス、サンドウェッジを発明したジーン・サラゼン、『モダンゴルフ』を書いたベン・ホーガン、"南アフリカの黒豹"と呼ばれたゲーリー・プレイヤー、タイガー・ウッズ(タイガーは愛称、本名はエルドリック・ウッズ)である。


 そして今まさに、グランドスラムを達成しようとしている人物がいた。トム・マッケンジーである。


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 その日トムはある試合で優勝をかけてファイナル・ラウンドをプレイしていた。

 前半の9番ホールまで3アンダーと出遅れていたが、後半8ホールで5バーディ1イーグルを奪い、10アンダーはトップとの差をわずか1打に縮めていたのである。最後の18番ホールで絶好のバーディチャンスに着けた。この1メートルの下りのバーディパットを沈めればプレイオフに持ち込めるのである。

「トミー。下りのスライスラインだ。カップ半分左を狙って距離を合わせて行け」

 キャディのバッハが耳打ちした。

「いいや、ここは強くストレートに打つ。強い玉なら曲がらないさ」

「ただでさえ優勝争いをしているんだぞ。余計な力が入るからやめておけ」

「まかせておけって」

 トムは慎重にラインを読んで、ボールにヘッドを合わせた。そして打った。ボールはカップの縁をかすめ、はるか5メートルもオーバーして行った。返しのパットも外し、さらに10センチのパットをはずして4パットのパーより2打も多いダブルボギーを叩いてしまった。

「クソ!」

 頭に血がのぼってトマトみたいに顔を紅潮させたトムは、18番ホールの脇にある池に向かってパターをぶん投げてしまった。


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 その晩、ゴルフ場に隣接するホテルに宿泊したトムは、ホテルのレストランで親友のバッハと沈痛な面持ちで夕食を取っていた。

「わかってる。バッハの言いたいことは。悪かった」

「ちょっと頭に来たぐらいであれはないだろう。なぜおれのアドバイス通りにできないんだ」

「ごめん。本当に悪かったよ」

「今度あんなことをしたらキャディを降ろさせてもらうからな」

 バッハは大きな体躯を椅子にしずめた。

「そんなこと言うなよ。ここまで一緒にやってきたんじゃないか」

「頭を冷やせよ。おれは先に寝る」

 そう言うとバッハは客室に戻って行った。そこへ入れ替わりに背の高いキチンとした身なりの男が現れた。

「トム・マッケンジーさん。全米ゴルフ協会からの伝言です。本日の非紳士的な行為に対し、協会は貴殿に千ドルの罰金を科すことに致しました。一週間以内に振り込んでいただけますか」

 分かったというジェスチャーをしてトムは席を立った。レストランを出て外の空気に当たりたかったのである。


 18番の池の前に来た。あたりは薄暗く、池は底なし沼のように見えた。

「あーあ。ひどい目にあった」

 その時、池の底からブクブクと泡が浮かんできたかと思うと、水面に白いローブのようなものを纏まとった老人が現れた。

「ワインを飲み過ぎたかな」

 老人は長い白髪に豊かな白い口髭を生やしていた。そして、両手に3本のパターを持っている。

「トム・マッケンジーよ。お前の捨てたパターはこれか?」

 老人の右手には金色に輝くパターが握られていた。

「いいえ、違います。ぼくのはただのピン型のブロンズのパターです」

「それではこれか?」

 老人は銀色に輝くパターを差し出した。

「それも違います。ぼくの捨てたのはこんなに綺麗なパターじゃありません」

 老人はにっこり笑った。

「おおそうか。それではこのパターがお前のパターか」

 老人はトムが池に投げ捨てたパターを差し出した。

「そうです。それです」

「お前のおかげで、頭にコブができた。まあ、そんなことはいいとしよう。それよりも、お前はなんて正直な男なのだ。わたしは久しぶりに感動したぞ。褒美にこの金のパターを進ぜよう。このパターで打ったボールは、どんなにうねったグリーンでもイッパツでカップ・インできる魔法のパターなのだ」

「本当ですか」

「しかし、これを1回使うとだな、その反動で打った人間の大切なものをひとつ失うことになるからの。じゅうぶん考えて使わなければいかんぞ」


 翌朝、池の前で酔っぱらって昏睡しているトミーが発見された。しかし、手にはしっかり二本のパターが握りしめられていたのである。


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 トムは翌年のマスターズで優勝を勝ち取った。その日、彼の飼っている愛犬が亡くなった。

 さらには全米オープンのタイトルを奪取した。今度はトムの愛車が事故に遭遇し、廃車となってしまった。

 そして全英オープンでもプレーオフの末に優勝した。彼の家が火事で全焼したのはその翌日だった。

 そして今、トムは全米プロ選手権の最後の18番ホールのグリーンにいた。

 15メートルの長い蛇行したパットを残していた。これを入れたら『年間グランドスラム』の達成である。

 『年間グランドスラム』とは、同じ年内で4大メジャーにすべて優勝することを言う。過去にこれを達成したのは球聖と言われたボビー・ジョーンズだけである。

 バッハの抱えるトムのゴルフバッグには、パターが2本入っていた。バッハは迷わず金色のパターを引き抜いてトムに渡した。トムは震える手でそれを受け取る。ギャラリーの中に、妻キャサリンの顔があった。神に祈っているのであろう。両手を合わせて目を閉じている。


 トムには分かっていた。これを使えば年間グランドスラムを達成できる。でも、今度ばかりは看過できない。つぎは妻キャサリンがこの世からいなくなってしまうのに違いない。

 トムはじっくり時間を取ってラインを読む。そして震える手でパターを構えた。

 彼はパターを打った。でもその瞬間、トムはホールとは正反対の方向に打ち出していた。

(外れろ!)

 トムの打ち出したボールは、一旦グリーンの縁で静止すると、少しずつ方向を変えて、蛇行するグリーンを右に左に転がりながら、ボールが停まるか停まらないかというギリギリのスピードで静止し、ホールにボール半分その姿を覗かせて停止した。

 ギャラリーから大きなため息が漏れる。

 するとしばらくして、静止していたボールが「コトン」という乾いた音を立ててホールに落下したのである。

 大歓声が沸き起こる。年間グランドスラムの達成である。


 わたしはなんということをしてしまったのだ。歓声と拍手の中で妻を見た。妻とバッハが笑っている。どういう訳か、妻の手には金色のパターが握られているではないか。

「トミー。悪かった。実はおれが昨夜、色を塗ってすり替えておいたのさ。グランドスラムなんかより、キャサリンのいない人生なんて生きていてもしょうがないって言ってただろ」

 ありがとう友よ。トムは妻を抱きしめて泣いた。

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