ぼくは猫です。
ぼくたち猫は生後3週間ぐらいから人と接すると懐くんだって。でも9週目以降になると懐かなくなる可能性があるって、お店のお兄さんが言ってたんだ。
ぼくは長い間ホームセンターのゲージに入っていた。
狭いゲージの中はちょっと窮屈なんだけど、気楽なもので、定期的に水やごはんをもらえるし、たまに玩具の差し入れまでしてくれる。
お隣さんの顔ぶれがなぜだか定期的に入れ替わるけど、まあそんなことは気にしない。気ままな暮らしだ。
「ねえきみ、さっきから何ひとりごと言ってんの?」
気がつくとぼくのゲージの前に、ひとりの女の子が立っていた。
「お母さん。この仔なんかしゃべってるんだけど」
「レイちゃん。猫がしゃべるわけないでしょ」
「しゃべってるわよ、この猫」
「そういう風に聞こえるだけよ」
「そうかなあ。しゃべってると思ったんだけどなあ・・・・・・」
レイちゃんて言うんだこの子。
「あ、やっぱりしゃべった。お母さんこの仔、買い手がつかなかったらどうなっちゃうの」
「そうねえ。生後11ヶ月かあ・・・・・・」母親はぼくのゲージに書いてある説明書を見た。「ちょっともう売れ残りかもね」
「ね、どうなるの」
「かわいそうだけど・・・・・・」
母親は娘の耳元で小さな声でささやいている。
かわいそうだけど?
「え・・・・・・!」レイが目を丸くする。
「しっ」母親は人差し指を唇に立てた。「だめよ大きな声で言っちゃ」
そ、そんなあ。まじですかあ。ひいぃ。なんとかしてぇ。お願い。ぼくはレイに必死に訴えかけた。
「だよね」レイが頷いた。「お母さん。あたしこの猫飼いたい」
「なに言ってんの。どうせなら産まれたばかりのもっとかわいい子猫にしたらどう?」
ぼくだってかわいいやい。
「いや、この仔がいいの」
かくしてレイの母親は店員に値切って、値切って、値切って、値切って、さらに値切り倒してぼくを購入してくれたのだった。
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レイの家に飼われてかれこれ15年になる。ぼくは平々凡々な生活を送っていた。
ファンという名前もつけてもらった。レイにはとても感謝している。
でもぼくは気まぐれな猫だ。あえて、ひとに懐くということをしない。
それでも、ぼくがかまって欲しくなったら別、スリスリ、ゴロゴロ、前足でふみふみ、寝ているレイにダイビング!「ぎゃあ!」というレイの悲鳴を何度聞いたことか。
小さい頃はいろんな玩具も買ってもらったが、ぼくは見向きもしなかった。そんなものよりも、それを配達してきたダンボールの空箱に入る方がよっぽど楽しかったのだ。
「ファンこっちへおいで」
レイはぼくを抱っこするのが大好きだ。でもそう言われて抱っこされるほどぼくは素直じゃない。ぼくはぷいっとそっぽを向いて逃げてしまう。じゃあまたね~。
「じゃあまたね~じゃないでしょう。ファンたら、ツンデレなんだからもう」
レイは怒っているが、眼だけはいつも笑っていた。
ある日ぼくは体調を崩した。
どうやらぼくにも老衰が来たらしい。身体のあちこちを誰かに攻撃されてるみたいなんだ。どこかに隠れなきゃ。
「お母さん。ファンが外に出たがっても出さないでね」
どうやらレイはぼくが逃亡したがっているのを察していたみたいだ。
「ファン。こっちおいで、抱っこしてあげる」
しかたがない。たまには抱っこさせてあげるか。
ぼくはレイの腕の中で良い気持ちでスヤスヤと眠りに落ちていったんだ。あれ、天気が悪くなったのかな。部屋の中なのに雨が降ってきたみたいだ。冷たいものがぼくの顔にポツリと落ちてきた。
まあいいさ。こうしていると気持ちがいいんだもん。
そしてぼくはレイの暖かい腕の中でひとこと鳴いて2度と目を覚ますことがなかったんだ。
「レイ」母が訊いた。「ファンなにか言ってた?」
「ありがとう・・・・・・て」